デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

コルトレーンが亡くなった直後、デトロイト暴動が起こった

2018-02-25 09:27:46 | Weblog
 1967年のデトロイト暴動の最中、7月25日から26日にかけて密室空間で警官による集団暴行が起きた。アルジェ・モーテル事件である。黒人男性3人が白人警官に殺されたこの事件を題材にした映画「デトロイト」を観た。50年も前のことなので第一級殺人で起訴された警官全員が無罪になるという人種差別社会の裁判も暴動も覚えていないが、実際のニュース映像も取り込まれているので当時の凄まじさが伝わってくる。

 デトロイトといえばモータウン・レーベルの発祥地でソウルミュージックが有名だが、ジャズメンも多い。ハワード・マギーにドナルド・バード、カーティス・フラー、トミー・フラナガン、バリー・ハリス、ローランド・ハナ、メイジャー・ホリーにポール・チェンバース、ダグ・ワトキンス。ミルト・ジャクソンにケニー・バレル、ルイス・ヘイズもいる。デトロイト出身者は結束が強くサヴォイに「Jazzmen Detroit」、ベツレヘムには「Motor City Scene」という同郷のメンバーによるレコードがあるほどだ。共に車をイラストしたジャケットで、自動車産業で栄えた町を象徴している。

 サド・ジョーンズもその一人で、UA盤にベツレヘムと同タイトルの「Motor City Scene」があるが、今回はブルーノート盤「Detroit-New York Junction」を聴いてみよう。フラナガンにバレル、カンザスシティ生まれだがデトロイトで学んだビリー・ミッチェル、そして盟友のオスカー・ペティフォードにシャドウ・ウィルソンというメンバーだ。サドといえばベイシー楽団やサド・メル・オーケストラでコントロールの利いたソロイストというイメージが強いが、コンボではかなり自由に吹きまくっている。デトロイトで切磋琢磨したメンバーとNYで共演することは特別な意味を持つのだろう。

 舞台となったモーテルのラジオからコルトレーンの「I Want To Talk About You」が流れるシーンがある。それに気付いた一人がヴォリュームを上げてコルトレーンの死因の話題になり、「ヤクで死んだ」とか「FBIに殺された」などと熱い議論が交わされる。コルトレーンが亡くなって8日後の事件だけにリアルだ。映画に描かれている時代に知らず知らずのうちに入り込めるのは間違いなくいい作品だ。
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ジャズを聴いて半世紀、ビリー・プールに出会った

2018-02-18 09:20:10 | Weblog
 根城にしている「DAY BY DAY」ではステージの合い間にレコードをかけるのだが、リクエストがない限りタイトルを見ないでランダムに選ぶ。宝箱を開けるワクワク感があり、何年も聴いていないアルバムや久しぶりに見るジャケットが出てくると思わずオッ!の声も上がる。聴き手のこちらはレコードを聴く愉しみにすぎないが、ミュージシャンにとっては曲選びの参考やテクニックの勉強になる。

 半世紀もジャズに浸っていると聴いたことがなくてもジャズ誌やエサ箱で一度はジャケットを見ているのだが、先日初めて見るレコードが出てきた。ジャズを聴きだした50年前でもジャズレコードは10万種とも20万種ともいわれていたので、知らないレコードがあるのは当然だが、これはリバーサイド盤だ。同レーベルのヴォーカルといえばまずアビー・リンカーン、そしてべヴ・ケリーにテリー・ソーントン。コールマン・ホーキンスをバックにしたアイダ・コックスもある。男性陣ではマーク・マーフィーにチェット・ベイカーと組んだジョニー・ペイスと記憶を辿れるのだが・・・

 ビリー・プールは知らなかった。ジャズ人名辞典にも載っていなければ、ジャズ批評誌の女性シンガー大百科で担当者は「実をいうとビリー・プールの名前は、この原稿を書く前日まで知らなかった」というほど知名度は低い。ネットの情報もごく僅かである。デビュー作ながらクラーク・テリーにジュニア・マンス、ケニー・バレルとバックメンバーが凄い。更にタイトルはアダレイ兄弟のヒット曲だ。キープニュースの力の入れようがわかる。ブルース、ゴスペル系のシンガーだが、クールな声と洗練されたフレーズはブルース独特の灰汁の強さがない。それが長所であると同時に短所ともいえる。

 これを機にリバーサイドのカタログをチェックした。聴いたことがあっても内容を忘れているもの、タイトルは覚えているもののジャケットに結びつかないもの、あるわあるわ。ついでにプレスティッジのリストも広げるとタイトルどころかミュージシャンさえ知らないものが沢山あった。ジャズの魅力を知ったときは三大レーベルは全部集めようと思ったものだが、一生かけても聴けそうにない。
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根室のジャズ喫茶サテンドールをやってみないか

2018-02-11 09:32:08 | Weblog
 北海道の最東端に位置する根室市のジャズ喫茶「サテンドール」をご存知だろうか。根室といえば最も早く朝日が昇る納沙布岬がミツバチ族の聖地になっていて、この地を訪れたライダーが寄る店だ。70年代後半にオープンしたころ行ったことがある。構えも店内もジャズ喫茶然ではなく居心地が良かった。新聞報道で知ったのだが、オーナーの谷内田さんが高齢を理由に今年の3月で閉店するという。

 この店は全国的に有名なネムロ・ホット・ジャズ・クラブの事務局にもなっている。このクラブが主催した数々のライブは、スリー・ブラインド・マイスからレコード化されているので聴かれた方もおられるだろう。なかでも76年に録音された日野元彦の「流氷」は、日野の代表作であるとともに日本ジャズの傑作でもある。山口真文と清水靖彦の2テナーに、渡辺香津美、井野信義という当時としては最高のメンバーだ。日野グループとTBMのプロデューサー、藤井武、そして根室のジャズを愛する人たちの思いはアムール川から流れてくる氷を溶かすほど熱い。

 店名のサテンドールはエリントン・スタンダードだが、喫茶店を略した茶店とかけて珈琲専門店が全盛の70年前後は、ジャズ喫茶でなくてもこの店名が全国にあった。多くのカバーがあるので「Mood Indigo」や「Sophisticated Lady」、「In a Sentimental Mood」、「Solitude」、「Take the 'A' Train」と同じく40年前後の曲にみえるが、作曲したの53年で、ビリー・ストレイホーンとジョニー・マーサー共作の詞が付いたのは58年というから比較的新しいエリントン・ナンバーである。チャーミングなメロディーと浮き浮きする歌詞、この店名なら迷わずドアを開けたくなる。

 閉店に伴い根室市は日本最東端のジャズ喫茶を存続させようと総務省の地域おこし協力隊制度を使って全国から後継者2人を公募している。市の非常勤職員として最長3年間雇用され、15万円の報酬と住居を用意してくれるという。「地理的に最果てであっても、文化的な最果てにあらず」を掲げる根室でジャズを発信する若者はいないか。今月28日まで多くの手が上がるのを待っている。
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バッグを持ったコルトレーンはどこに向かうのか

2018-02-04 09:52:39 | Weblog
 「The Night We Called It A Day」を聴く較べるため、「Bags & Trane」を取り出した。久しく聴いていない。このトラックだけ聴こうと思ったものの、つい習慣でレコードの頭に針をおろす。まず、アルバムタイトルになっているミルト・ジャクソン作のブルースだ。コルトレーンの一見ぶっきら棒に聴こえる短いフレーズの間に入るヴァイブの響きが幻想的で、テーマからしてコントラストが鮮明だ。

 続いて「I love you」という意味の「Three Little Words」。バート・カルマーとハリー・ルビーという作者コンビの伝記映画のタイトルにもなっている曲だ。ジャクソンとコルトレーン、どちらの選曲なのかは分からないが、レスター・ヤングやスタン・ゲッツ、ソニー・ロリンズとテナー奏者に人気がある。ハンク・ジョーンズの弾むイントロからジャクソンが軽快にテーマを奏で、そこにコルトレーンが被さり、膨らみのあるフレーズで一気に畳みかける。それに刺激を受けたのかジャクソンのソロが激しくなる。後半、コニー・ケイを交えたソロ交換で熱量は上がるばかりだが、何事もなかったかのようにジャクソンがテーマを静かに叩く。

 コルトレーンのアトランティック移籍第一弾は、同レーベルの大物ジャクソンと組ませることでコルトレーンを売り出す作戦だ。ジャクソンはMJO時代にマイルスをはじめレイ・チャールズ、ボビー・ジャスパー、フランク・ウェス、コールマン・ホーキンス、ウェス・モンゴメリー、オスカー・ピーターソン等、個性の強いプレイヤーと共演している。企画ものとはいえ、そのどれもが平均点を超えるのはジャクソンの柔軟な音楽性にあるのだろう。共演したプレイヤーもその大きさに圧倒されながらもいつもと違うものを表現している。意外な組み合わせこそスリリングで面白い。

 ホームをミルト、バッグを持ったコルトレーンが列車に乗り込んだ。さて、行く先は?1959年に録音されたこのレコードが輸入されてジャズ喫茶でかかりだした頃に流行った駄洒落とか。学生の時、新宿の「きーよ」や「汀」、有楽町の「ママ」、上野「イトウ」に通ったという大先輩にお聞きした。インパルスの「A Love Supreme」はおろか「My Favorite Things」も録音されていない時代にリアルタイムで聴いた人はどんな答えを出したのだろう。
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