Creator's Blog,record of the Designer's thinking

毎月、おおよそドローイング&小説(上旬)、フィールド映像(中旬)、エッセイ(下旬)の3部構成で描き、撮り、書いてます。

Fisheye27. 珊瑚の色って何色なんだろう?

2019年12月16日 | diving


 ダイビングのログから

 12月4日、チービシ諸島ラビリンス、潜水時間12時4分-12時43分(39分)、透明度25m、最大水深13.2m、平均9.5m、水温24°、残圧180-70kg/c㎡

 珊瑚の色って何色なんだろう?。それは置いといてトップの画像を見ていると、紅葉を撮影するような感覚で赤系の珊瑚1群体が際立っている。画像補正したとはいえこの色が画像情報として記録されていたのでしょう。私がけち臭いとコケにした小堀遠州作庭による高台寺の紅葉を思い出す(ブログ2019年12月1日)。

 話を広げると、つまり美意識のアイテムの1つには、豪華と簡素と相対する両極があり、そのときの時代に応じて両極の間を揺れ動いている。

 例えば豊臣秀吉が大阪城や二条城にみる絢爛豪華な美を表現する一方で、同時代の千利休は、簡素、侘び、といった禅宗の影響をうけた美意識に開花した。それを傍観していて徳川家康は、美意識をマネージメントとして扱い、諸大名には簡素の美学を心がけさせ、我が城は絢爛豪華にして権力を示すといった両刀使いだ。

 だから絶対の美意識というものは存在しない。それを文化人あたりが仏教などの真理と同等のものだと解釈しだしたあたりから、美意識も怪しく非論理的な存在になってくる。ほんまに文化人は大して勉強もしてこなかったわりには(審査付学術論文を何本書いたのでしょうか?)、日々無責任な論理を流布し出版して商いをしている輩が多い。

 文化を享受する本人が自覚したりこだわったりすれば別の話だが、平たくいえば、豪華の美も簡素の美も、どちらも現代人は受けいれている。

 そうなると豪華と簡素の両極は、なにが関係し作用し形成されてきたのだろうというところへ私の関心は進む。そんな風に思って書店をのぞくと京都について書かれた本が目につく。そういう本の大半は文科系ですなと、こちらは笑ってしまう。それが京都の歴史系、伝統系、風習系の話ばかりで、そんなのがいまの京都のどこにあるんだいと、こちらは疑問なのだけど、要は工学系としてはつまんないわけ。それ以外でなんかないの・・・。

 さて珊瑚の色が話題だったが、風邪の影響で頭の働きが今ひとつ。もう珊瑚の色なんかどうでもよくて、つまり、やだっ!、こんな京都の寒さは、なのだ。


沖縄県慶良間諸島チービシ諸島(2019年12月4日)

GoPro7、INON水中セミフィッシュアイコンバージョンレンズ UFL-G140 SD

1)ISO273,焦点距離3mm,露出補正0,f/2.8,1/962

2)ISO274,焦点距離3mm,露出補正0,f/2.8,1/723

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Nikon Freak428. チービシ諸島 | トップ | Fisheye28. 深閑・・・ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

diving」カテゴリの最新記事