デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

ショーティ・ロジャースが笑った、そしてアート・ペッパーも笑った

2013-04-28 09:23:54 | Weblog
 アート・ペッパーの熱心なファンではないが、リーダー作はかなり集めた。整理序でに並べてみるとジャケット写真は翳りのある音と喩えられるように、ほとんどがその音のように暗い過去を引き摺った面持ちで容易に人を近寄せない雰囲気だ。笑った写真といえば「ゲッティン・トゥゲザー」があるが、これとてよく見るとカメラマンに「ハイ、チーズ」とでも言われてポーズを作っているようにしか見えない。

 その中にあって楽しくてしようがないという写真は、ザナドゥの「ポポ」で、盟友のショーティ・ロジャースとのツーショットだ。録音されたのは51年で、場所はベースのハワード・ラムゼイが参加していることからおそらくライトハウスだろう。51年というとペッパーもショーティもスタン・ケントン楽団を退団し、ソロイストとして、またアレンジャーとして独り立ちした頃である。このとき26歳のペッパーはダウンビート誌の人気投票でパーカーに次いで2位に選ばれており、一方27歳のショーティは編曲の才能を高く評価されジャズばかりかポップスのシーンでも活躍を始めている。因みにモンキーズの大ヒット曲「デイドリーム・ビリーバー」は彼の手によるものだ。

 ライブらしくスタンダード中心の選曲で、そのなかに将来ペッパーの重要なレパートリーになるチャノ・ポゾの「ティン・ティン・デオ」があった。ガレスピーが取り上げて以来、ラテン・スタイルで演奏されるが、ここでもそれに倣ってシェリー・マンがリムショットでリズムを刻むなかショーティが気持ちよくソロを取り、次いでフランク・パッチェンのピアノ、そしてペッパーかと思いきや、またショーティが出てくる。エンディングのテーマでペッパーが音を重ねているので、その当時はこの曲を知らなかったか、或いはショーティの得意曲なので遠慮したかのどちらかだろう。どちらにしてもこのセッションがきっかけで後のペッパーの名演が生まれたといっていい。

 ペッパーの初リーダー作は、このセッションの翌52年に吹き込まれているが、麻薬癖でジャズシーンと療養所を行き来しながらも82年のラスト・アルバム「ゴーイン・ホーム」まで100を超える作品がある。そのどれもが美しい。「ゴーイン・ホーム」のジャケットを今一度見てみよう。盟友ジョージ・ケイブルスと抱き合った笑顔の素敵なこと。最期はこんな満面の笑みを浮かべたいものだ。
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モーダルなインヴィテーションにご招待

2013-04-21 08:56:27 | Weblog
 ピアニストでソニー・クラークの研究家として知られる中山智広さんが、「スタンダード・ジャズ・ガイドブック 170曲 for Players」(中央アート出版社刊)で、ブロニスロウ・ケイパー作の「Invitation」を分析している。50年代の作曲だが、60年代にミュージシャンが作曲した「モード+コード」の曲みたいだ、と。記号が並んだコードではモードを理解できないが、耳で確かめると同じコードが何小節も続く部分は確かにモーダルに聴こえる。

 ソングライターとしてMGMと契約していたケイパーは数多くの映画音楽を手がけているが、この曲は「On Green Dolphin Street」と並んでジャズプレイヤーに人気のある曲だ。難曲ということもあり、この曲を演奏することは一種、一流のプレイヤーである証かもしれない。コルトレーンをはじめジョー・ヘンダーソン、デクスター・ゴードン、ビル・エヴァンス、アル・ヘイグ、ケニー・バロン等々、挙げたらきりがないが、録音した時期は全て実力が評価され、知名度が上がってからである。それだけ迂闊に手を出せない曲なのだろう。演奏するからには相当な自信があるとみえて、どの演奏も素晴らしい内容だ。

 デンマーク出身のトランペッター、アンデシュ・ベリクランツがニューヨークのスウィート・ベイジルで行われたライヴでこの曲を取り上げていた。マイルスとも共演したことがあるリック・マーギッツァのテナーと、リッチー・バイラークのトリオと組んだ2管のクインテット編成なので、それこそモーダルなマイルスの黄金クインテットを思い起こさせる。録音は1992年で、時期的にこのメンバーからはアグレッシブなスタイルが似合いそうだが、意外なことにストレートアヘッドな演奏だ。難曲を理論的に演奏することはアドリブの幅を広げるうえで必要だが、難曲と思わせない展開ができてこそ一流のミュージシャンといえる。

 件の本は、とあるジャズクラブに置いてあった。ステージに立つプレイヤーが参考にしているのだろう。小生のような譜面の門外漢には、コードは機械的な記号にしか見えないが、プレイヤーはそこから大きくアイデアを膨らます。さぁて、今夜はどのスタイルで演奏しようか。4ビートよし。モードよし。バラードもいい。サンバもいい。今宵も熱いジャズスポットに「招待」してもらおうか。
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ベティ・ブレイクのトラブル

2013-04-14 08:55:57 | Weblog
 ベツレヘムはジャズ専門レーベルでは珍しいことにヴォーカル・アルバムが揃っている。マイナーレーベルというと小さなオフィスひとつで営業するものだが、ベツレヘムはニューヨークを本社に西海岸にも拠点を構えていたというから全国展開を目指していたのだろう。カタログに厚みを増すためヴォーカルにも力を入れたことは考えられるが、クリス・コナーやニーナ・シモンのデビュー・アルバムをリリースしているので設立者であるガス・ウィルディーの好みかもしれない。

 クリスやカーメン・マクレエのビッグネイムをはじめ、ヘレン・カー、サリー・ブレア、テリー・モレル等、挙げたらきりがないが地味ながらも内容的にはヴォーカル・ファンを唸らせる作品が並んでいる。なかでもベティ・ブレイクの「シングス・イン・ア・テンダー・ムード」は、彼女が残した唯一のアルバムということもありマニア間では高値で取引されていたレコードだ。伴奏陣はズート・シムズ、マル・ウォルドロン、テディ・チャールズ、ケニー・バレル等々のベツレヘム・オールスターズという豪華さ、そして何よりもクリスに通じるクールさと知性が滲み出た歌唱、それでいて温かみのある声が一番の魅力だろう。

 アレック・ワイルダーの曲を中心にした選曲は、まさにタイトルの如くテンダー・ムードで、ジャケットからは吐息さえ聴こえてくる。ベティの経歴は明らかではないが、10代後半からアーニー・ルディやバディ・モロー楽団の専属シンガーとして経歴を積んだうえで、1960年に録音に臨んでいるので、録音時はおそらく20代前半と思われる。その歳で、悩みの種はもう私を愛してくれない男、と歌う「Trouble is a Man」は大人びて見えるが、なかなかどうしてこれが大人の女を表現している。男と女の裏の裏を知り尽くしながらも、女の性に引き摺られる歌ならビリー・ホリデイに敵わないが、それに匹敵する表現は見事だ。

 ベツレヘムに録音時ではクリス・コナーやニーナ・シモンも売り出したばかりでベティ・ブレイクも一線に並んでいたはずだが、これだけのシンガーが何故この1枚で消えたのだろうか。実力だけでは生き残れず、運にも左右される世界故、少しだけ運が悪かったとしか思えない。60年代といえばロックンロールが席巻した時代である。ロックの台頭がもう少しだけ遅れていたなら、大ブレイクしたかもしれない。
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The Elusive Pianist Joe Albany

2013-04-07 08:01:48 | Weblog
 数々のジャケット写真で知られていたウィリアム・クラクストンが、ドイツのジャズ評論家ヨアヒム・ベーレントから米国ジャズシーンの撮影を依頼される。それを一冊の写真集として出版した「Jazz Life」(Taschen 刊)にジョー・オーバニーのショットがあった。レスター・ヤングやパーカーと共演したピアニストだが、50年から60年代は重度の麻薬とアルコール中毒のため刑務所や療養所の生活が長く、シーンから忘れられた人である。

 撮影されたのは1960年で一時的に体調が良かったときなのだろう。場所はフィル・スペクターが拠点として次々とヒット曲を生み出したハリウッドのゴールド・スター・スタジオなので、ポップスのレコーディングに呼ばれたのかもしれない。ピアノに向っている姿を斜め上からとらえたアングルで、1枚はピアノに向っていて音が聴こえてきそうなショットだが、もう1枚はカメラを上目遣いで睨み付けている。これが角度的にもパーカーと喧嘩をして歴史に残るダイアル・セッションに呼んでもらえなかったキレるジャンキーの心の闇をとらえているようで、その目は戦慄するほど怖い。これはホラー映画のワンシーンだと言われても疑わないだろう。
 
 その恐怖映画の主人公が本格的にカムバックしたのは70年代に入ってからで、「Two's Company」は74年にベースのニールス・ペデルセンとデュオで録音されたものだが、空白の凡そ20年間のオーバニーは時間が止まっていたのかと思うほど完全なバップスタイルだ。タイム感覚に特色あるピアノで、ぎくしゃくした音とフレーズは不思議な魅力がある。完璧なベースを弾きこなすペデルセンとは異色の組み合わせのように思えるが、ペデルセンはベースを覚えた頃を思い出したかのようにバップのフレーズを刻む。ダメロン作の「If You Could See Me Now」というタイトルが二人の最高の出会いを表しているようだ。

 クラクストンはその写真集でオーバニーを「The Elusive Pianist」と紹介している。捉えどころのないピアニストという意味だが、それはパーカーや、その前に参加したジョージ・オールドのバンドでも将来を嘱望されながら気性の激しさから喧嘩になり両バンドともクビになった才能あふれるピアニストを良く知っての表現だろう。パーカーはオーバニーを解雇したとはいえ、パウエルに次ぐ名ピアニストと賞賛している。
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