ジャケットの美女やデザインに惹かれて中味度外視で買う所謂ジャケ買いというのがあるが、その心理を狙ったかのようにインパクトがある意匠の新譜が多い。中には内容は二の次でジャケットで売ろうとする怪しからんアルバムもある。それも芸術的な写真や構図ならともかく、エロスとは表向きで明らかに卑猥なジャケとなると、内容に興味があり買ったとしても家人の目に付くところには置けないし、レコード店の店員が若い女性ならレジを通すのも憚る。
その類のジャケの話は別項に譲るとして、今週はジャケ買いの対象にならないアルバムを話題にしてみよう。写真のジャケットをエサ箱で見かけたことがないだろうか。頻繁にレコード店を巡る方なら一度や二度は目にしているはずだ。大抵安い。それでも売れないのは、この工夫の無いジャケが一因と思われるが、日本では人気のないジョニー・ハモンド・スミスによるものだろう。スミスの人気云々というよりオルガンという楽器がブルース色を強くするため敬遠される傾向にある。同じスミスでもジミー・スミスなら知名度もあるが、ギタリストのジョニー・スミスと混同を避けるため楽器名を入れたこちらのスミスはエサ箱の隅というわけだ。
さらに正統派のジャズファンが鼻で笑うソウル・テナーの代表格であるウイリス・ジャクソンが共演となると、よほどのマニアでない限り手を出さない。そんな不遇の1枚だが、先入観を捨ててまずは聴いてみよう。順当にA面から聴き出すと途中で針を上げられそうだから、B面にしよう。トップはベサメ・ムーチョだ。スミスがギンギンに攻め、ジャクソンは股を割って派手にブローするかと思いきや、哀愁を滲ませながらじっくり聴かせる。脳天に響くエディー・マクファーディンのギターと憂いを持ったテナーのコントラストは、コレット・テンピア楽団の映画「太陽はひとりぽっち」のテーマ曲の雰囲気に似ていて妙に懐かしい。
日本ではさっぱりのハモンド・スミスだが、ディスコグラフィーを見て驚いた。60年代初頭から70年代中ごろまで夥しいアルバムをリリースしている。それもそのレーベルに録音するのが名誉といわれるプレスティッジとリバーサイドで、前者には2枚のベスト盤、後者からは63年に続けざまに4枚も出しているから相当の人気だったのだろう。ジャケットで売らず、中味で買うのが本物のジャズでありファンだとでもハモンド・スミスは言いたげだ。
その類のジャケの話は別項に譲るとして、今週はジャケ買いの対象にならないアルバムを話題にしてみよう。写真のジャケットをエサ箱で見かけたことがないだろうか。頻繁にレコード店を巡る方なら一度や二度は目にしているはずだ。大抵安い。それでも売れないのは、この工夫の無いジャケが一因と思われるが、日本では人気のないジョニー・ハモンド・スミスによるものだろう。スミスの人気云々というよりオルガンという楽器がブルース色を強くするため敬遠される傾向にある。同じスミスでもジミー・スミスなら知名度もあるが、ギタリストのジョニー・スミスと混同を避けるため楽器名を入れたこちらのスミスはエサ箱の隅というわけだ。
さらに正統派のジャズファンが鼻で笑うソウル・テナーの代表格であるウイリス・ジャクソンが共演となると、よほどのマニアでない限り手を出さない。そんな不遇の1枚だが、先入観を捨ててまずは聴いてみよう。順当にA面から聴き出すと途中で針を上げられそうだから、B面にしよう。トップはベサメ・ムーチョだ。スミスがギンギンに攻め、ジャクソンは股を割って派手にブローするかと思いきや、哀愁を滲ませながらじっくり聴かせる。脳天に響くエディー・マクファーディンのギターと憂いを持ったテナーのコントラストは、コレット・テンピア楽団の映画「太陽はひとりぽっち」のテーマ曲の雰囲気に似ていて妙に懐かしい。
日本ではさっぱりのハモンド・スミスだが、ディスコグラフィーを見て驚いた。60年代初頭から70年代中ごろまで夥しいアルバムをリリースしている。それもそのレーベルに録音するのが名誉といわれるプレスティッジとリバーサイドで、前者には2枚のベスト盤、後者からは63年に続けざまに4枚も出しているから相当の人気だったのだろう。ジャケットで売らず、中味で買うのが本物のジャズでありファンだとでもハモンド・スミスは言いたげだ。