デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

シンディ・ブラックマンをバックにハナモゲラ語で枯葉を歌う

2016-10-30 09:51:30 | Weblog
 先週、延々と「枯葉」のヴォーカルを聴き続けたせいか門前の小僧ではないがカタカナ英語とデタラメ仏語で歌詞を少しばかり覚えた。ならば音痴を省みず物は試しにピアノトリオをバックに歌ってみようかと収録されているアルバムを思いつくまま取り出してみる。エヴァンスにケリー、ティモンズ、ピーターソンにジャマルとありアマル。その中に「Autumn Leaves」をタイトルにしたものがあった。

 一見、ピアニストのアルバムにみえるが、女トニー・ウィリアムスと呼ばれた女性ドラマー、シンディ・ブラックマンのリーダー作だ。録音された1989年当時、行方均氏が興した「somethin'else」や増尾好秋氏がプロデュースした「Jazz City」という日本のレーベルが新録を次々とリリースしていた。それに続いてクラウン・レコードが発足させたのが「Ninety-One」で、ウォレス・ルーニーの「What's New」に次ぐレーベル第二弾になる。ルーニーにしてもこのブラックマンにしても日本人好みの選曲ではあるが、オリジナルで固めるより聴きなれたスタンダードのほうが親しみやすいし、セールを優先するなら当然といえる。

 ピアノはその頃マーク・コーエンと名乗っていたマーク・コープランドで、ベースはチャーネット・モフェットだ。これにシンディとなるとかなり灰汁の強いトリオでスタンダードを切り刻んでいるのではないかと不安になるが、制作者サイドの意向が働いたのかメロディを大きく崩すこともなくドラムをプッシュするでもなく歌心に富んだ落ち着いた演奏だ。ホーンのバックだとどうしてもトニー流のシンバルを強調したスタイルになるが、ここではピアノのメロディーラインを活かすべく抑えて叩いている。本来のお転婆シンディを聴けるのはコルトレーン作の「Moment's Notice」で、縦横無尽のドラミングが気持ち良い。

 一流のピアニストをバックに、♪フォーリンリーブスドリフバイマイウィンドウとか、♪オージュヴドゥレタンクテュトゥスヴィエヌと歌ってみたものの哀しいかな音痴はハナモゲラ語の鼻歌にしかならない。音痴は一に音程がとれない、二に声が出ない、三にリズムがとれないのが原因と言われている。音程の悪さとリズムの乗りの遅れは治しようがないが、声だけは札幌ドームで鍛えているので出そうだ。一つだけ解決した。
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ボブ・ディラン、枯葉を歌う

2016-10-23 09:22:53 | Weblog
 えっ!ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞。これには驚いた。先週話題にしたビートルズほど聴いていないので詩を味わうまではいかないが、ディランの作詞は高く評価されているのは知っている。改めて羽振りのよかったミス・ロンリーが転落する「ライク・ア・ローリング・ストーン」を「読む」と、確かに「転がる石のように」に生きることを肯定すべきか否か聴き手の解釈に委ねられる。文学といえば文学だ。

 ディランは自作曲しか歌わないのかと思っていたが、何と2015年にシナトラのカヴァー集「Shadows In The Night」を出している。それも「My Way」や「Stranger In The Night」、「Fly Me To The Moon」といったオジサンのカラオケ定番ではなく、トップの「I'm a Fool to Want You」をはじめ「The Night We Called It a Day」に「Full Moon and Empty Arms」、「Where Are You?」と渋い曲が並ぶ。余程のシナトラ・ファンでなければ直ぐに収録アルバムを思い出せないだろう。どの曲もシナトラのイメージが強いのでジャズシンガーのカヴァーはそう多くはない。そんな曲を選ぶところがディランらしい。

 そのなかに1曲だけ大スタンダードが収められている。この時期にピッタリの「Les Feuilles mortes」だ。えっ?知らない。おっと失礼、原題で紹介してしまった。ジョニー・マーサーが英語の歌詞を付けた「Autumn Leaves」だ。幻想的なイントロから独特のしゃがれ声で詩を朗読するように歌っている。♪The falling leaves drift by my window・・・侘びや寂びを勝手にイメージするせいだろうか聴きなれた歌詞が違って聴こえた。そして絵が浮かんだ。「風に吹かれて」が収録されている2作目のアルバム「The Freewheelin'」のジャケットである。ディランの声は秋の冷たい風だからこそ感じ取れる肌の温もりに似ている。

 受賞には当然ながら賛否の声が挙がった。映画化もされた「私の中のあなた」で知られる作家のジョディ・ピコーは、「私もグラミー賞をとれるってことなの」と皮肉っている。確かに詩は文学賞に該当するが、それにメロディーを伴うと歌になる。ディランはかつて「シンガーであることも大事だし、曲も大事だが、常に一番最初に来るのは、ミュージシャンであることだった」と言っていた。受賞発表後、本人からのコメントがないのはそこにあるかも知れない。
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1968年、ホワイト・アルバムを横目にキリマンジャロの娘に誘惑された

2016-10-16 09:20:18 | Weblog
 たまたま映画通の知人と飲んだとき、ロン・ハワード監督のドキュメンタリー映画「ザ・ビートルズ」を薦められた。エピソードを巧みに編集してるので見慣れた彼らの表情が生き生きして見えたという。公開されているのは知っていたもののどうにも気が進まなくてパスしようと思っていた作品だ。ビートルズが嫌いなわけではないが、何本か観たドキュメンタリー物はざっくり分けてラバー・ソウル以降の後期を中心に編集されていた。

 熱心に聴いたのは66年のリボルバー、67年のサージェント・ペパーズ辺りまでで、68年のホワイト・アルバム以降はLP単位でじっくり聴いていない。また解散後のソロ活動に至っては全くといっていいほど知らないのだ。音楽的に変わったから付いていけなかったわけではない。68年はマイルス年で言うとイン・ザ・スカイとキリマンジャロの娘が発表された年で、小生のジャズの聴きはじめになる。高校の授業が終わると自転車を飛ばしてジャズ喫茶に駆け込み50年代の名盤を聴くか、レコード店で当時流行っていた「恋の季節」や「サウンド・オブ・サイレンス」の合間にジャズの新譜を試聴させてもらう毎日だったので、ビートルズは忘れていた。

 私事はさておき、レノンとマッカトニーが書いた曲はジャズの分野でも多く取り上げられ、ジャズ誌で度々特集が組まれるほどだ。数あるカバーからソニー・クリスのエリナー・リグビーを取り出した。テーマを崩すこともなく、大きくはみ出さないアドリブは一般的な受けを狙ったものだが、ビートルズ・ナンバーはこの方がいい。この「Rockin In Rhythm」や先の「Up, Up And Away」、「The Beat Goes On」といったクリスのプレスティッジ時代は硬派のファンからコマーシャルだと批判されていたが、ポップスのジャズ・カバーからジャズの魅力を知った人は意外に多い。その意味でクリスの一連の作品はジャズ人口を増やした傑作だ。

 この映画の原題は「EIGHT DAYS A WEEK The Touring Years」という。ライブ活動に重きを置いていたデビューから66年までを中心に編集されているので、初期のビートルズを愛するファンには堪らない。劇中、関係者がインタビューに答えてシナトラやプレスリー、ケネディ大統領をはるかに超える熱狂だったと語っていた。おそらくはビートルズやマイルスを凌ぐアーティストは出てこないだろう。改めて良い時代に生まれたことを感謝したい。
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タル・ファーロウが似合う彼女と彼女の部屋

2016-10-09 09:19:15 | Weblog
 先週話題にした「I Remember You」を聴き比べるため「The Interpretations of Tal Farlow」を取り出した。そう言えば片岡義男さんがエッセイでタルのことを書いていたのを思い出し書棚を探す。「彼女の部屋の、ジャズのLP」。そうそうこれだ。「彼女と彼女の部屋には、タル・ファーロウがもっとも似合っていた・・・彼女はまさに『イッツ・ユー・オア・ノー・ワン』の曲そのものであり、演奏はタル・ファーロウ以外にはあり得ないのだった」と。

 タル・ファーロウが似合う彼女とはどんな女性なのだろう?これがエヴァンスなら少しでも乱暴に扱えば壊れてしまう繊細な少女、マイルスなら凛としたクールな美女、MJQなら10度に首をかしげて微笑む淑女、パーカーなら度胸が据わった姐さん、デクスター・ゴードンなら胸を大きく開けた娼婦となるが。タルといえば音色は太く逞しい。そしてオクトパスと呼ばれた大きな手で複雑なコード進行をすいすいと弾きこなす。そこからイメージするなら男勝りで痒い所に手が届く女性となる。そしてタルが似合う部屋とは丈夫な観葉植物カポックやハンフリー・ボガードのポスターが映える空間なのだろう。

 It's You Or No One、作曲はジュール・スタインで、1948年の映画「Romance on the High Seas」に使われた曲だ。映画では主演のドリス・デイがサミー・カーンの詞を丁寧に歌い上げている。エッセイのようにタルで聴いてみよう。ピアノはクロード・ウィリアムソン、ドラムはスタン・リーヴィ、そして先週も登場したレッド・ミッチェルがここでは本業のベースを弾いている。3分半の短い演奏ながらドラマチックな展開で、美しい女性が更に美しくなり手の届かない存在になるかもしれないという不安と、今一緒にいる満足感が同時に伝わってきた。絃の微妙な響きやピッキングの強弱がその心理を表している。

 ジャケットはタイム誌の表紙や数々のジャズ・レコードのデザインを手がけたデイヴィッド・ストーン・マーチンによるものだ。イラストからギターの音色、それもタルとわかる太い響きが聴こえてくるし、楽器の形の美しさがよく出ている。ギターはそのひょうたん形からときに女性に例えられるほどボディラインは美しい。因みにこのエッセイがまとめられている本のタイトルは、『「彼女」はグッド・デザイン』である。
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レッド・ミッチェルの二刀流は通用するか

2016-10-02 09:33:44 | Weblog
 28日、北海道日本ハムファイターズが4年ぶり7度目のパ・リーグ優勝を決めた。ソフトバンクとの最大11・5ゲーム差をひっくり返しての大逆転である。勝てば優勝の大一番で先発を任されたのは大谷翔平だ。開幕試合で黒星を喫したエースだったがこの日は違っていた。このシーズンの集大成ともいうべきピッチングは力強く美しい。投げては10勝、打っては打率3割超え、本塁打22本の二刀流が最大限に生かされた優勝だ。

 ジャズ界で二刀流といえば持ち楽器の他にピアノが多い。ジャズ・ミュージシャンは基本的にピアノの素養があるので珍しくないとはいえ予備知識がないまま「The Ivory Hunters」を聴くとエヴァンスと対をなすボブ・ブルックマイヤーのタッチに脱帽するし、「Mingus Plays Piano」はベーシストの余芸とは思えぬほど深い味わいがある。この「The Modest Jazz Trio」もそれでジャケット表の情報からはメンバー3人の名前がわかるが、どんな曲を演奏しているのだろうと裏を見て驚く。曲名に次いでJim Hall-Guitar、Red Mitchell-Piano、Red Kelly-Bassのクレジットが飛び込んでくる。

 これは同じRedなので間違ったのだろうか。とはいえRed Kellyという有名ピアニスト2人から拝借したような名前のピアノは知らない。まずは聴いてみよう。間違いなくピアノを弾いているのはレッド・ミッチェルで、レッド・ケリーはハーマンやケントンのビッグバンドで活躍したベーシストとジャズ人名辞典に記されていた。ベーシストに転向する前はピアノを弾いていたというミッチェルはホールの音色を邪魔しない軽いタッチで小気味良くスウィングするし、パーカーが取り上げたことでアドリブの素材として演奏される「I Remember You」では知的なバップセンスものぞかせる。ベースほどではないがソロも構築されているので二刀流で通用したかもしれない。

 今月12日からはクライマックスシリーズのファイナルステージが始まる。その先にあるのは日本シリーズ制覇だ。栗山監督は優勝インタビューで、「ファイターズの選手たちは北海道の誇りです」と答えた。我々ファンも同じだ。声が嗄れるまで声援を送ろう。札幌ドームが揺れるほど応援しよう。そして10年ぶりの日本一が決まった時は抱き合って泣こう。もう優勝パレードの準備は始まっている。
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