デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

デイヴィス・カップ

2006-06-25 07:16:55 | Weblog
 ここ数週間ワールドカップに沸いたが、日本は残念な結果に終わった。ジーコ采配、選手の役割、チームとしての統一感等、多くの敗因が考えられるが、チームや選手の力量の差が明確に表れてしまうのが国際試合の常だ。気魄を窺わせるプレーも見せてくれたサムライニッポンに4年後に向けた熱いエールを送りたい。

 カップといえばウォルター・デイヴィス Jr. の「デイヴィス・カップ」を素直に想いだす。マックス・ローチとのセッションが僅かにレコーディングされているだけで、殆ど無名のピアニストのブルーノート・デビュー盤だ。タイトルは自己の名前をテニスの国際試合にかけたイージーなネーミングで、小生の常套手段と同レベルの発想は好感が持てる。(笑)

 59年当時のブルーノート・スターだったドナルド・バードとジャッキー・マクリーンをフロントに配した典型的なハード・バップで、ジャズ喫茶全盛期の人気盤の一枚だった。55年にカフェ・ボヘミアのジョージ・ウォーリントン盤で、バードとマクリーンが共演している。溌剌とした演奏は名盤として記憶されるが、少々荒削りでアンサンブルの乱れもあった。ところが、4年後のこの盤ではソロリレーも実にスムーズでフレーズもよどみがない。全曲デイヴィス Jr. のオリジナルで、どの曲もハード・バップの壺を得た仕上がりで文句なしに楽しめる。タッド・ダメロンのようにピアニストより作曲者としての才能に恵まれているようだ。

 大きいことが良いわけではないが、サッカーの試合では時にヘディングで大きな選手が有利の場合もある。カップと聞いて「私は A カップ」とお嘆きの貴女、大きければ良いわけでありません。と、仰る方もおります。小生ですか? F カップとか G カップとか・・・イエローキャブの野田社長が羨ましくもなる。
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モカンボ・セッション

2006-06-18 09:13:13 | Weblog
 「そして、風が走りぬけて行った」、本のタイトルなのだが、これだけでは何の本なのか分からない。サブタイトルに「天才ジャズピアニスト守安祥太郎の生涯」とある。読まずにはいられない一冊だ。天才と騒がれ、突然の死によって謎に包まれたピアニストの生涯が丁寧に描かれていて、作者の植田紗加栄さんには頭が下がる。静岡のジャズを愛する古書店主から譲り受けた本で、読み終えた後も書棚に入ることもなく今も机にある。

 その守安さんが残した唯一の録音が、「幻のモカンボ・セッション’54」と題され、ポリドールから発売されたのは75年のこと。ロックウェル・レーベルの EP で僅かに知られていた貴重な音源の全貌が陽の目をみた。54年というと日本のモダンジャズ黎明期で、只管チャーリー・パーカーやバド・パウエルのレコードを聴き、採譜し、コピーをするだけだったと聞いていたが、守安さんのピアノは違っている。力強いオリジナルのフレーズ、サイドメンが付いていけないスピード、溢れるスウィング感に圧倒された。

 ショパンの難曲を弾き熟していた慶応時代や、サンバ・クマーナを後手で弾きまくるという見世物的な超絶技巧で暮らしを立てていたこと等、興味深い話もある。若き日の渡辺貞夫さんや、秋吉敏子さん等の憧れの的であり、守安さんがいなければ今の彼らはいなかったかもしれない。歴史に「れば」「たら」は禁句なのだが、生きていれば日本のジャズ界も大きく変わっていただろうし、アメリカに渡っていたら、パウエルよりも上を行ったかもしれないとも思う。日本ジャズ界に風穴を開けた人だった。

 6月ともなれば北海道にも爽やかな風が吹く。一年で一番好い季節で、エリック・ドルフィー、エロール・ガーナー、シェリー・マン、タル・ファーロー、それにフランソワーズ・サガン、ポール・ゴーギャン、ジャン=ポール・サルトル、更に太宰治、6月生まれの人は皆、感性豊かだ。ちなみに明日19日は小生の誕生日でもある。これが言いたかった。(笑)
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ジャズ・ダンス

2006-06-11 08:09:53 | Weblog
 仕事先の近くにジャズダンス・スタジオがあり、用があり行って来た。恐る恐るドアを開けるとレオタード姿の女性が、腕を伸ばしたり、脚を広げたりして軽快な音楽に合わせて踊っている。こういう場所は初めてのことなので、さすがにドギマギしたが、眺めは好いものだ。応対して頂いた先生とは表で何度かお会いしているが、中では生徒と同じレオタード姿で目のやり場に困る。というより若い生徒さんの方に目が向いてしまい、用を忘れるところであった。(笑)

 日本ではサックス奏者としては評価の低いエディ・ハリスの曲に「フリーダム・ジャズ・ダンス」がある。マイルス・デイヴィス、フィル・ウッズ、クリスチャン・マクブライド等の名演もあるが、決定的なのはミロスラフ・ビトウス。「レイ・ブラウンさん、正確なリズムを刻むだけでは・・・」「リチャード・デイヴィスさん、ウォーキング・ベースも良いのですが・・・」「チャールズ・ミンガスさん、大きな音も魅力あるのですが・・・」と云わんばかりの超絶技巧を見せてくれる。4度程度の連続で上がったり、下がったりする難しい曲だそうで、テクニックを誇示したいプレイヤーが取り上げるようだ。

 ビトウスの初リーダー・アルバム「限りなき探求」に収められていて、ジョー・ヘンダーソン、ジョン・マクラフリン、ハービー・ハンコック等、69年当時の新主流派が脇を固めている。期待できるメンバー構成なのだが、アルバム全体としては散漫な印象だ。小生は「フリーダム」一曲しか聴かないが、この一曲のために聴く価値のあるアルバムともいえる。「フリーダム」以外は、ビトウスの自作曲なのだが、オスカー・ペティフォードに「俺の書いたボヘミア・アフター・ダークでも聴いて勉強しろよ、ビトウス君」と言われそうだ。

 先日のスタジオで拝見した美しいボディ・ラインを想いだしながら、次はどういう用で訪ねようかと、他愛のないことを考えていたら、いつのまにかレコード片面が終わっていた。
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霧のロンドン・ブリッジ

2006-06-04 07:42:40 | Weblog
 渡辺プロダクションの創設者、渡辺晋さんの半生を描いた「ザ・ヒットパレード」というテレビドラマが放映された。テレビが誕生したころの物語で、渡辺晋さんの志の高さに甚く感動を覚えた。ジャズの衰退と入れ替わるようなロカビリーの隆盛、当時の人気番組「ザ・ヒットパレード」の舞台裏等、興味は尽きない。外国のヒット曲に日本語の歌詞を付けて、流行らせたのは渡辺晋さんの発案のようだ。外国のポップスが身近になり日本人の歌の志向が変わってきた時代の一齣だ。

 「渡辺プロオールスター20世紀ポピュラー音楽大全集」という4枚組CDは、ドラマの最後でも演奏していた渡辺晋とシックス・ジョーンズのバンド・テーマ曲でもある「セプテンバー・イン・ザ・レイン」で始る。曲目を見ると50年から60年代のヒット曲のカヴァーがずらりと並んでいて、その中に伊東ゆかりさんの「霧のロンドン・ブリッジ」があった。「小指の思い出」ほどの艶っぽさはないが、声には張りがある。オリジナルは数々のミリオン・セラーを持つジョー・スタッフォードで、彼女の代表曲でもある。コーラス・グループ「パイド・パイパース」の出身で、トミー・ドーシー楽団の専属歌手だった時代もあった。

 ジョー・スタッフォードは、どちらかというとポップス畑で、ジャズファンに注目されないが、マニアが探し回ったレコードに「ジョー+ジャズ」がある。ジョニー・ホッジス、ベン・ウエブスター、ハリー・カーネイ等のエリントニアンをバックに、スタンダードを気品のある美しい声で唄っている。オープニングはエリントン・ナンバーの「ジャスト・スクィーズ・ミー」で、ジョーとホッジスのソロの絡みは素晴らしい。ヘレン・メリルで有名な「ユード・ビー・ソー・ナイス~」では、ウエブスターのソロも入り白眉と言える。一流のポピュラー歌手は、一流のジャズ歌手でもあった。それにバックも一流なら文句の付けようがない。

 79年に国内盤が再発されたものの、それまではジョー・スタッフォードが CBS から原盤を引き上げていたため再発は望めないという幻の一枚だった。写真は国内盤が出る数年前に薄い財布と相談しながら思い切って購入したもので、ジャケットは少々スレがあるもののディスクは、大きな傷もなく良好なオリジナル・モノラル盤。今なら新品 CD 数枚買える値で、清水の舞台、いや霧のロンドン・ブリッジから飛び降りるくらい勇気が必要だった。
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