上映中やこれから封切予定の作品にシンガーやミュージシャンのドキュメンタリーと彼らを題材にしたものが並んでいる。狂気の天才と呼ばれたチリー・ゴンザレスの「黙ってピアノを弾いてくれ」、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」、「エリック・クラプトン 12小節の人生」、レディー・ガガ主演の「アリー スター誕生」、ホイットニー・ヒューストンの素顔に迫る「オールウェイズ・ラヴ・ユー」、スキャンダルとバッシングの「私はマリア・カラス」、チケット完売神話の「バルバラ セーヌの黒いバラ」・・・
そして、「ピアソラ 永遠のリベルタンゴ」。タンゴ界の革命児アストル・ピアソラの生の声が聞ける。タンゴといえば「ラ・クンパルシータ」、ピアソラというとバンドネオンの知識しかなかったが、ジェリー・マリガンとの共演盤「Summit」でピアソラをじっくりと聴いた。哀愁漂うバンドネオンの音色が渇いたバリトンの低音とほど良くマッチして夜の巷を徘徊するような自由と孤独に浸れる。タンゴの情熱や色気と、ジャズの即興と興奮を期待すると手も足もリズムのバランスを崩してしまうが、それぞれの分野で活躍し、楽器を極めた二人のセッションはジャンルを超えた一つの音楽として立派に成立している。
劇中二人の演奏シーンもあって興味深い。ここでピアソラは尊敬するマリガンと共演できて嬉しい、そして何よりも自分の曲をマリガンが演奏してくれたことに感謝していると語った。ニューポート・ジャズ・フェスティバルの創設者ジョージ・ウェインに言わせると、マリガンは相当な目立ちたがり屋なので、「Line For Lyons」や「Walkin' Shoes」を持ち込みそうにみえるが、この「Summit」にしてもマリガンのは1曲だけで他のトラックはピアソラの曲で占められている。そういえばモンクとの共演でもモンクの曲が中心だった。マリガンは相手に華を持たせる控え目な男だったのかも知れない。
踊るタンゴを聴くタンゴに変えたピアソラは保守的なファンからバッシングを浴びる。フロアで踊るスウィングジャズから客席で聴くビバップに変わった時と同じだ。その前衛的なタンゴも即興演奏が主体のビバップもやがて主流になる時代がくる。ピアソラがタンゴ革命の可能性を探り、エレキギターを取り入れた楽団を結成したのは1955年のことだ。奇しくもチャーリー・パーカーが亡くなった年である。
そして、「ピアソラ 永遠のリベルタンゴ」。タンゴ界の革命児アストル・ピアソラの生の声が聞ける。タンゴといえば「ラ・クンパルシータ」、ピアソラというとバンドネオンの知識しかなかったが、ジェリー・マリガンとの共演盤「Summit」でピアソラをじっくりと聴いた。哀愁漂うバンドネオンの音色が渇いたバリトンの低音とほど良くマッチして夜の巷を徘徊するような自由と孤独に浸れる。タンゴの情熱や色気と、ジャズの即興と興奮を期待すると手も足もリズムのバランスを崩してしまうが、それぞれの分野で活躍し、楽器を極めた二人のセッションはジャンルを超えた一つの音楽として立派に成立している。
劇中二人の演奏シーンもあって興味深い。ここでピアソラは尊敬するマリガンと共演できて嬉しい、そして何よりも自分の曲をマリガンが演奏してくれたことに感謝していると語った。ニューポート・ジャズ・フェスティバルの創設者ジョージ・ウェインに言わせると、マリガンは相当な目立ちたがり屋なので、「Line For Lyons」や「Walkin' Shoes」を持ち込みそうにみえるが、この「Summit」にしてもマリガンのは1曲だけで他のトラックはピアソラの曲で占められている。そういえばモンクとの共演でもモンクの曲が中心だった。マリガンは相手に華を持たせる控え目な男だったのかも知れない。
踊るタンゴを聴くタンゴに変えたピアソラは保守的なファンからバッシングを浴びる。フロアで踊るスウィングジャズから客席で聴くビバップに変わった時と同じだ。その前衛的なタンゴも即興演奏が主体のビバップもやがて主流になる時代がくる。ピアソラがタンゴ革命の可能性を探り、エレキギターを取り入れた楽団を結成したのは1955年のことだ。奇しくもチャーリー・パーカーが亡くなった年である。