マロロスの市場を空間としてみると、先ず大きな建物があり各店舗が碁盤の目のように整然と肉屋、魚屋が並んでいる。次いでその周囲に野菜や果実や米や雑貨の小さな店舗が建ち並び路地を形成している。その路地は、これでもかというぐらいに店舗や路上売りで密集し、多くの買い物客が詰めかけてくる混沌とした雑踏だ。こうした2つの空間が併設されているところに市場としての魅力もある。たたし常に床は濡れ、でこぼこしており、固有の臭いが鼻をつく空間だ。
翻って東京の築地中央卸売市場が豊洲に移転した。それは、もちろん機能的に整然としているが、それまで場外市場であった空間がないし、今後そんな狭隘な雑踏が発生するような建築の作り方でもない。終始業者のための流通業務のための空間だ。もちろん地域貢献としてビジター用の見学通路や飲食店もあるが、どこかショッピングセンターのようでもあり、きっちりと管理されていて猥雑な空間とはほど遠い。東京の市場が業者のために利用が特定化されているのに対して、マロロスの市場は利用を特定しない、別の言い方をすれば誰でも利用できる庶民の市場という違いがある。
空間としてみれば、やはり都市には多様な空間が存在しているが面白い。そこにマロロスの市場の魅力もあるのだろう。
さて、フィリピンは島だからというのもあるが熱帯に属するので雨は降るので水は充足されている。しかし水を貯め各住宅に送水する土木インフラが貧弱なのだ。それに電気代よりも水代の方が高い。だから時間によって断水したり、手動水洗トイレだったり、バスタブはなくシャワーだ。暑いのでシャワーで十分なのだけど。飲料水としてもも地元の人は生水を飲まない。大きな青い透明のプラスチック製容器にはいったミネラルウォーターを調達するか、サンミゲールピールで喉を潤すかである。
そんなことを体験していると、日本の水事情の良さを実感する。そうか人間が生きる、それには水が必要だ、ここが大切なポイントだと都市計画家は思い知らされる。
日本では、香川県のように水が少ない地域でも大きなため池を設けて水を確保するという努力を歴史的に行ってきた経緯がある。フィリピンのピットピタンの町でも、ため池が欲しいと思う。町単位のため池ぐらい日本のODAで援助しろよと日本政府にいいたい、と日本のフィールドワーカーは思う。そうしたら水環境は快適になるのだが。
いっそ井戸掘削技術、貯水池造成技術あるいは海水を淡水化する技術、配管敷設技術(別に土中に埋める必要は無い)、揚水ポンプに受水槽、最後はウォシュレットをセットにしてフィリピンに投資したらと思う。それが日本の水文化輸出の世界戦略だと思うけどな。日本の海外援助は水技術の展開だけでよい。というのも、そのほかのことは他国にまかせればよいじゃないかとする国際的役割分担があるだろう。アホの殿様みたいに求められるままに資金をばらまくのではなく、1つのことに集中させた方が実効性は高いのだ。最後にこの地を訪れた日本人が、そうした投資の成果を享受できるわけだから。海外援助も最後は自国民の利益につながるという戦略がいるんだよ。それが水なのだ。
そうして質量ともに充足できる水が確保されて、生活が潤い、農業生産が向上し、市場が賑わい、結果として経済が発展してくる。その結果都市も必要になるという具合に地域開発の自助努力の順序があるだろう。それが水であり、水を取り巻く海外援助だと思うけど。私は、そんな風に考えるけどな。
ブラカン州マロロス 2019年3月25日
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