デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

祝!スージー黒岩、歌手生活50周年

2015-09-27 09:03:32 | Weblog
 5年前の2010年10月17日に「黒岩静枝さんが歌い続けた45年」のタイトルで拙稿をアップした。札幌のジャズクラブ「DAY BY DAY」のオーナーでありスージーの愛称で呼ばれているジャズシンガーの歌手生活45周年を記念するコンサートに寄せたものである。その稿を「歌手生活半世紀にあたる50周年のリサイタルでさらに大きな歌を聴きたいと願うのは小生だけではあるまい」と結んだ。

 早いものであれから5年が経った。去る21日に開かれたリサイタルは、45周年のときよりキャパに余裕のある会場だ。勿論、満員で地元札幌はもとより関東、関西、遠くは九州から駆け付けたファンもいる。舞台を盛り上げる演出、構成、支える仲間たち、ファンの拍手と歓声、そしてスージーの歌、それが一体となったステージは50年の集大成ともいうべき素晴らしい3時間だった。50年前というと1965年、和暦の昭和40年で、エレキブームが押し寄せ、美空ひばりの「柔」が大ヒットした年である。そのころ何をされていただろう。もしかしたら生まれていない方もおられるかも知れない。その年から歌い続けているのだからこれは凄い。

 日本でも外国でも半世紀に亘って第一線で活躍しているシンガーは数多くいる。その道が平坦ではないことは容易に察することができるが、共通するのは流行に流されることなく自身のスタイルを貫いていることだ。ライブハウスを構えている以上、お客さんに喜んでいただき、楽しんでもらってなんぼの世界だから時代に沿った変化も必要かも知れないが、所詮、流行物は廃り物である。そして完成されたそのスタイルに磨きをかけることを忘れない日々の努力だ。今に満足してはいけないと自身を叱咤することでいくらでも伸びる。それを50年間繰り返してきた人がスージー黒岩だ。

 5年前は「人生60歳までリハーサル、60歳からが本番」と言っていた。今年68歳になるジャズシンガーは、今回、歌うことが楽しくてどうしようもないからリハーサルを70歳まで伸ばすと言う。何とも頼もしい。次のリサイタルが待ち遠しくなってきた。最後に小生がプログラムに寄せたメッセージを書いておこう。「今宵もスージーの歌を聴ける幸せ。DAY BY DAY 土曜日の特等席で」
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世界一哀しいスピーク・ロウ

2015-09-20 09:06:18 | Weblog
 このところクルト・ワイルが作曲した「スピーク・ロウ」のメロディーが頭から離れない。小生のように刷り込まれやすいタイプによくあることで、今回はドイツ映画「あの日のように抱きしめて」に効果的に使われていたからだ。その歳になってメロドラマかい?と笑われそうだが、第2次世界大戦直後のドイツを舞台にした内容で、邦題からイメージするような甘い恋愛ものではない。原題は「Phoenix」で、その意味はラストの楽しみだ。

 まず、冒頭ベースソロでこの格調高いメロディが流れる。「September Songs The Music Of Kurt Weill」に収められているチャーリー・ヘイデンだ。中盤にワイル本人がピアノを弾きながら歌ったSP盤をかけるのだが、時代感があるし、愛のはかなさを歌った詞が物語の行方を暗示している。そしてラストで主演のニーナ・ホスが歌う。最大の見せ場で最高の演出なので詳しく書けないのが残念ではあるが、本稿のタイトルから汲み取ってほしい。歌詞の終わりは♪ Will you speak low to me, speak love to me and soon なのだが、最後まで歌わずその前の♪ I wait でやめている。ここに深い意味が込められているのだ。

 この曲はウォルター・ビショップJr.やビル・エヴァンス、ソニー・クラーク等の名演でインストのイメージが強いが、ヴォーカルも名唱が揃っている。アメリカン・ニューシネマを代表する「タクシー・ドライバー」でお馴染みのシビル・シェパードが、1976年録音の「Mad About The Boy」でこの曲を取り上げていた。女優の付け焼刃的な作品にしか見えないが、どっこいこれが素晴らしい。バックにスタン・ゲッツが参加していて、歌伴とは思えないほど熱が入っており、J.J.ジョンソンやジェリー・マリガンと渡り合ったときのような気魄がある。美人女優のお遊びに付き合ってやろうかという軽いノリから本気モードに入ったのだろうか。

 映画はナチスとユダヤ人という重い歴史のうえで成り立っているが、ワイルもユダヤ人だったことから迫害されている。もしワイルがナチの手を逃れアメリカに亡命しなければこの曲も「マック・ザ・ナイフ」も「セプテンバー・ソング」も戦争の犠牲になり、ドイツに埋もれたままで終わったかも知れない。先に挙げた名演やロリンズのサキコロ、シナトラの名唱がなければ音楽は寂しいものになっていただろう。
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まさかシャドウ・ウィルソンの名前を聞くとは思わなかった

2015-09-13 09:18:32 | Weblog
 トム・クルーズ主演の映画「ミッション・インポッシブル ローグ・ネイション」を観た。スパイ物は「007」に一歩譲るとしても二転三転するストリーと、派手なアクションは娯楽映画の王道を行くものだ。冒頭、ロンドンの中古レコード店のシーンがあり、トム扮するエージェントが「なにかレアなものはないかな」と女店員に聞く。勿論、美女だ。これが合言葉なのだが、続けてコルトレーンとモンク、そして・・・

 何と、シャドウ・ウィルソンの名前が出てくる。ジャズを聴き込んでいる方でもシャドウの参加レコードをすらすらと言えないだろう。なぜ「Shadow 影」なのかというセリフも出てくるほど目立たないドラマーだ。おっと、これ以上はネタバレになるので書けない。この3人が共演したアルバムといえばJazzland盤「Thelonious Monk with John Coltrane」があるが、レアなものと言っているので、カーネギーのライブ盤を指す。誰もその存在を知らなかった1957年のテープである。その辺りの経緯はコルトレーン研究家の藤岡靖洋氏のライナーを参考にしていただきたい。ミステリー小説のようにワクワクする。

 写真はテープが発見された2005年にブルーノートから即発売されたCDだが、「Doxy」、「Dol」というレーベルからLPという形で発売されている。そのシーンでジャケットは映らないが、おそらくこのレコードだろう。ともにヨーロッパのレーベルでロンドンが舞台なのでディテールにこだわったのかも知れない。因みにレコードのジャケットは、CDのブックレットの4ページに掲載されている写真を使っている。今更説明が要らないほどコルトレーンにとって重要な時期だ。とりわけモンクの愛奏曲「Sweet and Lovely」の解釈が素晴らしく、倍テンポでソロに突入するあたりは何度聴いてもゾクゾクする。モンクから学んだタイム感覚は大きい。

 そのレコード店のエサ箱の手前にアンドレ・プレヴィンとラス・フリーマンの「Double Play !」があった。ストリーを暗示するものではないが、ジャズのレコードが見えるだけで嬉しくなるし、その箱に何が眠っているのだろうと妄想もふくらむ。レコードマニアの哀しい性で、映画館を出たらいつの間にか足はレコード店に向いていた。箱を漁りながらふとレジを見ると美人の店員さんではなく、いつもの店主がいる。現実に引き戻された。
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ウイスキーのおいしい飲み方をサミーに教わった

2015-09-06 09:11:19 | Weblog
 アンクルトリスの生みの親として知られるイラストレーターの柳原良平さんが、8月17日に84歳で亡くなられた。トリスのキャラクターは直線的なデザインながらどこかユーモラスで温かみがある。昭和33年に氏がサントリーの宣伝部にいたころの作品だが、半世紀以上経った今でも輝きを失っていない。左党の先輩であり友でもあるイラストに惹かれてトリスバーの扉を押した方もおられるだろう。

 サントリーといえばCMも傑作が多い。なかでも「ホワイト」にサミー・デイヴィスJr.を起用したものは昭和のCMベスト3に入るほどのお気に入りだ。因みにトップはシルヴィ・バルタンのレナウン・ワンサカ娘、次いで小川ローザの「丸善石油Oh!モーレツ」である。 他し事はさておき、「コンコン・チコン・コン・チコン」とスキャットしながらウイスキーをグラスに注ぎ、喉を鳴らして美味そうに飲む。そして「ウ~ン、サントリー」とキメる。黒人を代表するエンターテイナーに「ホワイト」とは大胆だが、音楽に人種の壁はないというメッセージを伝えるためサミーは出演を引き受けたのかも知れない。

 多くのアルバムを残しているサミーだが、ジャズファンに人気があるのは1964年録音の「Our Shining Hour」だ。ミスター・ワンダフルと呼ばれた才能と、一音でスウィングするバンド、そしてアレンジはクインシー・ジョーンズとくる。傑作が約束されたようなものだ。トップはアルバムタイトルにかけた「My Shining Hour」で、今聴いている場所がアパートの4畳半だろうと、車中だろうと、場末の居酒屋だろうと、忽ちラスヴェガスのディナーショーに場所を移してくれる。オープニングから高揚させてくれ、幕が閉まるまでひと時も退屈させないのは一流のエンターテイナーの証である。

 先日、2020年東京五輪のエンブレムの使用中止が決定した。デザインの盗用疑惑によるものだ。これを手掛けたデザイナー氏は、サントリー・ビールのトートバックでも盗作したという。「パクリ」で検索すると以前は隣国だったが、今はこのデザイナー氏が100万件以上もヒットする。温厚なアンクルトリスもパクリと開いた口が塞がらない。競技場問題といいエンブレムといい、国際イベントをなめている日本は世界から嗤われても仕方がない。
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