デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

スティーヴ・グロスマンは先を読んでいたのか

2015-10-25 08:18:45 | Weblog
 スティーヴ・グロスマンを初めて聴いたのはマイルスのフィルモア・ライブ盤だ。録音された1970年当時、ジャズ誌でウェイン・ショーターの後釜として加入する無名のサックス奏者が話題だった。マイルスが連れてくるのは一体どんな奴だろう?驚いたことに18歳だという。リー・モーガンやトニー・ウィリアムスの例をみるまでもなく、10代でデビューするのは珍しくないが、小生とほぼ同世代となれば親近感もわく。

 正しい聴き方とはいえないが、どうしても前任と比べたくなる。ライブ、それも大物との共演となれば緊張するのだろう、キーを押さえる指先の湿りをも感じるプレイだ。ショーターのような起伏はないもののストレートに吹くソプラノの音はバンドのサウンドを踏襲しているとはいえ、音楽的には親分が目指しているものとズレがあり、全体と馴染めない感がある。その後の録音でもその印象が拭えないころリリースされたのは、エルヴィン・ジョーンズの「Merry-Go-Round」、「Mr. Jones」そして「Live at the Lighthouse」。このライブが凄かった。エルヴィンのポリリズムに煽られて暴れまくるのだ。

 この時期からテナー・サックスを吹いているのだが、コルトレーン・スタイルをベースに豪快に吹きまくる。その激しさは失った時代を取り戻すようで気持ちよかった。順調にリーダー作を作っているが、なかでも貴重な録音は2000年の「Steve Grossman with Michael Petrucciani」だろう。残念なことにペトルチアーニ最後のスタジオ録音になったからだ。二つの才能がぶつかりながら融和していく様はドラマティックで、「Ebb Tide」に始まり、「You Go To My Head」や「Body & Soul」、「Don't Blame Me」をはさみ「In A Sentimental Mood」で終わる。バラード表現はこうだよと言わんばかりだ。

 フィルモアのライブは伝統を重んじるジャズファンからブーイングにあう一方、ロックファンからは歓迎された。電化マイルスは賛否両論だが、70年代のジャズシーンを変えたことは事実だ。グロスマンがマイルス・バンドをいち早く抜けたのは音楽的不適合もあるが時代の先を行っていたようにも見える。このライブで電気を使っていたチック・コリアもキース・ジャレットもデイヴ・ホランドも次第にアコースティックに回帰していく。
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ビヴァリー・ケニーとヒュー・ヘフナー

2015-10-18 09:01:03 | Weblog
 先週、米プレイボーイ誌が看板だった女性のヌードグラビア掲載を取りやめるというニュースが飛び込んできた。インターネットでヌードが簡単に見られるようになり、発行部数が落ちたことによる方針転換のようだ。今は手に取ることもなくなったが、若いころは小生同様ベッドの下に隠していた方もおられよう。売りはプレイメイトと呼ばれるヌードモデルで、毎月毎月ナイスバディの美女を集めてくるものだと感心した。

同誌はウサギをデザインしたロゴで有名だが、これはウサギの性欲が異常に強いからという。なるほどの符合だ。因みにオーナーのヒュー・ヘフナーもウサギ並みで、ベッドを共にした女性の数は1000人以上というから驚く。当然美女ばかりだから羨ましい限りだ。それはさておき、ウサギのジャケットといえばビヴァリー・ケニーの「Sings For Playboys」がある。ルーストで3枚リリースしてからデッカに移籍した1957年と58年に録音されたアルバムだ。奇しくもケニーとヘフナーがテレビで共演している。リリースとテレビ放映はどちらが先かわからないが相乗効果は間違いない。

 ちょっと舌っ足らずで男性の腕にからめるような甘い声がくすぐる。エリス・ラーキンスのピアノとジョー・ベンジャミンのベースだけというバックなので、このようなタイプのシンガーを聴くには最高の編成といっていい。アルバムタイトルの如く世のプレイボーイがメロメロになるような選曲で、なかでも一発悩殺は「Try A Little Tenderness」だ。ヴァースからささやくように歌い出し、コーラスに入ってもグッと感情を抑えている。曲におぼれず自身をコントロールするあたりはお見事。美女に「ちょっぴり優しくしてね」なんて歌われようものならプレイボーイでなくてもその気になるだろう。

プレイボーイ誌の創刊は1953年だ。最初のカバーガールはマリリン・モンローで、あの有名なヌードが掲載されている。外国も日本も男性誌にヌードグラビアが当たり前になったのはこれに端を発する。多くの雑誌が創刊されては消えてゆく時代に60年以上も発刊しているのは驚異だが、ヌードがなくても生き延びることができるだろう。プレイボーイ誌のヌードはほんの一部で多くのサブカルチャーが詰まっている。
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スウィング時代のリーダーを育てたアイシャム・ジョーンズ

2015-10-11 09:05:59 | Weblog
 先週、月を話題にしたせいか、つい夜空を見上げる。月をテーマにした曲を思いつくだけ並べたあと、どうしても頭を巡るのは星だ。星となるとそれこそ曲は星の数ほどある。その中で一番輝いているのは「スターダスト」で、1965年にリーダース・ダイジェスト誌が、読者の最も好きな歌を調査したときトップだった曲だ。1927年に発表されてから現在まで録音が切れることがないので、バージョンはおそらく1000種を超えると思われる。

 では、最初にこの曲をヒットさせたのは誰だろう?作者のホーギー・カーマイケルが速いテンポで28年に録音しているが、これは話題にならない。その2年後に原曲の持ち味に注目し、ややテンポを落として大ヒットさせたのはアイシャム・ジョーンズ楽団だった。この曲をバラード・ナンバーとしてイメージさせたお手本と言っていい。アイシャムは1920年から30年代に活躍したバンドリーダーだが、演奏は聴いたことがなくても作曲者のクレジットで間違いなく目にしている。ダイナ・ワシントンの「Dinah Jams」、小川のマイルスと呼ばれている「The New Miles Davis Quintet」、ロリンズの「Way Out West」、ゲッツとバロンの「People Time」・・・

 そしてホレス・パーランのブルーノート初リーダー作「Movin' & Groovin'」。曲は「There Is No Greater Love」だ。サム・ジョーンズとアル・ヘアウッドという名手をバックをミディアム・テンポで閃きのあるフレーズを重ねている。パーランは5歳のときポリオにかかったため右手の自由が利かないが、それを克服して独自のスタイルを身に着けたピアニストだ。鍵盤で指のリハリビに励み、工夫して弾くことでグルーヴを生み出す。アルバムタイトルは努力の人、パーランに敬意を込めてライオンが付けたという。そのライオンの期待に応えるかのように僅か3か月後に「Us Three」という超弩級の名盤を残している。 

 アイシャムの「スターダスト」のアレンジをしたのは、先の録音でヴァイオリン奏者として参加しているヴィクター・ヤングだ。ハリウッドに移って映画音楽でヒットを飛ばす前のことである。また、この楽団には後に編曲家として大成するゴードン・ジェンキンスやベニー・グッドマンもいた。アイシャムは引退するとき将来有望なウディ・ハーマンにバンドごと譲っている。スウィング・ジャズの繁栄はアイシャムなしではありえない。
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バーモントでもスーパームーンが見えただろうか

2015-10-04 06:53:19 | Weblog
 先週28日、終電も近くなった薄野で信号待ちをしていると、フルムーンらしきカップルの男性が空を見上げて「大きな月だぁ!」と感嘆の声を上げた。つられて見てみると雲の合間に浮かぶ月は確かにでかい。そういえば日曜日朝のラジオ番組で月の曲の特集をしていたのを思い出した。今日はスーパームーンだ。連れの女性はと言うと空をチラッと見ただけで信号が変わるのを待っている。「青だよ!」と言うなり先に歩き出した。ロマンを忘れないのは男の特権か。

 件のラジオ番組は地元の松永俊之氏がパーソナリティーを務める「MY LIFE MY MUSIC」で、懐かしいスタンダード・ナンバーで構成されている。季節に合わせた特集を組んでいるので、今週は月というわけだ。神秘的な月を見ると誰でもが詩人になるらしく、紹介された曲はどれも美しい。1944年に発表された「Moonlight in Vermont」は作曲も作詞も無名の二人だが、45年にビリー・バターフィールドのオーケストラをバックにマーガレット・ホワイティングが歌ったレコードがヒットしている。ビリーの甘いトランペットと可憐でストレートに歌うマーガレットの程よいブレンドは心地良い。

 この曲は変則的な6小節構成で、それが面白いとみえて多くのインストのカバーがあるが、なかでも名演の呼び声が高いのはジョニー・スミスだ。写真のルースト盤「Johnny Smith Quintet Featuring Stan Getz」は、1953年の録音も収録した12吋だが、10吋盤は52年のダウンビート誌のレコード・オブ・ザ・イヤーに輝いたほどの名盤である。澄み切った絃の音色を邪魔しない程度にテナーをかぶせるスタン・ゲッツが歌っているし、後半に入るエディ・サフランスキーのベースソロも見逃せない。ベンチャーズで大ヒットした「ウォーク・ドント・ラン」の作曲者としてつとに有名なスミスだが、ギタリストとしても超一流である。

 ネオンに目を奪われて月に気付きもしないが、自然の明るさはとてつもなく目映い。先のフルムーン・カップルも若いころは「Moonlight Serenade」で踊り、気分は「Fly Me to the Moon」だったろう。亭主おかまいなしに先を急ぐ妻、溜息を付きながらその後ろを付いていく夫。どなたが詠んだのか知らぬが思わず御同輩とうなずいた川柳がある。「フルムーン うっかり妻を 毒と書き」
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