デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

名門クラブで生まれたイースト・オブ・ザ・サン

2009-09-27 08:06:14 | Weblog
 「イースト・オブ・ザ・サン」の曲説明には必ずプリンストン大学のトライアングル・クラブが出てくる。明治大学マンドリン倶楽部のように三角形の打楽器であるトライアングルを合奏するサークルかと思ったが、そうではなく秋に学生たちが新作を発表し、冬休みの間アメリカ全土をツアーするミュージカル劇団だという。19世紀末に創設され今なお活動が続く名門で、この曲は1934年の出し物「Stags at Bay」に使われている。

 当時学生だったブルックス・ボウマンが作詞作曲したもので、他の曲ではこのクラブの名は見ないので、クラブ史上最大の名曲といっていい。古くはトム・コークリー楽団でヒットし、チャーリー・パーカーが取り上げてからジャズメンの間に知れ渡り、インスト、ヴォーカル問わず多くのプレイヤーがレパートリーにしている。ロマンティックな歌詞は項を改めるが、メロディーもまた原題が「East of the sun and West of the moon」と続くように、太陽の輝きと月の美しさを併せ持つロマンティックなものだ。サックス奏者が好んで取り上げる曲で、パーカーをはじめ、「ウエスト・コースト・ジャズ」のスタン・ゲッツ、最近ではジョシュア・レッドマン等、古今東西名演が並ぶ。

 通常バラードで演奏されるこの曲をミディアム・テンポで吹くのはズート・シムズで、ハリー・ビスのピアノ、クライド・ロンバルディのベース、そしてアート・ブレイキーのトリオをバックにワンホーンで快適にドライブする。51年当時、10吋盤片面に及ぶ11分の演奏は、中盤にテンポを落とし終わるかのように見せかけて再び熱を帯びたソロを延々と展開する面白い仕掛けで、終盤のブレイキーとのフォーバースもこれでもかというくらい両者譲らぬアイデアたっぷりの4小節を披露する。バラードやアップテンポでも味のあるズートだが、ミディアム・テンポで吹かせたらズートの右に出る人はいないだろう。

 トライアングル・クラブの創設者は「偉大なるアンバーソン家の人々」で知られる作家のブース・ターキントンで、失われた世代を代表する作家、スコット・フィッツジェラルドも勉強が疎かになるほどこのクラブに熱中していたという。打楽器のトライアングルは頂点から対辺にピラミッドのように広がっているが、名門とは決して枠からはみ出さず少しずつ広がり、そしてトライアングルが2ヶ所の曲部を持った1本の棒であるように1本の伝統を貫くものかもしれない。
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ソニー・クラークって誰?

2009-09-20 22:24:06 | Weblog
 ピアノを弾かない人でも知っている名曲「乙女の祈り」を作曲したテクラ・バダジェフスカ、ディスコでは今でもかかる定番ナンバー「天使のささやき」で知られる黒人女性3人組ユニット、スリー・ディグリーズ、毎年夏にやってきて全国を回るテケテケオジサンのベンチャーズ、さて共通点は何だろう。日本ではその分野をかじった人なら知らない人はいないくらい有名だが、本国では全く知られていないという。
 
 ソニー・クラークもそんなひとりだ。ジャズを普段聴かない人でも、「クール・ストラッティン」の脚ジャケットには見覚えがあるほど有名なピアニストだが、本国では無名に近い。ブルーノートのハウスピアニスト的存在で多くのアルバムに参加しているので、人気があるように見えるが、これはジャズ専門のマイナーレーベルのお家の事情による。アルフレッド・ライオンは短期間にカタログ数を持ちたかったため、ギャラの安い無名のミュージシャンを登用し、集中的にレコーディングすることで財政難を切り抜けた。無名とはいえ実力のあるクラークなら多くのセッションを重ねることでいずれ人気が出るだろうという思惑もあったのだろうが、本国では評価されないままその31歳の短い生涯を終えている。
 
 中古レコード店の永久在庫になりそうなデザインのジャケットは、80年当時キングレコードが編集したアルバムで、鍵盤ジャケットの別テイク3曲と、シングル盤で発売された6曲で構成されたものだ。別テイク3曲は世界に先駆けて日本で発表された貴重なものであり、クラークとポール・チェンバース、フィリー・ジョー・ジョーンズの三位一体によるトリオ演奏は躍動感にあふれ、本テイクと比べても全く遜色がない。クラークのピアノを「後ろ髪引かれるような」と形容したのは、評論家のレナード・フェーザーだが、まさにバック・ビートを強調したプレイはブルージーこのうえなく、このブルージーさが演歌という土壌を生まれながにして持っている日本人の琴線を揺さぶるのだろう。
 
 58年の「クール・ストラッティン」はセールス不振で、61年の「Leapin’ And Lopin’」までの3年間が空白になっている。そのアメリカでは売れない「クール・ストラッティン」が、日本から大量注文がきてライオンは驚いたという。本国で売れることが人気につながりそれが勿論一番なのだろうが、本国では無名でも外国で評価され人気があるのは、ある意味本国で売れる以上に格好がいい。家庭では相手にされなくとも、外では少しばかり人気あるのが格好いいオヤジだと、小さな世界に自分を重ねてみる。
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ウィスパー・ノットのタイトルの背景

2009-09-13 08:09:27 | Weblog
 クリフォード・ブラウンの死を悼んで書かれた「アイ・リメンバー・クリフォード」、出演したクラブに敬意を表した「ファイブ・スポット・アフター・ダーク」、破竹の勢いをみせるメッセンジャーズの「ブルース・マーチ」、ベニー・ゴルソンの曲はタイトルだけで曲が作られた背景がみえる。そして、リロイ・ジャクソンによって歌詞もつけられ、最も多くカバーされた曲に「ウィスパー・ノット」があるが、どんな背景で書かれたのだろう。

 56年にゴルソンがディジー・ガレスピー楽団に在籍中に作曲していることから、初演は57年4月録音のガレスピー「バークス・ワークス」かと思ったら、リー・モーガンのブルーノート盤のほうが早く、56年12月録音だった。ゴルソンとモーガンは、当時ともにガレスピー楽団に参加していたこともあり、早くからモーガンの才能を見抜いていたゴルソンは、「アイ・リメンバー・クリフォード」という珠玉のバラードをモーガンが吹くことを想定して書いたという。ならば「ウィスパー・ノット」も初演がモーガンなら、コーラス部分と同じコード進行で、別のメロディが付いている所謂、セカンド・リフを巧みに使う凝った曲もモーガンなのだろうか。

 多くの名演を生んだこの曲のタイトルをイメージするジャケットは、アル・ベレットの「Whisper not」だ。あまり馴染みのないプレイヤーだが、アルトとクラリネットを丹誠に吹き、さらに歌も上手い。スタン・ケントン楽団で活躍したジェリ・ウィンタースのデビュー盤でバックを務めていたバンドのリーダーといえば、ベレットのベルベットの音が思い出されるかもしれない。セックステットという編成を上手く生かしたアレンジが面白く、タイトル曲のテーマは所々めりはりのあるアンサンブルを入れ、各人のソロは短いながらも洗練されている。甘いジャケットだけで敬遠されそうだが、開けて吃驚の玉手箱の仕掛けだ。

 モーガンが吹くことを前提にしていたとしてもタイトルの謎が残る。当時のガレスピー楽団はツアーが多く、旅先で血気盛んな男が考えることはひとつしかない。メンバーは、モテ男のモーガンを初め、アル・グレイ、ビリー・ミッチェル、ウィントン・ケリー、チャーリー・パーシップ、況してや遊ぶために仕事をしている親分のガレスピーだ。イメージが湧き、集中して曲を書いているときメンバーから悪魔のささやきを聞いたゴルソンは言ったのかもしれない。「Whisper not!」と。
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クリス・コナーのレコード・コレクション

2009-09-06 08:15:32 | Weblog
 300万枚を所有している世界一のレコードコレクター、ポール・マウヒニィ氏には遥か及ばないだろうが、世にレコードの収集を趣味にしている方は多い。三度の飯を抜き、中古レコード店のバーゲンセールにいち早く並び、集めたレコードは、整理に追われ、置き場所に悩みながらも増えるコレクションを見るだけで満足できるものだ。本来音楽を聴くためのソフトにしか過ぎないが、聴く楽しみ以上に集める喜びもあるのがレコードの魅力でもある。

 先月29日に亡くなったクリス・コナーは、女性では珍しいレコード・コレクターだった。アン・リチャーズ、ジューン・クリスティ、アニタ・オデイ、そしてクリス、ケントン・ガールズが亡くなっていくのは時の残酷さを覚えるが、在りし日の歌声を聴けるレコードのありがたみを訃報に接する度に感じる。ベツレヘムに3部作を残してアトランティックに移籍したクリスは、ここで13枚のアルバムを作り、後期は黒人ブシを取り入れ、パラマウントに移ってからはボサノヴァやポップチューンもレパートリーにする等、従来の唱法に囚われないスタイルを身に着けた。たとえそれが売るための会社の方針であっても果敢にチャレンジしたこと変りはない。

 脂が乗り切ったアトランティック時代はLPだけではなく、シングル盤も18曲ほど録音している。「ミスティ」と題されたアルバムは、日本独自の企画で、そのシングル盤から選りすぐった14曲を収録しているが、エロール・ガーナー作のタイトル曲はLPに収録されなかったのが不思議なくらい素晴らしい。ジョニー・バークが付けたお馴染みの歌詞「Look at me」のクールな歌いだしからドラマティックな展開になり、愛する人と手を携えなければ独りでは歩けない弱い女心を巧みに表現している。当時、シングル盤はジュークボックス向けに作られたものがだ、街のあちこちでハスキーで深い霧に包まれた「Too misty」が流れていたのだろう。

 クリスの膨大なレコード・コレクションで、いつも棚の中心に置かれていたのはおそらく自身のレコードで、一枚一枚分身のように光り輝き、また、多くのコレクターのクリスのレコードもいつまでも色褪せることもなく、いつまでも聴き継がれるに違いない。享年81歳。合掌。
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