デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

9月の雨

2006-09-24 06:59:00 | Weblog
 強風が吹いたものの、幸い当地は台風による被害はなく、今日は朝から雲一つない秋晴れだ。にも拘らず雨の話題とはこれいかにと言われそうだが、9月にネタにしようと思っていたタイトルだ。予報では来週の日曜日も晴れの予想、全国どこかで雨が降っていて、ページを開けた途端、今日の天気にぴったりだと頷く方もいらっしゃると仮定している。要するに他に話題がない。(笑)

 35年に映画のBGM用に作られたという「9月の雨」は、ジョージ・シアリングがテーマ曲として取り上げるまではそう知られる曲ではなかった。以来、録音数は多く、日本では渡辺プロダクションの創始者、渡辺晋さんのグループ、シックス・ジョーンズもテーマ曲にしていた。幾多の唄物のベストとしてサラ・ヴォーンの「ミスター・ケリーズ」を挙げたい。58年のライブ盤で、円熟味を増したモダンなフレーズは、思わず唸るほどに素晴らしい。このアルバムの「ウィロー・ウィープ・フォー・ミー」では、マイクを倒すハプニングを歌詞に織り込み観客を沸かす場面もある。昨日今日デビューしたての歌手では到底真似のできないアドリブだ。

 10年ほど前に、日本のサラ・ヴォーンの恋人と呼ばれていた、プロモーターの斉藤延之助さんにお会いする機会があった。斉藤さんが招聘したプレイヤーのお話をお伺いするうち、サラの話になった。「サラはさらっとした人でしてねぇ」等と真顔で仰るものだから、思わずビールを噴き出すところだった。小生のように冗談が服を着て歩いているような人間は、まともな事を言っても駄弁にしか受け取られないが、気骨な紳士の斉藤さんの場合、そうは聞こえない。「エラ・フィッツジェラルドは、和田アキ子が気に入り、自分のアルバムを彼女に贈っていましたよ。サイドメンにも気配りをして、エラは偉ぶったところがないんです」と美味そうに焼肉を食べておられた。小生は肉ではなく、舌を噛んでいた。

 先週は「アーリー・オータム」、そして「9月の雨」と、9月定番のタイトルが続く。来年の9月はネタがないのでは・・・ご心配無用です。来年のタイトルは「初秋」に、「セプテンバー・イン・ザ・レイン」ですからご安心を!(笑)
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アーリー・オータム

2006-09-17 07:30:07 | Weblog
 ロバート・B・パーカーのハードボイルド小説「初秋」は、「都市再開発の連中がまた襲ってきた」で始る。私立探偵スペンサーを主人公としたシリーズの傑作だ。最近は女性探偵が流行っているが、心優しい男の探偵が主体のネオ・ハードボイルドのほうが、ヒューマンで読み応えがある。このスペンサーはネオ派にありがちな敗残者のイメージはなく、小生同様、生活信条も健全で、秋の訪れとともにページを開きたくなる一冊だ。

 「涼しくなりましたね」という挨拶が交わされるこの季節、読むのが「初秋」なら、聴かずにいられないのが「アーリー・オータム」だ。今日は展開が偶然とはいえ自然で無理がない。(笑)ウディ・ハーマンのバンドは解散前をファースト・ハード、再結成後をセカンド・ハードと呼んでいる。「フォア・ブラーズ」と称されるハービー・スチュアート、スタン・ゲッツ、ズート・シムズ、サージ・チャロフのサックス・セクションがトレード・マークのセカンド・ハードは、バップ時代のディジー・ガレスピーのバンドと並びエキサイティングでモダンなバンドだと思う。

 そのセカンド・ハード時代のスタン・ゲッツの名演が、48年録音の「アーリー・オータム」で、ラルフ・バーンズが書いた組曲「サマー・シークエンス」に挿入されていたものだ。3本のテナーとバリトンとのユニゾンを強調したもので、クールの夜明けともいえるゲッツのテナーソロは古今の名演に数えられる。以降ゲッツはスタイルを変えてハードになっていくが、バラード・プレイは、この時期に完成されたと言ってもいい。短いソロながら言い知れぬ包容力と吸引力を持っている。

 何事も起きなかった夏でも、その名残と、初秋の佇まいは郷愁を誘う。しばし、短い季節を秋風のように爽やかなゲッツの音色に身を浸したい。もうすぐ「寒くなりましたね」と、交わされる挨拶も変わる。パーカーの「初秋」は、「もうすぐ冬になる」で終わる。
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コートにすみれを

2006-09-10 06:51:35 | Weblog
 テニスの全米オープンが開催されていて、マリア・シャラポワが、決勝に勝ち進んだ。益々、強さを増したが、美しい顔に似合わない野獣のような雄叫を上げてコートを走り回る妖精は、恐ろしい迫力すらある。コートに咲くロシアの華もまた、女帝エカテリーナや、エリザヴェータのように、強く、恐ろしく、美しい。

 弾き語りの名手マット・デニスは、曲作りにも長けていて、1000曲以上の曲を書いている。「ウイル・ユー・スティル・ビ・マイン」、「エンジェル・アイズ」、「エブリシング・ハプン・トゥー・ミー」等、長く歌い継がれる美しい代表曲が並ぶ。個性的なフレージングと、スキャットを交えた当意即妙な歌いかたは、ユニークな味があり、「プレイズ・アンド・シングス」で、これらの自作曲を取り上げ、名人芸ともいえる軽妙洒脱な弾き語りを披露している。

 ジョン・コルトレーンの名演もある「コートにすみれを」もデニスの曲で、デニスが美しい女性とテニスを楽しむコートの傍らに、美しく咲くすみれをイメージしたものだ。と、思っていたら大変な間違いで、原題は「Violets For Your Furs」という。テニスコートではなく、毛皮のコートだと知ったのは随分後の事で、大恥を掻くところだった。アメリカのように女性に花を贈る習慣もなく、毛皮のコートにすみれを挿している女性も見かけたことがないだけに、哀しいかな日本的発想をしてしまう。

 濃い紫色のすみれは、この曲とイメージが繋がると花の観賞も、曲の鑑賞も美しく楽しいものだ。宝塚スターのタカラジェンヌもまた「すみれ」と呼ぶ。どちらかというと、美しいこちらのすみれの観賞はもっと楽しい。
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惑星

2006-09-03 07:11:39 | Weblog
 冥王星が惑星から外されたそうだが、女性に星が綺麗ね、と言われても星の輝きではなく、胸元のネックレスの輝きに視線がいくほうだから、どうにも関心が薄い。「スイキンチカモクドッテンカイメイ」と語呂で覚えたことを思い出すが、これも「富士山麓にオオム鳴く」と同様、日常使うこともない。除外されたことによりどのような影響があるのか解らないが、天文学も惑星を定義できるほどに進歩したということだろうか。

 エリック・ドルフィーの60年の初リーダー・アルバム「Outward Bound」が、国内盤で発売された時のタイトルは「惑星」だった。最近発売のCDは原題のタイトルのままだが、邦題のほうが新鮮な響きがあるように思う。ジャケットの緑を基調としたシュールな絵は、ニュー・ジャズというレーベル名と相俟って未知の新しいジャズを想起させる斬新なデザインだ。トレードマークの顎鬚も印象的で、髭も生え揃わない高校生の頃には随分憧れた。ジャズ喫茶の10店に1店は、このドルフィー髭を蓄えたマスターがいて、このアルバムをリクエストすると、コーヒーが一杯サービスされることになっている。(笑)

 このアルバムでは、アルト・サックスの他フルート、バス・クラリネットを吹いている。「グリーン・ドルフィン・ストリート」は、恐らくバスクラでは本格的な演奏と思われるが、アルトでは表現できないアイデアをバスクラで具現したものであり、フルートもまたドルフィーが美の観念を追求するために選んだ楽器なのだろう。何れも強烈な個性が滲み出ている傑作だ。竹内直さんのソロ・ライブでバスクラという楽器を間近にしたが、その大きさと深い音に強く惹かれた。ドルフィー以降この楽器を手にするジャズマンが少ないのは残念だ。

 惑星群の歴史からすると、発見されてから76年の冥王星が惑星とされた時期は短い。ドルフィーもまた36年という短い生涯だった。この初リーダー・アルバムから最後の作品「ラスト・デイト」まで冥王星のようには外せない作品群が並んでいる。
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