Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

PEN LIFE885. なんだったんだろう

2014年03月13日 | Tokyo city
 代休をとって東京へ出かけ、4件の用事を片づけ、夜遅く京都に戻った。
 昼に神保町の「いもや」で天麩羅定食を食べ、その後路地裏にある「さぼうる」でお茶。これらの店は中学の頃から通った。さぼうるは、昔も今もスキップフロアの店内や家具も全く変わらない。マスターだけが歳をとった。昔の日々を思い出しながら、人間だけが変わってゆくんだなと、しみじみ。
 三番目の要件で、実家に立ち寄り昔の本の整理をした。それも大学の頃のものである。こんな本にこだわっていたのか、と当時の浅はかさを痛感した。もちろんこだわることで多少は賢くなったが、今から思うと一寸ねぇー、発想が古すぎるよ。
 結局手元に残したのは、阿部公正先生の著作とか、京の町屋という選書といった建築デザインシリーズだ。カースタイリングなんか創刊号まであった。あとはライフの写真シリーズぐらいだろうか。取り急ぎかき集めて梱包した。大学で選別して、不用なのは図書館だな。
 結局若いと言うことは、いろいろとこだわりの世界なのだけど、今から思うとどこか迷っている自分がいるようだ。結局埃だらけになって選別していた。
 今回は、過去を振り返るがテーマであったか。振り返ったけれど、こんなものかという感じが強かった。明日は廃品回収という声に脅されて、せわしく選別していた。結局文庫本などは全部捨て、ゴミ袋が10杯ぐらいになった。もちろん今手に入らない文庫本もあるが、捨てることに未練はない。
 若いときのこだわりなんて、今の自分からみれば、全く価値がない。あれは、なんだったんだろう、そんな感じがしていた。残したいものが、デッサンとか水彩画といった自分が制作したものだと気がついたとき、人間の本能として自分史をつくりたいのだなと思った。

東京都・神田神保町
OLYMPUS E-P5 M.ZUIKO DG 17mm/F1.8
ISO3200,露出補正-0.3,f1.8,1/10
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PEN LIFE884. 桶之下図子

2014年03月12日 | Kyoto city
 今日は、大学後期日程の入試であった。午後から小論文の採点に関わっていた。
 出題は新しい国立競技場のコンペ入選案に対する日本人建築家の論評を資料としてあげた。つまり風致地区第1号の地区に景観と運営管理面でそんなに巨大なダイオウイカがいるのかという新聞記事である。もちろん社会的に話題になっているトレンディなテーマでもある。だから誠心誠意お仕事をして今日は疲れた。
 さてその後はクロッキー教室へでかける元気もなく、京都の街を少しばかり徘徊しながら帰宅。前にも書いたが京都には、有名無名の路地が大変多い。
 いつも通るときに少し気になっていたのだが、住宅地図で見ると、通から路地へ入り、突き当たりを右へ曲がり、さらに突き当たりを右に曲がると、もときた通にでてくるというコの字型の路地である。
 そこでどんなんかなと思って、この路地にはいってみると、オオッ、見事で綺麗な京町屋があるではないか。町屋発見、感激!。こういう奥座敷のようなところは住むと大変静かで快適だろう。裏はお寺の庭で緑があるから東からの採光はよさそうだ。路地という空間は、表通の空気をゆるやかにシャットアウトして大変静かなたたずまいを都心の中に出現させている。
 こういうグッドな景観に出くわすことがあるので、路地の徘徊は面白い。この路地に名前はなさそうだが、仮に町名をとって桶之下図子と呼んでおこう。

京都市・東洞院
OLYMPUS E-P5 M.ZUIKO DG 17mm/F1.8
ISO3200,露出補正-0.3,f1.8,1/10
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PEN LIFE883. ルーズな1日の始まり

2014年03月11日 | Kyoto city
 ブログの画像はいつでも使えるように、いくつかを選んでデスクトップに置いてある。ただし、その時次第で使わなかったりすることもある。今日もiPhotoから取り出した。画像を選ぶ時の気分とアップさせるときの気分が違うのであろう。
 このブログを書いているのは、実は月曜日の夜なのだが、昼間の雪が降る寒さに震えてしまい、意識も変わってしまった。だから何故かしら夜の画像に戻る。多分この時もとても寒かったのだろう。
 この頃は、ライカズミルクスといっても日本製なのだが、このレンズのヌケの良い写りを堪能していた。もちろん本家ライツレンズと比較したが、遜色のない写りだ。それに絞り開放からシャープな画像というのは、やはりマイクロフォサーズ仕様なのだろう。
 そう!、このレンズは、夜の撮影に適しているのかもしれない。デジタルになってから夜の撮影が随分楽になった。そうであれば、夜遅くまで京都の街を歩き回り、夜遅い飲み屋で一服して夜中に帰宅し、翌日は昼頃起きてでかけるというライフスタイルはもう随分前の事だ。そんなルーズなライフスタイルが最近皆無だ。やはり仕事場を大学に持って行ってしまったからだろう。
 夜更かしのおかげで昼頃起きるというルーズな1日の始まりというのも、悪くない。だが今週は朝早い新幹線で東京へ出かけたりと大変忙しいので、朝早くから起きることが必須の今の身にとっては、うらやましい夢だ。来週はルーズな1日の始まりをやったろうか。

京都市・木屋町
OLYMPUS E-M1,LEICA DG SUMMILUX25mm/F1.4
ISO400,露出補正0,f1.4,1/60.
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PEN LIFE882. ブログ雑感

2014年03月10日 | Kyoto city
 関ヶ原は雪。名古屋も雪。京都も雪。どうしたんだいこの天気はの1日だった
 さてこのブログもいくつかのテーマ毎に書き始め、目下PEN LEFEシリーズが最長を続けており、結局7年目に突入しているが、いつブログを書いているか。原則として夜寝る前に書くとは限らない。前日や前々日にまとめ書きをすることもよくあるし、当然忙しい時はパスする。そうなると天気の話などは、実態とずれてしまうことがある。だからアップする時に調整はしている。
 ブログを書き始めた頃になんとはなしに、いくつかの原則をつくった。
 第一は、文章も写真も私のオリジナルでゆこうということだ。ときどき話題として引用したい写真もあるが、オリジナルを貫いているのでリンクもはらないことにしている。
 第二はプライベートについては、書かないことにしている。個人的な心情は別にして、個人情報に関する話は、第三者が読んだところで、面白いものではないからだ。
 第三は、論文ではないから、できるだけ第三者が読んでわかりやすい文章になるように努力すること。
 第四は、マスメディアに登場するような通俗的な話題や論調は取り上げないこと。私の視点を貫くということだ。
 幸いにして、これらの原則は今もなんとか維持しているようだ。といってそんなにえらそうに言うほどのものでもないが。
 第五は、ブログに飽きたら休むこと。実際時々休んでいる。私が希に見るニコンフリークのブログ「COLKIDプチ日記」などは、9年間1日も欠かさず毎日アップさせ、海外に出かけるときもPC持参でアップするというこだわりようだ。これにはかなわないが。
 ところでMacBook Proのレチナディスプレイで私のブログ画像を見ると、随分輪郭が甘く見える。こんなに甘い画像をアップさせた覚えはないし、私のiMac上では綺麗に見えているのにと思う。最もブログ画面の画像設定が72dpiグラスだから、多分いたしかたないことだろうと思うし、特にこだわりたい要素でもない。
 ブログを書くようになったメリットとして、文章アレルギーというのがなくなったのは確かだ。昔ならば論文を書くときには悲壮な決意が必要だったのだが、最近では、ブログ感覚で論文をサクサクと書いている。つまり最初から完成形などめざさないわけだ。
 さてそんな風にして書いたブログをどれだけの人数が読んでいるかは、ある時からアクセスカウンターを外したから私にはわからない。ひょっとしたら誰も読んでいないのかも知れない。それでも文章を書く感覚を維持したり、原稿のアイデアをメモ代わりにして、時間があれば書いている。要は私自身のためだ。
 ときおり過去ログを読み返すと誤字・脱字がままある。気がついたときには修正しているが、文章を推敲して並び替えているときに、消しそびれたり、書き忘れたりすることが多いようだ。
 さて7年続いたブログは何時まで続くか。その答えは簡単で、データが重くなり書きにくくなったとか、アップするサーバーが無くなったら終いということだろう。つまりPC環境次第ということになる。
 毎日文章を書くために頭を働かせるというのは、なかなか良い習慣ではないかと思われる。といって昼間も論文の原稿を書いているけど。
 今日はブログ雑感だった。時折振り返ってみたいと思うテーマでもある。

京都市・天使突抜道
OLYMPUS E-M1, LEICA MACRO ELEMARI T 45mmF2.8
ISO200,露出補正0,f4.0,1/250.
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PEN LIFE881. 先走る

2014年03月09日 | Kyoto city
 陽射しは春でも、昨日の名古屋も寒かった。 今年最後の寒さだろうか。 寒いばかりの週末である。
 そろそろ町内会の会計の〆があるので、1年分の決算をつくらなきゃならん。領収書を月ごとに整理して添付し、エクセルに全部の費目を入れて計算し、行事ごとにまとめ、預金通帳と照らし合わせて欠損値がないかどうかを確認して、会計簿になんと手書きで記入する・・・云々という実に面倒な仕事だ。これが頭の痛い仕事であり、つまり行おうとする意欲が全くわかない。だがタイムリミット近い。しゃあない夜なべ仕事で片付けますか。
 こういうときは、撮影機材をもてあそびながら旅に出かけるときのシステムをシミュレーションしている方が精神的に健康だ。そういえば、大学事務室に徳島の出張届けをまだだしていなかった。
 それで実用的調査システムは、脇町は広角系9-18mmをE-M1に付けておけば大概のものは撮影できそうだ。中望遠系には迷わず45mmをE-P5に付けるのが基本だな。予備に75-300mmを持参すれば、東祖谷山村の集落をアップで狙えるから申し分ない。 少し明るいレンズが欲しい時は広角系を12mmにすれば良いが、使い勝手がよい18mmが欲しいので、ここは明るさよりもズームレンズだな。これで私の場合のフィールド調査では大概の被写体が撮影できる。大変明解だ。
 そうなると25mmの標準レンズが余る。昨日の出勤時には、E-P5に45mm、予備に17mmを持参したが、ここでも標準レンズの出番はない。標準レンズをシステムに組み込むと、他方のボディを望遠にするか広角系のレンズをつけるかで迷いが生じる。居直って標準レンズ1本という割り切った方法もあるが、それだけでは調査に不便だ。つまり標準レンズは、フィールド調査ではいらないという結論になる。
 となると標準レンズは、どこで使うか。そうだ高知県赤岡町の絵金蔵の時は夜だから、このレンズの出番だ。 となるとここ一番で使用するレンズであり普段は寝ているわけだ。といった具合にオタッキーな悩みがある間は楽しい。
 高速バスを使うと関西から四国は比較的容易に行けるので、今年はこれまで出かけた事がなかった四国へ行こう。四国には、伝統的建造物群保存地区が徳島2、高知2、愛媛2-道後温泉泊まりは必須、香川1とある。お遍路の旅ならペンミニにパンケーキレンズだな。これはまだ早いか。
 といった具合にレンズを付けたり変えたりして、これは集落調査、これは絵金蔵、こっちはお遍路さんと、旅する気分で、撮影システムを考えている時間はなかなか楽しい。
 あーあっ、町内会の仕事の他にも東京へゆかざるを得ない仕事もあるし、その他行事があり、後期の入試やら卒業式もあるので、これらを全部かたづけないと旅ににでられないぜよ。徳島行きの切符も宿も手配してあるのに、お楽しみは先で、それまでにやるべき仕事が多いというのがなんとも悩ましい。興味あることばかりが先走る。

京都市・粟嶋堂宗徳寺
OLYMPUS OM-D E-M5,LEICA DG SUMMILUX 25mmF1.4
ISO200,露出補正-0.3,f1.4,1/2500
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PEN LIFE880. 別にどうもしないけど

2014年03月08日 | Kyoto city
 デザインという仕事は、相当に目的的な仕事である。目的的というのは、目の前に編集や制作すべき要素と画面がひろがり、建てるべき建築条件や敷地図が示されたりしている。そうした条件を咀嚼しながら、自らの力を発揮してデザイン実現を果たそうとする行為のことである。そういう仕事の進め方をするのは、普通の真面目なデザイナーである。
 では普通でないデザイナーはどうするか。目的や条件を目の前にしながら、それとは全く関係ないことを発想している。本来の仕事とは関係ないことをもてあそんでいたら、別の方向に面白いイメージを発想した。それが使えるという仕事の目途はない。そういう非目的的な世界である。
 本来デザインというのは、人間の発想や意識の所産なのだから非目的的行為なのだろう。あるいは一つのきっかけで全く違う世界に横滑りしてゆく行為といえるかもしれない。それが仕事に関係ない方向へゆくかもしれない。だがデザインそのものである。いやそれはアートというべきか。
 先日所用で出かけた北白川別当町の喫茶店のテーブルに写った影をみながら、そんなことを考えていた。陽が差し込むと影は消えていった。イメージのあやうさだろうか。それがどうしたって!。別にどうもしないけどさ。
 さて今日も午後から打ち合わせだ。休日出勤が続く。

京都市・北白川
OLYMPUS E-M1 M.ZUIKO DG 17mm/F1.8
ISO1600,露出補正-0.3,f1.8,1/80
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PEN LIFE879. The quiet back

2014年03月07日 | Kyoto city
 天気予報では、京都にもところによっては雪が降るかもしれないという有り難いお告げ。まあ信じてはいないのだけど、京都市内は朝から雪が舞っていた。
 さて京都の街は、通から奥にはいる路地がやたらと多い。なかには、古い民家が連なったりしていることも多い。時代の流れが、そこだけ忘れたように通り過ぎてゆく。こうした路地をソッと静かに徘徊してみたいと思う。
 祗園は伝統的建造物群保存地区だから、きっと路地も美しいのではと思って路地の奥へはいってみたら、やはり予想通り行き止まりがある見事だった。そして京都ではあまり見かけない板目張りの建築が綺麗だ。祗園らしく整然としおり綺麗な路地であり、これが日本文化の美学なのであろう。都心にありながら、居心地の良さそうな静かな奥、つまり” The quiet back”が形成されている。
 こういう都心にありながら、都心を感じさせない居心地の良い空間というのは絶対に必要なのですね。それこそ建築家の腕の見せ所なのです。京都には、そうした巧みな空間の使い方が多い。それを可能にするのが路地という設えなわけです。
 こういう路地へ雪が積もったときに訪れたいが、今年はもう無理だろうな。

京都市・祗園
OLYMPUS E-M1 M.ZUIKO DG 9-18mm/F4.0-5.6
ISO1600,焦点距離9mm,露出補正-0.3,f4,1/15
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PEN LIFE878. 哲学的なレンズ

2014年03月06日 | Kyoto city

 一寸夜景の画像が続く。時間が経つといつ撮影したかわからなくなるが、iPhotoの記述では多分ズミルックスの試写で撮影したものと推測。大学に新しいボディが届き、その日のうちに喜び勇んで夜の京都の街を徘徊したのだろう。標準レンズの画角と、開放の絞りを多用しながらボケ方を楽しんでいたようだ。
 標準レンズをボディにつけると、もう1台のボディには広角系か望遠系かで悩むことがある。大概は広角系なのだ。標準レンズボディをテレコンバータ・モードにして望遠代わりにつかったりしている。
 或いは潔く標準レンズ1本という選択肢もある。昔は、ボディに標準レンズが当たり前のようについていたし、私が初期の頃に使用したのも標準レンズ付きキャノン6Lだった。その標準レンズからニコンの広角レンズを使用したら、こんなものというどこか水準の落ちたガッカリ感があった。まあ、そこから堕落が始まったのだけど。
 その後本をつくるときに、北山さんがプラナーの標準レンズが付いたコンタックス167を貸してくれた。これで撮れ!!、というのは、これまた随分哲学的な気分にされたし、言い換えればこれ以外使わなくてよろしいという、プロのの智恵だったのだろう。
  すべての風景を標準レンズという画角で見るというのは、あれも撮りたい、こう撮りたいという機材マニアの欲望をすべて捨てなければならないので、なかなか哲学的なレンズだと思わせてくれる。そう、このレンズを使うには、精神的に大人にならなければいけないのであろう。
 特に京都の街の撮影が目的ではなく、クロッキーや建築のエスキースなどをしながら徘徊するときは、あれこれ迷うより標準レンズ1本で調度良いのだろう。

京都市・先斗町
OLYMPUS E-M1,LEICA DG SUMMILUX25mm/F1.4
ISO1600,露出補正0,f1.6,1/10.

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PEN LIFE877. また機材論

2014年03月05日 | Kyoto city

 少し夜の京都の撮影も面白いと思ったりしている。猥雑な風景が隠れるためだ。最近曇り空が多いのだが、どうも夜は晴れているみたいだ。だからギュンと寒いのである。それにフィルムでは実現できなかった夜の手持ち撮影が容易になったこともある。5軸手ぶれ補正も効果的だ。
 さて朝街を徘徊して大学に出勤し、夜遅くも徘徊となると大変充実した1日だ。まあ疲れるんだけど、そこは定食屋のステーキで栄養をつけようなどという方向違いの発想が身体を支えてくれるだろう。
 となると機材だ。仕事の道具があるから5軸手ぶれ補正でE-M1と同じ解像度を持つファィンダー付きPEN E-P5に標準レンズ1本でゆくか、それとも24mm1本でゆくか迷う。或いはPENミニにつけてゆくか、あるいはニッコール50mmを付けるか、これはいささかこれは邪道か、などといろいろ策が考えられるのがオリンパスの良いところだ。
 それにしてもPEN E-P5は、少しデザインがうるさいのだが、E-M1と同性能、バッテリーも同じというあたりが便利な機材たる所以で、私の機材の中では一番稼働率が高い。これは、私にしては珍しくお奨めできる機材だと思われる。また機材論になってしまったが、書く話題もないのでええか。

京都市・若宮通
OLYMPUS E-M1,M.ZUIKO DG9-18mm/F4.0-5.6
ISO1600,焦点距離9mm,露出補正0,f4.0,1/2.

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PEN LIFE876. 過剰な被害者意識

2014年03月04日 | Kyoto city
 E-M1は、手持ちで1/3というスローシャッターにしては、ぶれておらず5軸手ぶれ補正の効果が大きい。光の少ないところで使える機材を実感する。京都の街も、猥雑な風景が夜のとばりのなかに沈み込み、少しはましな空気だ。といってまだ夜は寒いし、とても寂しい気分での徘徊ではあるが、この夜は晴天だったのが幸いした。
 いつも通勤の市バスに乗るときは一番後ろの席に座ることにしている。そのほうが寒くないからだ。昨日も後ろの席に座って前を見ていたら、あっ!、自転車の影。バスは急ブレーキをかけセーフだった。自転車のお兄ちゃんはそのまま横町へ消えていった。さて発車かとおもったとたん、運転手がお怪我はありませんかと馬鹿丁寧に乗客に尋ねる始末。
 最初に訪ねたぶあつい眼鏡をかけたオバハンが、なんか眼が赤くなっているなどという法外なことを言い出す始末。「では下車駅で職員待機させますので、病院にいってください」、というなんとも馬鹿丁寧な対応。そのほかにお怪我の方は!、みんな大丈夫と平然としていた。
 さてと思ったら市バスはバスレーンを外れて路肩に停車。運転者は携帯で「急停車で乗客1名怪我の模様」と連絡している。そのうちオバハンは、きまりが悪くなり「大した怪我でもない、いや怪我ではないかも」と言い出す始末。こういう過剰な反応を示す乗客のことを、過大な被害者意識と呼んでおこう。
 そう言う人種が名古屋には多いようだ。つまり甘えの構造なんだな。いい年こいて甘えかよ。ああっ、名古屋市は最近過大な被害者意識対応の世界なんだ。どうりで気持ちが悪くなるぐらい馬鹿丁寧だよな。私に言わせりゃそんなものはサービスでもなんでもない。
 結局名古屋の三省堂の閉店にギリギリ間に合い、本を選ぶまもなく、もうこれって感じでレジに駆けつけようやくセーフだった。トム・クランシーの「レッド・オクトーバー」を探していたのだが探す時間がない。代わりに手にしたのが「暗号解読」上下の2冊と官能小説だった。
 過大な被害者意識のおかげて、本を探しそびれたよ。まったく、もう!、という感じだね。

京都市・若宮通
OLYMPUS E-M1,M.ZUIKO DG9-18mm/F4.0-5.6
ISO200,焦点距離9mm,露出補正0,f4.5,1/250.
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PEN LIFE875. バス・ハイキング

2014年03月03日 | Kyoto city
 日曜日の午後、京都市バスの1日乗車券とバス路線図を手に、市内のバスハイキングを試みた。少しアングルが高い分いつもと違う風景が見えるなかと思った。
 京都駅から、208番で反時計回りに羅生門を目指し、ついで202番に乗り換え熊野神社前、65番に乗り換え叡電元田中、204番に乗り換えで北大路バスターミナルでトイレ休憩、204番で北野白梅町、一条商店街を歩いて抜け下立売から50番で西洞院正面に付く頃には陽も暮れていた。これで 京都の外周を回ったわけだ。
 バス路線図をみると廃止された路線があり、大方の路線は幹線道路中心のループ回りという実につまらない路線になってしまった。だから、あまり車窓の風景は期待したほどではなかった。それに数年前と比べると、あきらかに京都固有の印象的な空気が希薄だ。ここ数年で印象的な風景が明らかに消えていったと思われる。そしてどこにでもある都市の一般的な風景かわってしまったといったらよいのだろうか。
 あるいは季節が悪いのか。雪のときなど街が騒然とし、バス停の標識と背後の魚屋さんといったカットが随分記憶にあるが、昨日はそんな余韻すらなかった。ともかく街がつまらなくなったことは確かだ。京都は、バス路線のない通を歩いた方がよさそうだ。
 まあ500円の1日バスチケットで6回乗ったのだから、もとはとった。昨日はE-M1とE-P5という調査用システムを持参したが、どうせバスの窓ガラスが汚れているときもあるのだから、バスハイクのときにはペンミニにパンケーキレンズでラフモノクロームモードで撮るのがよさげだな。

京都市・202系統祗園
OLYMPUS PEN E-P5, LEICA MACRO ELEMARI T 45mmF2.8
ISO200,露出補正0,f4.5,1/250.
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PEN LIFE874. 立誠小学校

2014年03月02日 | Kyoto city
 木屋町通、高瀬川沿いに元立誠小学校がある。立誠小学校という音感がとてもよい。それは「論語」の一節から命名され、『人に対して親切にして欺かないこと』を意味し,未来を担う子供達への願いがこめられたものと、WEBでは解説していた。都心に建っている歴史ある小学校といったら、東京では銀座の泰明小学校とか明石小学校だろうか。
 旧土佐藩邸跡に建てられた立誠小学校は、現在学校統合が進んで廃校となり、 シティアートなどの展示スペースや映像シアターとして利用されている。3階にあがると自彊室 と呼ばれる80畳の和室があるのが、いかにも京都の学校だ。
 私は見逃したので残念だったのだけど、先日は「フォスター卿の建築術」という映画を上映していた。ここでは、一般の映画館では見られないアーティスティックな映像作品がいつも上映されている。横浜でいえば今は閉館されてしまったZAIMだ。ただしこちらは京都のシティアートの牙城として今も健在である。
 さて京都の小学校には、力作と思われる近代建築が数多くあり、学校統合で廃校にされたものも多いが、再利用されているものもままある。そんな建築を訪ねると、少しきしむ木の廊下、階段の擦りきった手すり、古いスチール製の窓枠、或いは白いタイル貼りの水飲み場など、時間の蓄積が感じられていて面白いものがある。

京都市・備前島町立誠小学校
OLYMPUS OM-D E-M1, M.ZUIKO DG35mm/F1.8
ISO100,露出補正-0.3,f1.8,1/60
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PEN LIFE873. 備前島町図子

2014年03月01日 | Kyoto city
 格子状の都市構造を持つ京都の街。そこまでは明解なのだが、さて格子で囲まれた四角い街区の中はどのような空間構造になっているのか。実はその格子を成立させているのが、通りから通りへと抜けられる図子や、通から奥へと続くL字型やT字型の行き止まりの路地(ろーじ)なのである。路地の奥に小さな民家が密集している。いずれどこかの原稿で京都の路地について書こうかと考えている。
 ところで備前島町図子は、河原町繁華街の隙間から入り立誠小学校の裏で行き止まりだろうと思って進んでゆくと、L字型に道は折れ曲がり、河原町と木屋町とをつなぐ横町へ続く。つきあたりに土佐稲荷がある。そうこの立誠小学校の辺りは、旧土佐藩邸だったのである。坂本龍馬遭難の碑文もすぐ近くに残されている。
 備前島という町名の由来をWEBで探れば、もともと高瀬舟の舟士達を備前の国(岡山県)から呼び寄せて、この地に住まわせたと書かれてある。だが備前島というのは、大阪城の近く都島区網島町のあたりの旧地名でもあり、幾つかの河川がある一帯ということを考慮すれば、こちらから舟士を集めたのではないか、と言う説もあるように私は思う。
 この図子を歩くと河原町や木屋町の繁華街にあって、至極普通の住宅がいくつかあるミスマッチのようなところが面白い。住むことと商うことが一緒であった時代の名残であろうか。図子という空間によって繁華街の賑わいが、突然静かな空間に変わってゆく。なかには、少し妖しいスペインパブなるものもあり、 通りから中が伺えないように目隠しがされた拒絶的設えは、いずれ探検しようかどうしようか迷うところである。
 1/5というスローシャッターにもかかわらず、画像はぶれていない。E-M1の5軸手ぶれ補正効果だろう。こういうところはオリンパスの優れたところである。
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