デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

黒岩静枝さんの歌手生活60周年と「DAY BY DAY」40周年を祝う

2024-10-27 09:16:48 | Weblog
 先週24日に黒岩静枝さんの歌手生活60周年とオーナーであるジャズクラブ「DAY BY DAY」のオープン40周年を記念したディナーコンサートが札幌パークホテルで開かれた。全国からお祝いに駆けつけた300人を超えるファンは、歳とともにますます磨きがかかったヴォーカルと、老舗ホテルの料理を堪能した。

 大きなブランクやスランプもなく60年のキャリアを持つシンガーは世界を見ても多くはいない。道内から東京、九州と各地で今も精力的にコンサートを開く。季節や天候、お客様の年齢層、その日の喜怒哀楽までをも考慮して2000曲持つレパートリーから最も相応しいナンバーを選ぶ。楽しい一日だった人は勿論、辛いことや悲しいことがあった方もステージが終わると笑顔に変わっている。歌手として勿論のこと、人として大きいからこそ為せる黒岩マジックに包まれたのだろう。

 そして「DAY BY DAY」。バブル前夜の1983年9月13日に開店した。間を明けて行くとビルのフロアを間違えたかと思うほど店が変わるススキノで40年、それも同じ場所で営業しているのは数店しかない。ハンク・ジョーンズ、アニタ・オデイ、ヘレン・メリル、渡辺貞夫、日野皓正・・・壁には所狭しにサインが並ぶ。また、多くのミュージシャンが黒岩さんに鍛えられて此処からプロとして、指導者として育っていった。この店は札幌のジャズの聖地なのである。

 翌25日に「DAY BY DAY」でオープンマイクが開かれ、パーティに参加した黒岩さんのレッスン生が歌って華を添えた。次の大きなコンサートは3年後の傘寿と決めている。今回の案内状に「老いるヒマなんかない」とあった。黒岩さんも歌を盛り上げるバック・ミュージシャンもファンも若くありたい。
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We Remember Benny Golson

2024-10-13 08:29:26 | Weblog
 トランペッターなら一度は吹く「I Remember Clifford」に、思わず歩速を揃えたくなる「Blues March」、レナード・フェザーが歌詞を付けた「Whisper Not」、カメオ出演したトム・ハンクス主演の映画「ターミナル」で演奏した「Killer Joe」、ジャズ喫茶で一番人気の「Five Spot After Dark」・・・作曲者のベニー・ゴルソンが9月21日に亡くなった。

 作編曲家として評価が高い一方、奏者としてはウネウネ・テナーと酷評され人気がない。コード理論はともかくこの「ウネウネ」こそ「シーツ・オブ・サウンド」の源流だと思う。アイラ・ギトラーが名付けたことからコルトレーンの象徴とされるが、形になるまでには高校の時一緒に練習したゴルソンのアイデアがあったからだ。功績を挙げたら切りがないが、JMは音楽監督のホレス・シルヴァーが56年に抜けたあと音楽的にも営業的にも不振に陥る。その窮地を数々の名奏者を輩出する名門バンドに立て直したのがゴルソンなのだ。

 更にコルトレーンがマイルス・バンドから独立し、コンボを組むときマッコイ・タイナーをメンバーにしたいとゴルソンに申し出る。ようやく育てたピアニストだが、友人の門出に快く送り出す。因みにコルトレーンとマッコイの出会いはジャズテットを編成するとき、ゴルソンが同郷の後輩マッコイを呼び寄せる。途中、車が故障したのでゴルソンの代わりに迎えに行ったのがコルトレーンだ。そしてエルヴィン・ジョーンズを薦めたのもゴルソンだ。ジャズ史に残るカルテットはこの立役者がいて誕生した。

 「Lee Morgan Vol. 3」に、サン・ジェルマンのJM、ウィントン・ケリー「Kelly Blue」、アート・ファーマー「Modern Art」、クインシー・ジョーンズ「 The Birth of a Band」、カーティス・フラー「Blues-ette」、サラ・ヴォーン「Sassy Swings Again」・・・ゴルソンのテナーなくして名盤と呼ばれなかっただろう。We Remember Benny Golson 享年95歳。合掌。  
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