デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

JATP

2006-10-29 07:04:08 | Weblog
 先週、藤岡琢也さんのジャズ葬が営まれ、生前交流のあった岸ミツアキさんによる献奏で旅立たれた。演技の枠を超えた人情味溢れる「渡る世間は鬼ばかり」のお父さん役は忘れられない。インスタント・ラーメンのCMも、その温かい人柄により一層美味しく映り、インスタント麺は札幌一番と決めていたくらいだ。

 藤岡さんは、自身でもトロンボーンを演奏され、「Let's Swing Now」という5枚のアルバムでプロデューサーとして選曲に関わるほどジャズへの造詣は深い。「今夜はジャズで」という著書に、昭和28年に大阪でJATPを聴いたことによりジャズに開眼したと記されている。オスカー・ピーターソン、ジーン・クルーパ、それに藤岡さんの言葉をお借りすると、「フリップ・フィリップスなんてアメリカ製のタバコみたいな人や、レイ・ブラウンはレス・ブラウンの間違いじゃないか、エラ・フィッジェラルドも長ったらしくて舌を噛みそうな名前だからたいした歌手じゃないだろう」という顔ぶれだ。今にしてみると豪華メンバーである。

 JATP(Jazz at the Philharmonic)は、ピカソの蒐集家としても有名なノーマン・グランツが、ジャズ・コンサートを主宰して全米ツアーで成功させたもので、その実況録音がヴァーヴ・レコードの出発点になっている。今でこそライブ盤は珍しくないが、興業のライブ音源をレコード化したグランツの慧眼は驚くべきものがある。全米ツアーで成功したあと、ヨーロッパ、日本でツアーを重ね、ジャズを世界に広めた功績は大きい。戦後間もない昭和28年にJATPを聴いたことで一気に日本でもジャズ・ファンが増えたであろうことは容易に察しがつく。

 「俺はタクヤだよ、ブタヤという奴がいてトンでもないよ」と笑っておられたのを思い出す。台詞は必ず憶えて稽古に臨み、台本を持ってこなかったという藤岡さんは、ゆっくりジャズを楽しむ暇はなかったかもしれない。これからは「今夜はジャズで」ではなく、「今夜もジャズで」寛いで頂きたい。享年76歳。合掌。
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グライス・グラス

2006-10-22 06:59:16 | Weblog
 各界の著名人から日本メガネドレッサー賞が発表された。老眼鏡しか愛用していない小生は、メガネに関心を払うことはないが、眼鏡店の広告を見てみるとデザイン、色等バラェティに富んでいて面白い。メガネも顔の一部ともなれば、実用性ばかりでなくファッション性も問われることになろうか。なるほど受賞者は顔とメガネに一体感があり良く似合っている。

 ジャズ界のメガネドレッサーは?と思い数名が候補に挙がったが、小生の1票でジジ・グライスに決定した。(笑)時に知的なイメージを与えるメガネなのだが、グライスのメガネは、その知的な音楽性を映し出すかのようにフィットしている。作編曲者として知性溢れる作品を発表しているが、知的と言われるリー・コニッツはあくまでクールなのに対して、グライスのそれはイースト派の流れに沿ったよりスウィング感がある仕上がりで、バップの智嚢ともいえる。

 写真は「ザ・ハプニンズ」という60年の作品で、切れ味の良いアルトプレイが聴ける。リチャード・ウイリアムス、リチャード・ワイワンズといった実力派を揃えてのセションで、グライスの代表作「ニカス・テンポ」も収められている。イースト派の後援者だったニカ男爵夫人に深い畏敬の念を込めらた曲で、洗練されたメロディーラインが美しい。ホレス・シルバーも「ニカズ・ドリーム」という曲を彼女に贈っていた。チャーリー・パーカーを描いた映画「バード」で、ニカ男爵夫人がパーカーの最後を看取るシーンがあったが、実話に基づいている。

 メガネ美人という言葉があるように、かけると美しく見えたり、逆にはずしたら凄い美人だったりということもあるメガネは、時にはサングラスで素顔を隠すこともできる便利なものでもある。発言が二転三転と翻るある中学校の校長と、その裏で蠢き責任逃れを謀ろうとするある県の教育委員会は、色眼鏡で見られても仕方がない。
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直立猿人

2006-10-15 06:50:31 | Weblog
 イリオモテヤマネコの発見者で、作家の戸川幸夫さんの著書に「ヒトはなぜ助平になったか」というのがある。贔屓の作家や興味のある分野の本はタイトルに注目することもないが、人類学、動物学に関心はなくてもタイトルで手に取りたくなる一冊だ。学術的な記述は難解だが、抽象的な「ヒト」を「ワタシ」に置き換えると頷ける部分が多い。特に小生の場合は・・・(笑)

 助平になった理由に、最初のヒトに近い類人猿が二本足で立って歩くようになり、手が自由に使えるようになったことも一つに挙げている。その直立歩行という人類史に大きく踏み出す一歩というのは漠然としたものだが、幼い這い歩きの子どもが自分の足で立ち、歩く姿に置き換えるとより身近に感動が伝わってくるものだ。その歴史を音で表現したのがチャールズ・ミンガスの「直立猿人」で、ミンガスの代表作でもあり、ジャズアルバムの傑作でもある。ジャッキー・マクリーン、J.R.モンテローズのサックスをフロントに配した5人編成なのだが、これがビッグバンドのように重厚な色彩感溢れるサウンドで一気に引き込まれてしまう。

 「直立猿人」は4パートで構成されており、進化から優越感、衰退、滅亡へと展開するストーリーは、皮肉屋ミンガスらしい内容で、サックス陣の咆哮や、「静」のイメージが強いマル・ウォルドロンのパーカッシブな「動」のピアノ、怒れるミンガスのベースも強靭だ。この曲ほどタイトルと曲想が一致するのも珍しい。例えばジャズクラブをモチーフにした「ボヘミア・アフター・ダーク」と「ファイブ・スポット・アフター・ダーク」が入れ替わっても違和感はないが、この「直立猿人」ばかりは他のタイトルには置き換えることができない。

 この本は「性談動物記」とサブタイトルが付いていて、種類によっては羨ましくなる動物も紹介されていた。方法が異なっていても種の繁栄という点ではヒトも動物も同じだが、ヒトは家族という単位で社会を発展させることにあると説いている。動物の中には異様とも思える行為をするものいるが、手鏡や女子高生の制服を隠し持つどこぞの大学教授のように「助平」を「変態」に置き換えるヒトは困りものだ。
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クッキン

2006-10-08 07:18:37 | Weblog
 先週から家内が関東方面に旅行に出かけており、KAMI さんのお店にも寄らせて頂く予定になっている。手作りケーキを楽しみにしているようだ。一人の小生は、「男子厨房に入らず」ともいかず、近所のスーパーで霜降りも立派なら値段も立派な牛肉を買って来た。料理の本を開いてみると、ステーキは焼く前に常温にしておく、と書いてある。男の料理は入れたばかりの肉を冷蔵庫から取り出すことから始る。

 料理なら私にお任せよ、というジャケットはズート・シムズの「クッキン」で、ロンドンでのセッションを収めている。料理番組のテーマ曲が聴こえてきそうなジャケット写真は、おおよそジャズ・アルバムとは思えないが、「サヴォイでストンプ」「 ラヴ・フォー・セール」「枯葉」といったスタンダードを、ズート節で吹きまくっている一枚だ。タイトル通り一流シェフの絶妙な味付けで料理している。

 ズートはソニー・ロリンズのような豪快さもないし、同じウディ・ハーマン・フォー・ブラザーズ出身のスタン・ゲッツにバラードでは一歩譲るが、ミディアム・テンポでは比類ない巧さをみせる。レスター・ヤング直系の滑らかさにドライブ感を加えたそのスタイルは、モダン・テナーの代表ともいえる。このドライブ感という形容はズートのためにあるようなものだ。ビル・クロウ著の「さよならバードランド」に、ズートについて書かれている。酒好きで演奏中ウェイターがグラスを放り投げると器用に受け取り、飲んでは演奏を続けていたという。飲むほどに、酔うほどにドライブするフレーズに、こちらも酔ってしまう。

 ミディアムに焼きあがった肉と、上級ではないがミドルクラスのワイン、それにヴォリュームを上げたスピーカーから流れるズートのミディアムでドライブするテナー。舌も鼓膜も踊る。時に一人もまた良い、と思ったのも束の間、食べた後は洗い物が待っている。「台所は女の天下」と決め込む。
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ハロー・ハービー

2006-10-01 07:20:31 | Weblog
 写真集「ニューオリンズの印象」を出版されている naru さんが、北海道撮影旅行に訪れ、先日お会いできた。昨年からのお付き合いで数々のコメント、メールの交換でお互い気心が知れているだけに、初めてという気がしないから不思議だ。短い時間ではあったが、熱くジャズを語り合い楽しい時間を過ごさせて頂いた。これからはコメントの向こうにハンチングの似合う優しく熱い眼差しを想い浮かべることができる。

 naru さんも好きだというオスカー・ピーターソンの「ハロー・ハービー」が発売されたのは、小生がジャズを聴き出して間のない69年だった。それまではジャズ・ギターというとウエス・モンゴメリーのストリングス入りの、イージー・リスニング・ジャズなるものしか知らなかった。これならエリック・クラプトンやジミ・ヘンドリックスの方が、面白いと思っていた時期にハーブ・エリスの強烈なギターを聴いたものだから、途端にジャズ・ギターの虜になる。僚友とのセッションを楽しむような、火の噴く二人のソロは今聴いても当時の興奮を思い出す。

 このアルバムが、ピーターソンとエリスが10年ぶりに再会したセッションと知り、10年前のレギュラー・トリオのアルバムを聴きあさった。トップを飾る「ナップタウン・ブルース」が、ウエスの作としり、ウエスを遡り「フル・ハウス」といった名盤に出会い、更にチャーリー・クリスチャン、ジャンゴ・ラインハルトに聴き進む。無数の葉の一枚から幾本の枝に繋がるが、ジャズの真髄ともいうべき太くて大きな一本の幹にはそうやすやすとは辿り着かないものだ。それほどに愛しきジャズは奥深く、また罪深くもある。

 naru さんの奥様のご実家は、奇しくも小生の生まれ故郷と同じで、当地から近い。またお会いできる日もあると思う。先日は初対面なので、「初めまして」と挨拶を交わしたが、再会した時は、「ハロー・ナル」「ハロー・デューク」に違いない。
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