デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

スタンリー・タレンタインの Love Letters を読んでみよう 

2015-05-31 09:13:13 | Weblog
 いわゆるチトリンズ・サーキットをやっていた。どこへいっても小さな場所で、音響装置も悪ければ、客も入らない。ギャラが出ないことも多かった。三日間でニューヨークからロサンゼルスまで車を飛ばしたことも二度あった。車のなかで食事をし、車のなかで寝て、後ろに小さなトレーラーをつないでオルガンを運んだ・・・スタンリー・タレンタインが妻のシャーリー・スコットと双頭コンボを率いていた頃の回想が、ローゼンタール著「ハード・バップ」(勁草書房)に紹介されている。

 「Chitlin' Circuit」とは黒人ミュージシャンがアメリカ南部をツアーしながらクラブを廻ることらしい。日本の芸能界で言うなら「どさ回り」といったところか。60年代の数年間とされているので、おそらくマックス・ローチのバンドで頭角を現し、ライオンの目に止まった頃と思われる。ブルーノートと契約を結んだとはいえ、毎日レコーディングがあるわけではない。声が掛かるとクラブを巡り、4000キロ以上離れた場所にも出かけなければ食えなかったのだろう。そのブルーノートには多くのリーダー作が残されているが、シャーリーと組んだ夫唱婦随の「Hustlin'」を選んでみた。

 このアルバムが日本で人気があるのは、トップに収められているロイド・プライス作の「Trouble」がクラブ・シーンで受けたことによるものだが、クラブ・ジャズに縁のないオールドファンが満足できるのは次の「Love Letters」だ。映画音楽の大家ヴィクター・ヤングの珠玉のメロディである。ケニー・バレルのギターとオルガンが絡み合うイントロからやおら吹きだすスタンリーのタイミングが絶妙だ。バラードは最初の一音で決まるといわれるが、この最初のブワォだけで震えてくる。そして徐々にテンポを上げてクライマックスに持ってゆく展開は、ジャズクラブ巡りで学んだステージのツボなのだろう。

 ・・・今となっては笑い話だが、当時は笑いごとではなかった。クラブについたものの、廊下が狭くてオルガンが運べないこともままあった。(中略)しかしこんなことがあっても、夜になるとクラブに向かい、思う存分吹きまくったものさ・・・スタンリーはその後フュージョンで大当たりして「ザ・シュガー・マン」と呼ばれたが、売れない時代に「思う存分吹きまくった」のが原動力になっているのは間違いない。
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マイナーレーベル「Choice」から「Strings Attached」をチョイス

2015-05-24 09:19:04 | Weblog
 1972年にカール・ジェファーソンが設立した「Concord Jazz」をはじめ、キーノートのプロデューサー時代、中間派の名盤を数多く制作したハリー・リムが晩年に興した「Famous Door」、プレスティッジの路線を継続した「Muse」、ドン・シュリッテンの「Xanadu」、1970年代のブルーノートと称されたデンマークの「SteepleChase」、シリアスなジャズを追求したイタリアの「Black Saint」等々、70年代は各国で多くのジャズ専門レーベルが誕生した。

 各レーベルともオーナーの好みが色濃く反映されている。72年にジェリー・マクドナルドが作った「Choice」もその一つで、ローランド・ハナ以外は全て白人ジャズメンの作品だ。86年に活動を停止しているのでカタログは30数枚だが、リー・コニッツやサル・モスカ、レニー・ホプキンスのトリスターノ派、前衛的なジミー・ジェフリー、地味なジミー・ロウルズ、才媛ジョアン・ブラッキーン、ライト・ハウス・オールスターズで活躍したベニー・アロノフ、今ではコレクターズ・アイテムになったアイリーン・クラール等、知的なミュージシャンを録音しているのが特徴だ。

 このレーベルの一番の功績といえばアル・ヘイグとジミー・レイニーの再開セッションだろう。50年代にスタン・ゲッツのバンドで活躍した二人は、ジャズシーンから遠ざかっていたが、70年代にカムバックした。それを知ったマクドナルドが逸早く録音に取り掛かったのが「Strings Attached」だ。75年の作品だがゲッツ時代と変わらぬコラボレーションをみせる。「Freedom Jazz Dance」や「Dolphin Dance」という新スタンダードの選曲は意外に思えるが、これがどうしてなかなかのものだ。ともに空白とされる時代も練習を怠ることもなく、シーンの動向を見ていたことがうかがえる。 

 冒頭で挙げたレーベルは当時売り出し中の若者ではなく、名前を忘れかけた往年のプレイヤーの録音が多い。そしてスタイルも70年代を席巻したフュージョンではなく伝統に根ざしたオーソドックスなものだ。売上第一主義のメジャーでは不可能なアルバムを作るのがこうしたジャズ専門のマイナーレーベルの強みだろう。ジャズに一家言あるオーナーの手作りレコードはジャズ愛が詰まっている。
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チューンアップしたジャンニ・バッソの Tune Up

2015-05-17 09:34:11 | Weblog
 連休中、馴染みの中古レコード店でバーゲンセールが開かれた。たまに掘り出し物もあるので見逃せない。レコードの新入荷コーナーを見てからCDの棚に移ると「Idea6 / Steppin' Out」というタイトルが目に飛び込んできた。全く知らない名前だが、2枚組の紙ジャケットで背の幅が広いので目立つ。「Idea6」というのはグループ名で、メンバーの筆頭にいるのは「Gianni Basso」だ。ジャンニ・バッソという発音だったか・・・

 見たことのある名前なのだが、咄嗟に思い出せない。確かビッグネームと共演していたような気がするのだが、そのプレイヤーもレコードも出てこない。いよいよ認知症か?もしや音を聴いたら思い出せるかもしれない、と思ったものの残念ながらそれほど音の記憶も良くないのでそのテナーを聴いても混乱するばかりだ。オリジナル中心の選曲でスタンダードはガーシュウィンの「It Ain't Necessarily So」と、マイルスの「Tune Up」が収録されている。この「Tune Up」、何とヴォーカルが入っているのだ。歌詞が付いているとは知らなかった。作詞者はTerry Crosaraで、歌っているのはFrancesca Sortinoだ。

 ドラムとピアノの短いイントラから軽快にこのフランチェスカ嬢が歌いだす。この曲の初演である1953年のマイルスのセッションではジョン・ルイスの短いソロから一気に吹き上げているのだが、それを彷彿させる。ジャケット写真はトロンボーン奏者のディノ・ピアナでバッソとともにこのバンドの中心メンバーだ。録音日は明らかではないがおそらくリリースされた2007年と思われる。トランペッターのファブリツィオ・ボッソも参加した3管編成は遅れてきたハードバップという印象で、やや古くささを感じるもののスウィング感は抜群だ。フロント陣は皆70代なので、老いてますます元気といったところか。

 この「Tune Up」という曲からようやく思い出した。チェット・ベイカーが1959年にミラノで録音したレコードに収録されていた。そうそう、このセッションに参加しているのがジャンニ・バッソだ。バッソはこのとき28歳だった。大物と共演するという緊張感からやや上擦ったプレイが目立つが、50年近く経った「Tune Up」は実に安定感がある。日々のチューンアップの賜物かもしれない。
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ジュリー・ウィルソンが髪をかきあげた

2015-05-10 09:01:00 | Weblog
 男性が色っぽいと感じる女性の仕草のトップは足を組みかえる仕草だという。それもミニスカートなら妄想が爆発寸前まで膨らむ。若いころなら気付かれないようにじっと見たものだが、この歳になると要らぬ理性が邪魔をして視線を逸らす。あとで少し位見ておけばよかったかな、等と後悔をするものだから始末に悪い。仮に何かが見えたところで何がどうなるわけでもないが、目の保養になる。

 そして、次に色気を感じるのは髪をかきあげる姿だ。白いうなじが見えようものなら、心臓がバクバクいう。うなじこそ見えないもののジャケット一面から色香を放つのはジュリー・ウィルソンだ。トニー賞にもノミネートされたことのある女優で、シンガーとしてはナイトクラブを活動の場所としていた人だ。囁くような歌い方で、声はハスキー、音域は中低音、さらに情感豊かとくれば、これは間違いなく夜の社交場向きとなる。誰でもがこの条件を満たしたからと言って成功するわけではない。やはり容姿端麗が必須条件であるし、過剰にならない程度の色気は絶対条件といえるだろう。

 タイトルの「My Old Flame」をはじめ「You Don’t Know What Love Is」、「These Foolish Things」、「They Can’t Take That Away From Me」というビリー・ホリデイが愛した曲を中心にしたアルバムで、オーケストラをバックにクラブで鍛えた歌唱を披露している。ロジャースとハートの「It's Easy to Remember」を最後に収録するあたりは見事な演出だ。ビリーが亡くなる1年半前に録音した曲で、声の状態はかなり悪いものの感情が移入された歌唱はこの曲のお手本として知られる。ビリーほどではないがジュリーの歌もなかなかのもので、これがナイトクラブならシャンペンをもう1本開けたくなる。

 そのジュリー・ウィルソンが去る4月5日に亡くなった。訃報を知らせたニューヨーク・タイムズの見出しは「Julie Wilson, Sultry Cabaret Legend and Actress, Dies at 90」とある。ニューヨークの「Copacabana」や「Latin Quarter」、ライブ盤を収録した「St. Regis Hotel」等、名門クラブのステージに立ったジュリーには「Legend」の称号が相応しい。艶やかな赤いスパンコールのドレスを着こなせるシンガーは他にはいない。
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映画「セッション」と「Whiplash」

2015-05-03 09:18:27 | Weblog
 う~ん!なるほどクライマックスはこうきたか。チラシに「ラスト9分19秒の衝撃は圧巻にしてもはや痛快」とあったが、誇張ではない。エンドロールが終わって劇場が明るくなっても、しばし動けなかった。いい映画だった、というざわめきも聞える。ジャズ映画は演奏同様、スピードが不可欠だが、若干28歳のデイミアン・チャゼル監督もアカデミー賞助演男優賞を受賞したJ・K・シモンズの演技もスピードがある。「セッション」だ。

 まだご覧になっていない方もいるだろうからネタバレしない範囲で紹介しよう。バディ・リッチに憧れるジャズ・ドラマーと名門音楽学校の鬼教師の壮絶なレッスンを描いた作品で、この練習風景が凄い。音を外すとパイプ椅子が飛んできたり、テンポがずれると平手で打たれ、罵声を浴びせられるのだ。そして「ジョー・ジョーンズがチャーリー・パーカーにシンバルを投げた」とか、「ドナ・リーを5小節吹け」、「オカズを入れろ」、「マリサリスのバンドにいた」等々、ジャズ・ミュージシャンの実名や、難曲、フィルインの俗称が出てくる。ならばジャズを普段聴かない方は興味がわかないのではないかと思われそうだが、これが面白い。

 「セッション」という邦題はジャズを強調したタイトルで、原題は「Whiplash」という。むちで打つという意味で、しなやかなドラマーのスティックさばきをイメージさせるし、劇中で使用される練習曲がこのタイトルである。作曲者はプレイヤーが名前を聞くだけで震え上がるハンク・レヴィだ。古くはスタン・ケントン楽団に楽曲を提供しているし、有名なところではドン・エリスの変拍子ジャズの曲も書いている。この曲のオリジナルが収められているのがエリスの「Soaring」だ。1973年の録音で、当時流行っていたクロスオーバーだが、リズムは変幻自在で知的なスウィングを味わえる。

 自身のジャズ観と映画観に照らし合わせると面白い作品だったが、一部で酷評されているという。確かに今時スパルタ教育をする音楽学校などあり得ないし、実名で出てくるジャズ・ミュージシャンの位置付けやエピソードの解釈が事実と異なる部分もあるが、それをいちいち指摘していたらエンターテイメントとしての映画は成立しない。仮に事実との齟齬が気になってもクライマックスでそれが消えるのがいい作品だ。
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