はじめてかけたのが・・・私は、全身震えを感じ、聴き終ったら涙を流していた。なるほど、音楽とはこういうものかと思った。・・・音楽が終ったあと、やさしい男の声が流れた。音は生れてすぎ去り、永久に捕えることが出来ないといっているようだった。私は自分が才能なく音楽に無縁で、一度印刷されたら、消すことの出来ない小説を書く仕事を選んだことが、不幸のように一瞬思った・・・
今月9日に亡くなった瀬戸内寂聴さんが、ジャズ批評誌30号(1978年発行)の「私の好きな一枚のジャズ・レコード」に寄せた稿の一節である。その一枚とは・・・ここでは「ラスト・レコーディング」と書かれているが、エリック・ドルフィーの「Last Date」だ。「四十年も私は耳がありながらつんぼでいたのである(原文のまま)」と書かれているので、ジャズとの出会いは遅かったものの、最初に聴いたのが数万枚あるジャズ・アルバムの中でもベスト100に必ず選ばれる作品だったというのがジャズファンとして嬉しい。偶々つまらないものを聴いてしまうとそこでジャズとは縁がなくなる。
性愛を通して人間の業を描いた作家がはじめてかけた時のようにそっとターンテーブルに乗せた。この時点で既にドルフィーが聴こえる。いや、正確に言うならば棚からジャケットを取り出した瞬間から演奏は始まっているのだ。1曲目のバスクラリネットのいななきに仰け反る。白眉は「You Don't Know What Love Is」だ。フルートソロのベストと言っていい。続く自作曲「Miss Ann」で最高の幕を下す。そして、「やさしい男の声」の「When music is over, it’s gone in the air. You can never capture it again」。知らず知らずのうちに涙があふれた。
「もし、人より素晴らしい世界を見よう、そこにある宝にめぐり逢おうとするなら、どうしたって危険な道、恐い道を歩かねばなりません。そういう道を求めて歩くのが、才能に賭ける人の心構えなのです」。瀬戸内さんの名言だ。まさにアメリカを諦め、ヨーロッパを活動の拠点にしようと決意した1964年のドルフィーである。大正、昭和、平成、令和と4つの時代を生きた作家・・・享年99歳。合掌。
今月9日に亡くなった瀬戸内寂聴さんが、ジャズ批評誌30号(1978年発行)の「私の好きな一枚のジャズ・レコード」に寄せた稿の一節である。その一枚とは・・・ここでは「ラスト・レコーディング」と書かれているが、エリック・ドルフィーの「Last Date」だ。「四十年も私は耳がありながらつんぼでいたのである(原文のまま)」と書かれているので、ジャズとの出会いは遅かったものの、最初に聴いたのが数万枚あるジャズ・アルバムの中でもベスト100に必ず選ばれる作品だったというのがジャズファンとして嬉しい。偶々つまらないものを聴いてしまうとそこでジャズとは縁がなくなる。
性愛を通して人間の業を描いた作家がはじめてかけた時のようにそっとターンテーブルに乗せた。この時点で既にドルフィーが聴こえる。いや、正確に言うならば棚からジャケットを取り出した瞬間から演奏は始まっているのだ。1曲目のバスクラリネットのいななきに仰け反る。白眉は「You Don't Know What Love Is」だ。フルートソロのベストと言っていい。続く自作曲「Miss Ann」で最高の幕を下す。そして、「やさしい男の声」の「When music is over, it’s gone in the air. You can never capture it again」。知らず知らずのうちに涙があふれた。
「もし、人より素晴らしい世界を見よう、そこにある宝にめぐり逢おうとするなら、どうしたって危険な道、恐い道を歩かねばなりません。そういう道を求めて歩くのが、才能に賭ける人の心構えなのです」。瀬戸内さんの名言だ。まさにアメリカを諦め、ヨーロッパを活動の拠点にしようと決意した1964年のドルフィーである。大正、昭和、平成、令和と4つの時代を生きた作家・・・享年99歳。合掌。