フィリピンの著名な建築家榊原守さんとの酒飲み話にアチキはつきあっいる。そんな時間が続いている。
ベーヤン「昔はさあ、見合いなんかダセーっ!、といって自分で男を見つけて結婚する女が多かった。だけど見合いか恋愛かは形式の問題なんだよ」
「形式よりは出会える機会が大切だというのがいまの風潮なんだ」
榊原「そうねぇ、形式なんかどっちでもいいよね。フィリピンの田舎なんか、みんな親や親戚の紹介が多いよね。だってそうしなきゃ安心できる相手かどうかはわかんないよ。でも紹介したら回りは、後は知らねえよだけどね」
「案外見合いの方が、いいかも」
榊原「わたしねぇー上さんが亡くなってから、その少し年配の日本人のお一人様を口説いたことがあるんですよ。でもねぇー年の差がねぇーといわれてバイバイでしたね。やっぱ恋愛なんかもう無理な年かと思うと、悲しくなりましたね」
ベーヤン「そんな経験をすると恋愛より見合いの方がましじゃない。といって日本人じゃ年相応とかわからんことを言い出すから、価値観の違う海外だよな。価値観が違えば結婚観もライフスタイルも違うよ」
「日本の常識がつまらない生活にしているんだよ。ピカソは67歳で5度目の結婚をしたし、上原兼は80歳で子供を設けた。それは異常ではなく人生を生きようとか楽しもうとする状態なんだよ。人間に老後なんて言葉はないんだな。回りがやたらと老けさせてくれるわけね。そういうことがわからないまま、お一人様が増えてゆく」
榊原「だって自分で探して、これでいいかなってところまでたどり着ければよいけど。そこまでたどり着かなかった女って結構日本には多いんじゃないかなぁー。だってお一人様って言葉が定着するぐらいだから」
「それでカップルになれずに一生過ぎるわけだ」
榊原「うわーっ、やだなぁー!、そんな人生。フィリピンはアメリカ文化の国だから、カップルが当たり前。もちろんカップルといってもLGBTも含めてですけど(*^▽^*)」
「それでもカップルでいることの方が幸せなんだ」
ベーヤン「だよね!」
「日本じゃ、カップルになれなきゃ、お一人様だもん。つまり異性との出会いがありませんでしたってわけで、一人ジッと我慢して一生暮らすわけだ。信じられない世界でしょう。どんなに理屈つけても、一人じゃあねぇーーー。それにしても、どうして人間はカップルになりたがるのだろう?」
ベーヤン「まあ、それが人間の本能、いや煩悩か。それに男は多産系だから、あっちこっちに種をまく・・・!?、種の保存の法則かなぁー」
「ベーヤンも、ばらまいたなぁー」
(*^▽^*)
次第に話が支離滅裂になってきた。
・・・
日が暮れて雪の街の灯りが目立ちだしてきた。
小樽は、冬のなかである。
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