厚生労働省が公表した日本人の平均寿命や年齢ごとの死亡率をまとめた完全生命表によると、平均寿命は男性が78.56歳、女性は85.52歳だそうだ。過去最高で今や70歳の古希を迎えられる方もめずらしくない。古希は唐の詩人杜甫の曲江詩「人生七十古来稀」に由来し、古来は70歳まで生きるのは希であったことから、長寿の祝いとされている。
小生が敬愛する1899年生まれのデューク・エリントンは、69年に古希をイギリス楽旅中に迎えた。「70th Birthday Concert」と題された2枚組みのアルバムは、誕生日に重なったコンサートの記録で、ジョニー・ホッジス、ハリー・カーネイ、クーティ・ウィリアムス等エリントニアン、そしてエリントンの自信に溢れた音が会場を沸かす。ジャケットの隅に「Limited Edition」と飾られ、お祝いの記念ともいえる特別なアルバムともなればファンのひとりとして嬉しいものだ。「私の楽器はピアノではなく私のオーケストラ」だと名言を残したエリントンのソロから始まり、オーケストラが一斉にテーマを奏でる瞬間は何度聴いてもゾクゾクする。
エリントンは24年にバンド結成以来、一貫して自作曲を自分のオーケストラで演奏するという姿勢を崩さず、コンサート形式の演奏会に力を入れている。楽旅中の列車やホテルで作曲し、生涯残した曲は2000曲ともいわれ、ジャズメンのみならず、ポップス界でもしばしば取り上げられる稀代な作曲家でもあるのだ。ハーレムの有名な「コットン・クラブ」の専属バンドだった30年代は、クラブのバンドは踊るために用意されていた。エリントンはその時代から踊るための音楽という形式を踏まえながら鑑賞に値する音楽を目指している。その高い音楽的志向が今のジャズの発展に結びつき、ジャズが芸術に昇華したものといえよう。
活動が長い音楽家は歳を重ねると、よく枯れた味わいと表現されるが、エリントンは初録音の24年も、古希の69年もその年、その歳毎に新しい味わいがある。毎週アドリブの如く思い付くまま書いているブログも本稿が70稿目にあたる。読み返してみると支離滅裂で忸怩たる思いだが、3度の飯より好きなジャズだけに止まることを知らない。エリントンのように毎回新鮮であるよう努めたいものだ。
小生が敬愛する1899年生まれのデューク・エリントンは、69年に古希をイギリス楽旅中に迎えた。「70th Birthday Concert」と題された2枚組みのアルバムは、誕生日に重なったコンサートの記録で、ジョニー・ホッジス、ハリー・カーネイ、クーティ・ウィリアムス等エリントニアン、そしてエリントンの自信に溢れた音が会場を沸かす。ジャケットの隅に「Limited Edition」と飾られ、お祝いの記念ともいえる特別なアルバムともなればファンのひとりとして嬉しいものだ。「私の楽器はピアノではなく私のオーケストラ」だと名言を残したエリントンのソロから始まり、オーケストラが一斉にテーマを奏でる瞬間は何度聴いてもゾクゾクする。
エリントンは24年にバンド結成以来、一貫して自作曲を自分のオーケストラで演奏するという姿勢を崩さず、コンサート形式の演奏会に力を入れている。楽旅中の列車やホテルで作曲し、生涯残した曲は2000曲ともいわれ、ジャズメンのみならず、ポップス界でもしばしば取り上げられる稀代な作曲家でもあるのだ。ハーレムの有名な「コットン・クラブ」の専属バンドだった30年代は、クラブのバンドは踊るために用意されていた。エリントンはその時代から踊るための音楽という形式を踏まえながら鑑賞に値する音楽を目指している。その高い音楽的志向が今のジャズの発展に結びつき、ジャズが芸術に昇華したものといえよう。
活動が長い音楽家は歳を重ねると、よく枯れた味わいと表現されるが、エリントンは初録音の24年も、古希の69年もその年、その歳毎に新しい味わいがある。毎週アドリブの如く思い付くまま書いているブログも本稿が70稿目にあたる。読み返してみると支離滅裂で忸怩たる思いだが、3度の飯より好きなジャズだけに止まることを知らない。エリントンのように毎回新鮮であるよう努めたいものだ。