ノーキー・エドワーズの訃報に接したとき、しばし時間が止まった。ステージでかっこよくモズライトを弾く姿を客席から見ているだけの遠い存在だったが、小中学校からの友人を亡くしたような寂しさだ。拙ブログをご覧いただいている若いジャズファンはご存じないギタリストだが、団塊前後の世代にとっては懐かしい名前であり、60年代後半にエレキギターを手にした人にとっては神様である。
一大エレキブームが訪れたのはベンチャーズが来日した1965年だったろうか。「ウォーク・ドント・ラン」に「クルーエル・シー」、「10番街の殺人」、「ダイアモンド・ヘッド」、「パイプライン」、「秘密謀報員」・・・次から次へとヒットした。エレキギターが飛ぶように売れ、全国各地で多くのバンドが結成される。今のように映像で簡単にテクニックを学べる時代ではないので、ノーキーのチョーキングや速弾きを会得するため、譜面と睨めっこしながらレコードを何度も聴いて練習を重ねたものだ。お祭りやイベントにエレキバンドは引っ張りだこで、エレキ合戦というテレビ番組に出ることを目指していたバンドは多い。
ある日、ラジオで驚くべきことを知る。「ベンチャーズでヒットしているキャラバンをオリジナルのデューク・エリントン楽団でお聞きください」と。当時は曲の作者にまで興味がいかず、ヒット曲は全てベンチャーズのオリジナルだと思っていた。後に知ることになる1936年12月19日録音の初演だ。作者の一人ファン・ティゾールも参加したセプテットで、幻想的なアンサンブルは砂漠を行くキャラバン隊を想起させる。そして何よりもクーティ・ウィリアムスにハリー・カーネイ、バーニー・ビガードの煌めくソロはそれまでの音楽観を覆すことになる。体中に電気が走った。いや、正確に言うなら電気が抜けたのだろう。エレキ小僧がジャズ少年に変わった瞬間である。
「Walk Don't Run」はジョニー・スミスのオリジナルで、ロジャース&ハートが作った曲「Slaughter on Tenth Avenue」はアニタ・オデイが歌っている。マリガンのレパートリー「Lullaby Of The Leaves」や、ビリー・ホリデイの名唱に涙する「Blue Moon」もベンチャーズの演奏で知った。ジャズへの入り口は様々だが、ベンチャーズからこのジャズという魔界に迷い込んだ人もいるだろう。エレキの神様。享年82歳。テケテケテケ・・・合掌。
一大エレキブームが訪れたのはベンチャーズが来日した1965年だったろうか。「ウォーク・ドント・ラン」に「クルーエル・シー」、「10番街の殺人」、「ダイアモンド・ヘッド」、「パイプライン」、「秘密謀報員」・・・次から次へとヒットした。エレキギターが飛ぶように売れ、全国各地で多くのバンドが結成される。今のように映像で簡単にテクニックを学べる時代ではないので、ノーキーのチョーキングや速弾きを会得するため、譜面と睨めっこしながらレコードを何度も聴いて練習を重ねたものだ。お祭りやイベントにエレキバンドは引っ張りだこで、エレキ合戦というテレビ番組に出ることを目指していたバンドは多い。
ある日、ラジオで驚くべきことを知る。「ベンチャーズでヒットしているキャラバンをオリジナルのデューク・エリントン楽団でお聞きください」と。当時は曲の作者にまで興味がいかず、ヒット曲は全てベンチャーズのオリジナルだと思っていた。後に知ることになる1936年12月19日録音の初演だ。作者の一人ファン・ティゾールも参加したセプテットで、幻想的なアンサンブルは砂漠を行くキャラバン隊を想起させる。そして何よりもクーティ・ウィリアムスにハリー・カーネイ、バーニー・ビガードの煌めくソロはそれまでの音楽観を覆すことになる。体中に電気が走った。いや、正確に言うなら電気が抜けたのだろう。エレキ小僧がジャズ少年に変わった瞬間である。
「Walk Don't Run」はジョニー・スミスのオリジナルで、ロジャース&ハートが作った曲「Slaughter on Tenth Avenue」はアニタ・オデイが歌っている。マリガンのレパートリー「Lullaby Of The Leaves」や、ビリー・ホリデイの名唱に涙する「Blue Moon」もベンチャーズの演奏で知った。ジャズへの入り口は様々だが、ベンチャーズからこのジャズという魔界に迷い込んだ人もいるだろう。エレキの神様。享年82歳。テケテケテケ・・・合掌。