Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

Village Design 31.  白沙村

2007年11月22日 | field work
 今日(正確には昨日)は、人の運命を左右しかねない書類を作成していた。得も言われぬ疲労を感じる。さらに追い打ちをかけるように、博士後期課程3年間の標準タイムスケジュールという事務書類を作成していた。書類をつくりながら、人間には2タイプあると思った。物事を前倒しで行う人間と、後のばしする人間とである。時間を貯金できる人間と、借金する人間と言い換えてもいいだろう。借金には利子が付くから、当然前者の方が良いわけである。
 ところで、中国のフィールドサーベイも、麗江でもう1週間は経過しただろうか。毎日様々な体験故、時間の感覚がなくなっているようだ。だが利息も利子も付かないということは、ほぼ毎日所定の予定通りに行動していたのだろう。高冷地故に天気は今1つであっても、この時期多いはずの台風が来なかったのが幸いした。
 白沙村の民居を見ていると、これ迄とは年代の違うことがわかる。中には数百年以上変わらない建築もあると聞く。数百年存在してきた建築が私の眼前にあるわけだが、それを感じさせないところが、すごいというべきか。数百年も存在して当たり前なのかもしれない。
 中国は、最盛西部で東経75°であるから、インドのモンバイやモルジブ諸島あたりから、最東部は東経135°である。この経度に該当するのが日本の明石市にある天文台であり、ここで日本標準時を定めている。この間4時間程度の時差が発生するが、中国国内では時差がないと聞いた。となると8時は中国のどこにいても8時であり、中国人民は、全土で目覚ましがなると、一斉に起きあがることになる。麗江あたりで、日本とは、本来ならば2時間の時差があるのだが、日本より1時間遅い北京時で全土の時間が決めらている。だから、国境を越えてインドあたりに突然ゆくと、大きな時差を体験するのだろう。要は、時刻は目盛でしかなく、むしろ時間のほうが意味をもってくる。日本よりはるかに長い時間が経過したなかで、蓄積してきた物事の全ては、私の時間感覚を越えている。
 
参考文献
河原洋子:街尾村白沙街沿い民家の分析 : 中国世界遺産麗江旧市街白沙集落において,日本建築学会計画系論文集,No.619,pp251-256.
 
1999年9月撮影
Canon EOS3.F3.5-5.6/EF28-135mm.コダクロームⅡ.
CanoScan995F
 
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