♪粋な黒塀 見越しの松に 仇な姿の 洗い髪・・・昭和29年に大ヒットした春日八郎の「お富さん」である。息の長い曲で子ども心に歌詞の意味は分からないもののブギウギのリズムを基にした軽快なメロディに惹かれたものだ。歌詞は続く「死んだ筈だよお富さん 生きていたとは お釈迦さまでも 知らぬ仏の お富さん」。世間からはとうに死んだと思われている人が生きていて驚くことがある。
55年に録音された最初のリーダーアルバムを77年に再発する際、ライナーノーツを依頼されたジャズメンの動向に詳しいレナード・フェザーでさえ死んだと思っていたプレイヤーが生きていた。そのアルバムとは、「フランク・モーガン・オン・GNP」で、赤盤はマニア垂涎の的だ。この作品1枚きりで30年に亘る刑務所暮らしのためシーンから姿を消したモーガンが、85年に復帰する。30年ぶりの録音とは思えないほど活気にあふれておりブランクは全く感じられない。おそらく模範囚であったモーガンは、刑務所でアルトサックスを手にすることが許され、それが薬物中毒から抜け出す励みになっていたのだろう。
モーガンはデビュー当時ワーデル・グレイとの共演で話題を呼び、西海岸のチャーリー・パーカーと言われたほどテクニックやアイデアに富み、もし道を誤らなければジャズ史に名を残していた存在だ。この時代のアルト奏者が誰もがそうであるようにパーカー直系で、陰影のある節回しはアート・ペッパーや、泣きはソニー・クリスを思わせるが、何よりもバップを理解し、それを流麗に表現できる才能に恵まれていることだ。トップの「カーニバルの朝」にしても軽いリズムながらインプロビゼーションは、安易なメロディ発展にとどまらず、バップ本来のコードを巧みに利用したパーカー流で、バップの生き証人と言っていい。
「お富さん」の2番に「過ぎた昔を 恨むじゃないが 風も沁みるよ 傷の跡」、3番には「愚痴はよそうぜ」、そして4番は「逢えばなつかし 語るも夢さ 誰が弾くやら 明烏」という男の哀愁ともいえる歌詞がちりばめられている。刑務所暮らしの古傷を悔やむでもなく愚痴るのでもない。温かい目でサイドを固める旧友のシダー・ウォルトンやビリー・ヒギンズに支えれて吹くモーガンのアルトはいつになく男泣きしていた。
55年に録音された最初のリーダーアルバムを77年に再発する際、ライナーノーツを依頼されたジャズメンの動向に詳しいレナード・フェザーでさえ死んだと思っていたプレイヤーが生きていた。そのアルバムとは、「フランク・モーガン・オン・GNP」で、赤盤はマニア垂涎の的だ。この作品1枚きりで30年に亘る刑務所暮らしのためシーンから姿を消したモーガンが、85年に復帰する。30年ぶりの録音とは思えないほど活気にあふれておりブランクは全く感じられない。おそらく模範囚であったモーガンは、刑務所でアルトサックスを手にすることが許され、それが薬物中毒から抜け出す励みになっていたのだろう。
モーガンはデビュー当時ワーデル・グレイとの共演で話題を呼び、西海岸のチャーリー・パーカーと言われたほどテクニックやアイデアに富み、もし道を誤らなければジャズ史に名を残していた存在だ。この時代のアルト奏者が誰もがそうであるようにパーカー直系で、陰影のある節回しはアート・ペッパーや、泣きはソニー・クリスを思わせるが、何よりもバップを理解し、それを流麗に表現できる才能に恵まれていることだ。トップの「カーニバルの朝」にしても軽いリズムながらインプロビゼーションは、安易なメロディ発展にとどまらず、バップ本来のコードを巧みに利用したパーカー流で、バップの生き証人と言っていい。
「お富さん」の2番に「過ぎた昔を 恨むじゃないが 風も沁みるよ 傷の跡」、3番には「愚痴はよそうぜ」、そして4番は「逢えばなつかし 語るも夢さ 誰が弾くやら 明烏」という男の哀愁ともいえる歌詞がちりばめられている。刑務所暮らしの古傷を悔やむでもなく愚痴るのでもない。温かい目でサイドを固める旧友のシダー・ウォルトンやビリー・ヒギンズに支えれて吹くモーガンのアルトはいつになく男泣きしていた。