デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

ダイヤモンドリングからマイ・フーリッシュ・ハートが聴こえる

2009-07-26 08:50:52 | Weblog
 「The night is like a lovely tune」の歌いだしから、「How white the ever constant moon」の歌詞が出てくる。「変わることのない月はどれくらい輝いてるのだろう」とでも訳すのだろうか。その変わることなく輝いている月が黒く見え、太陽をすっぽり隠した先日の皆既日食をご覧になったかたもあろう。太陽と月が織り成す天体の神秘は驚くばかりだが、地球上のどの地点で、いつ日食が起きるかを正確に割り出すのはさらに驚く。

 歌詞は続く。「Take care my foolish heart」と。ネッド・ワシントン作詞の「マイ・フーリッシュ・ハート」である。何度も恋につまずいた女の子が、新しい恋に燃えながらも過去の失恋を思い出し、熱くならずに冷静になろうとしている女心の葛藤を描いた歌だ。作曲は数々の映画音楽を手がけているヴィクター・ヤングで、甘く切ないメロディは歌の主人公同様、恋のときめきでうっとりするほど美しい。49年の映画「愚かなりわが心」の主題歌で、翌年にビリー・エクスタインが歌ってヒットしたのを受け、同じ年にマーガレット・ホワイティングやゴードン・ジェンキスも録音し、同年のヒットチャートを独占した曲だった。

 マーク・マーフィーも「Swingin' Singin' Affair」で、この名曲を恋する女の子の心情を映すかのようにドラマチックに歌い上げている。リバーサイド盤の「Rah!」で注目された歌手で、メルー・トーメに通じる洗練されたクールで粋な味わいがあり、レパートリーも幅が広く、このアルバムでもトニー・ベネットの十八番「霧のサンフランシスコ」や、ビートルズ・ナンバーの「シー・ラブズ・ユー」を取り上げているが、まるでマーフィーのために作られた曲と思うほどしっくりしている。どの曲もジャケット写真のようにときに激しく、ときにしっとりと歌い、グラミー賞に6度ノミネートされただけの歌唱力は、男性歌手不毛時代にあって皆既日食で見られるダイヤモンドリングのように一際輝いている。

 太陽と月はすれ違い、重なり、どこか男と女に似ているが、用心してね、と「私のおバカな心」に向かって語りかけている女の子は、一歩踏み出しダイヤモンドリングで契りを結んだのだろうか。国内で皆既日食を観測できたのは46年ぶりで、次は26年後と契りが約束されている。約束できないのは男女の仲というが、「変わることのない月」ならぬ「変わることのない愛」なら、ダイヤモンドリングは一層輝くだろう。
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平岡正明氏と至上の愛と前衛と

2009-07-19 08:43:35 | Weblog
 「前衛ジャズを理解することは前衛ジャズ・ミュージシァンの生活を理解することである。(中略)前衛ジャズメンは生活の総量のほんのわずかしか記録していないし、インサイダー・ジャズメンの方からも、演奏の長時間化という線にそってレコードをはみだしてきている。その典型例がジョン・コルトレーンである。」 9日に亡くなった評論家、平岡正明氏の「ジャズ宣言」の一節で、ジャズ批評誌創刊号に寄せられたものだ。

 今となっては67年当時の前衛ジャズという表現は懐かしい響きだが、前衛ジャズがジャズ史に大きな足跡を残し、その後のジャズシーンにも多大な影響を与えることになる。氏はコルトレーンに触れ、「彼は演奏のうえに自己史をもっている。『至上の愛』一枚をもってしても、彼のジャズ的自伝を手に入れることができる。」と。「至上の愛」は承認、決意、追求、賛美の4パートから構成される組曲で、神に捧げた作品だ。66年に来日したとき、記者会見で「10年後のあなたはどんな人間でありたいと思いますか」という質問に対し、「私は聖者になりたい」と答えたというコルトレーンが聖者に近づいた大作である。

 「至上の愛」の吹き込みは64年12月で、この年は4月に録音した「クレッセント」とこのアルバムだけしか録音されていない。8箇月の期間をかけてカバラの書物の影響を受けて作曲したといわれる神がかった曲からは、この作品に費やしたエネルギーと、全精力を投入したレギュラー・カルテットの渾身の演奏からも伝わってくる。通常、ジャズ喫茶ではレコードの片面しかかけないが、この作品に限っては両面通してかけるのが常であった。レコード両面に深く刻まれた組曲は、このあと「アセンション」で変転するコルトレーンにとって、プレスティッジ、アトランティック、インパルスに残したそれまでの作品の集大成ともいえるもので、平岡氏の言われる「ジャズ的自伝」という符号に見事に一致するだろう。

 平岡氏の著書は、「ジャズより他に神はなし」、「マリリン・モンローはプロパガンダである」、「山口百恵は菩薩である」、「大落語」、最後の作品になった「昭和マンガ家伝説」と多岐に亘っている。前衛は本来、軍事用語で「最前線」の意だが、現状に対して変革を志向し、時代の先端に立とうとするような立場や姿勢のことをいう。100冊を越える著作はどのジャンルに於いても時代の先端を行っていた。享年68歳。合掌。
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ジョン・ルイスとサッシャ・ディステル、パリの邂逅

2009-07-12 07:59:14 | Weblog
 先日、8年ぶりの新譜「Walkin' in the Clouds」の発売を記念した椎名豊さんのライブを聴いた。満を持して自身で立ち上げたレーベルからのアルバムは、その充実した演奏活動8年間に培ったパワーの集大成ともいえる作品で、そのパワーはトリオ一丸となったライブに反映され、一段とピアノの鳴りもいい。ライブではアンコールが楽しみのひとつで、この日はジョン・ルイス作の「アフタヌーン・イン・パリ」で熱いステージを終了した。

 普段、知ったかぶりをしてジャズのあれこれ書いている身から出た錆で、ときに難しいことを訊かれる。ライブ終了後にジャズ仲間から、「アフタヌーン・イン・パリ」は、MJQのどのアルバムに入っているのかと。ロリンズ、スティット、ケニー・ドリュー、そしてミルト・ジャクソンとルイスは直ぐに浮かんだものの、MJQとなると聴いた覚えがないし、さりとて「ない」とも断言できない。こよなくパリを愛したルイスは、「ヴァンドーム」、「コンコルド」、「ヴェルサイユ」等、パリにちなんだロマンティックな曲を書いているが、この曲も美しいメロディを持ち、世界遺産に登録されているセーヌ河岸の佇まいをみるようだ。

 ルイスの作品にパリで録音されたものがあり、フランス・ジャズ界を代表するギタリスト、サッシャ・ディステルと、当時弱冠19才のバルネ・ウィランが共演している。ジミー・レイニーに師事したディステルが聴きもので、ルイスの物静かなピアノに呼応するかのように端正で美しいメロディを紡ぎ、そのギターの音色はジャケットのバックにそびえ立つエッフェル塔の天辺にまで響き渡るように澄んでいた。作曲家としても才があり、トニー・ベネットが大ヒットさせた「グッド・ライフ」」や、ソフトコア・ポルノ映画として騒がれた「エマニエル夫人」の主題歌を書き、ギターも端正なら顔立ちも端正で、恋多き女優ブリジット・バルドーと浮名を流したほどである。

 さて、件のMJQだが一度もMJQ名義でこの曲を録音していない。おそらくルイスは、パリでのディステルや、ウィラン、ベーシストのピエーロ・ミシュロとの午後の邂逅が生んだ「アフタヌーン・イン・パリ」を、他の誰とも演奏したくないほど大切にし、また、パリの地でなければ演奏できない曲だったのだろう。MJQという「公」よりもジョン・ルイスという「私」がパリにあったのかもしれない。
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ブレーキーのナイアガラ瀑布がサン・ジェルマンにこだまする

2009-07-05 08:50:11 | Weblog
 「日々の泡」や「赤い草」等、前衛的な作品で知られるフランスの作家、ボリス・ヴィアンはその著書「サン・ジェルマン・デ・プレ入門」で、サン・ジェルマンの歴史、町並み、穴倉と呼ばれた酒場、そこの住人や常連の横顔を紹介している。サルトルやジャン・コクトー、ジャン・ジェネ、ジュリエット・グレコ、という著名人から街角の変なおじさんまで、生き生きした横顔は実存主義やパリ芸術のエネルギーの胎動をみるようだ。

 ジャズ・トランペッターとしても活躍したヴィアンは、デ・プレの一角にある48年に開店したクラブ・サン・ジェルマンにふれ、同年のエリントン・コンサートや多くのライブの熱狂ぶりを伝えている。開店から10年目に当たる58年にこのクラブでコンサートを開いたのはアート・ブレーキーとジャズ・メッセンジャーズだ。54年にグループが誕生してから度々メンバーが入れ替わったが、このときはフロントにリー・モーガンとベニー・ゴルソンを配し、リズムはボビー・ティモンズのピアノとジミー・メリットのベースで、これ以上はないというファンキーな音が出ていた。それはメッセンジャーズの黄金時代であり、またモダンジャズが最も輝いていた時代でもあったろう。

 ビル・ハードマンの「ポライトリー」で幕を開け、ゴルソンの「ウィスパー・ノット」、パーカーの「ナウズ・ザ・タイム」と続き、「モーニン・ウイズ・ヘイゼル」と呼ばれる伝説的なティモンズのソロが始まる。客席にいた女流ピアニストのヘイゼル・スコットが感極まり「Oh Lord have mercy!」と叫ぶ声がキャッチされた「モーニン」の名演だ。そして圧巻はパリ在住のケニー・クラークとドラム・バトルを繰り広げた「チュニジアの夜」で、クラークの洗練されたドラミングに負けじとブレーキーのナイアガラ瀑布と称された得意のロールが入り、観客の熱狂も頂点に達する。チュニジアの夜は相当に暑いそうがだ、サン・ジェルマンの夜はまだ熱かった。

 ヴィアンの入門書ははかなり分厚いが、多くの写真と、事実と神話がシンクロする絶妙な筆致でデ・プレにいるかのような錯覚さえ覚える生きた入門書だ。メッセンジャーズのサン・ジェルマン・ライブ盤は、レコードにして3枚に及ぶが、演奏された曲、めくるめく熱いソロ、ブレーキーのメンバーを鼓舞し、聴衆をも興奮させるドラム、どれをとってもファンキージャズの入門アルバムとして相応しいものであり、それは永遠のバイブルでもある。
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