
1933年にデューク・エリントンは初めてイギリスに演奏旅行する。27年にバーニー・ビガードとハリー・カーネイ、28年にジョニー・ホッジスが入団してバンドカラーが際立った時代だ。この時ジャズレコードのコレクターだった皇太子のパーティに招かれた。「王冠を賭けた恋」で知られる後のウィンザー公である。9月8日に逝去したエリザベス女王の伯父にあたる。
その後39年、48年にはレイ・ナンスとシンガーのケイ・デイヴィスを連れて渡欧するが、当時イギリスでは外国人の音楽家による公演は禁止されていたので、英国内で正式な演奏会は開かれていない。58年にようやくイギリスのテッド・ヒース楽団と交換演奏旅行という形で、ヨークシャーの芸術祭でステージに立った。そしてエリザベス女王に謁見する。長く対談したと記録されているので、おそらく音楽にも造形が深い女王とジャズの魅力を語り合ったのだろう。女王32歳、エリントン59歳だった。
帰国後、エリントンはその感激を曲にする。「The Queen's Suite 女王組曲」だ。何と自費で録音し、プレスしたのはたったの2枚。1枚は手元に置き、1枚は女王に献上した。さすがエリントンである。この組曲が素晴らしい内容なので、関係者は一般に販売してはどうかと持ちかけるがエリントンは首を縦に振らなかった。これぞ男のロマン。ようやく陽の目を見たのはエリントン死後のことだ。果たして発売していいものか?疑問符が残るが素晴らしい音楽は多くの人が聴くべきよ、と女王が仰ったのかも知れない。
19日に執り行われたエリザベス女王の国葬は各国の元首、首脳らを中心に約2000人が参列した。動員された警官は1万人以上というから万全の警備だ。沿道には数十万人が集まり、弔問の行列は約16キロに及んだ。生中継の視聴者数は41億人以上という。さて27日に予定されている我が国の国葬は何億人が見るのだろうか。おっと桁を間違えた。