「JAZZ JAPAN」の後継誌「Jaz. in」最新号で忘れかけていた名前を見つけた。大抵訃報記事だが、今回もそれだ。ミシェル・サルダビーが昨年12月6日に88歳で亡くなったと報じている。1975年録音の「Gail」はエレキピアノを使っていて印象が薄かったことと、その後モンティ・アレキサンダーとのデュオ「Caribbean Duet」が出るまで10年程の間があったせいか、小生のなかでは88鍵から外れたピアニストになっていた。
ベスト盤を挙げるなら「Night Cap」だ。70年録音で脇を固めるのはパーシー・ヒースとコニー・ケイという名手。スタンダードは「Satin Doll」、他はサルダビーのオリジナル。レーベルは「Debs」。フランス盤なので、当時のアメリカ盤や国内盤の新譜と比べるとかなり高かったが、帰りの電車賃が残ったので迷わず買った憶えがある。タイトル曲が凄い。真夜中を徘徊するようなベースのソロから静寂を切り裂くスネアの連打、そして間髪入れずブルースフィーリング溢れるピアノが攻撃してくる。昼間、一段ヴォリューを上げて鳴らしてよし。タイトルの如く寝酒を味わいながら低い音でじっくり聴くのもいい。
今でこそヨーロッパのピアニストは数多く聴かれているが、70年前後のジャズ喫茶全盛時代は欧州盤を置いている店は少なかった。ベンクト・ハルベルクやマーシャル・ソラール、アンリ・ルノーは所有していてもリクエストがない限り積極的にかけない。70年代半ばにエンリコ・ピエラヌンツィ、続いて80年代初頭にミシェル・ペトルチアーニが現れてようやく注目されてきた。それは「クラシック」を基本としたジャズではなく、「ジャズ」から始まったジャズピアノだと誰でもが感じたからだろう。その先駆けとなったのがミシェル・サルダビーなのだ。改めて聴き直したが、ニューヨーク52番街の音と薫りがする。
「Night Cap」の発売を知ったのはスイングジャーナル誌の輸入レコード店の広告だった。同じような値付けで数店が載っている。当時のジャズ誌の広告はレコード会社の新譜は勿論だが、輸入盤専門店の入荷情報が多数載っていた。これを頼りにレコードを選んだものだ。最近のジャズ誌の広告というと大手中古レコード店のオリジナル盤買取ばかりである。時代が変わったとはいえ寂しい。
ベスト盤を挙げるなら「Night Cap」だ。70年録音で脇を固めるのはパーシー・ヒースとコニー・ケイという名手。スタンダードは「Satin Doll」、他はサルダビーのオリジナル。レーベルは「Debs」。フランス盤なので、当時のアメリカ盤や国内盤の新譜と比べるとかなり高かったが、帰りの電車賃が残ったので迷わず買った憶えがある。タイトル曲が凄い。真夜中を徘徊するようなベースのソロから静寂を切り裂くスネアの連打、そして間髪入れずブルースフィーリング溢れるピアノが攻撃してくる。昼間、一段ヴォリューを上げて鳴らしてよし。タイトルの如く寝酒を味わいながら低い音でじっくり聴くのもいい。
今でこそヨーロッパのピアニストは数多く聴かれているが、70年前後のジャズ喫茶全盛時代は欧州盤を置いている店は少なかった。ベンクト・ハルベルクやマーシャル・ソラール、アンリ・ルノーは所有していてもリクエストがない限り積極的にかけない。70年代半ばにエンリコ・ピエラヌンツィ、続いて80年代初頭にミシェル・ペトルチアーニが現れてようやく注目されてきた。それは「クラシック」を基本としたジャズではなく、「ジャズ」から始まったジャズピアノだと誰でもが感じたからだろう。その先駆けとなったのがミシェル・サルダビーなのだ。改めて聴き直したが、ニューヨーク52番街の音と薫りがする。
「Night Cap」の発売を知ったのはスイングジャーナル誌の輸入レコード店の広告だった。同じような値付けで数店が載っている。当時のジャズ誌の広告はレコード会社の新譜は勿論だが、輸入盤専門店の入荷情報が多数載っていた。これを頼りにレコードを選んだものだ。最近のジャズ誌の広告というと大手中古レコード店のオリジナル盤買取ばかりである。時代が変わったとはいえ寂しい。