ブルーノート盤「Blowing in From Chicago」でライナーノーツを担当したシカゴのコラムニスト、ジョー・シーガルは、コルトレーンが洩らした言葉を紹介している。「こんなに若くて優秀なテナーマンがたくさんいる街はシカゴだけだ」と。1957年の録音当時シカゴ出身者はジョニー・グリフィンを筆頭にこのアルバムの双頭リーダーとして名を連ねているクリフ・ジョーダンとジョン・ギルモアがいた。
ともにこの時25歳である。シカゴに凄いテナーがいるよとアルフレッド・ライオンに紹介したのはホレス・シルヴァーだ。当然、ピアノはシルヴァーが弾く。この時期シルヴァーと付き合いのあるベースといえばダグ・ワトキンスとテディ・コティック、ドラムはルイ・ヘイズだが、何とカーリー・ラッセルとアート・ブレイキーで脇を固める。そう、あの54年の名盤「バードランドの夜」のリズム陣だ。いうなればオール・アメリカンならぬオール・ブルーノート・リズム・セクションという布陣である。デビュー盤にしては荷が重すぎるのではないか。いや、そんなことはない。
シカゴで十分に経験を積んだだけのことはある。粗削りとはいえ勢いがそれを上回っており、一級品のハードバップに仕上がった。圧巻はこのアルバム中一番演奏時間が長いパーカーの曲「Billie's Bounce」で、頭からブレイキーが煽る煽る。普通はここでビビるのだが、冗談じゃないこのアルバムは俺たちのリーダー作だ。年寄りに勝手にさせてたまるかと言わんばかりにジョーダンとギルモアは分厚い音でテーマ合奏に入っていく。これでブレイキーもシルヴァーも乗った。こうなるとしめたものだ。完璧なブルーノート・セッションはこうして生まれたのだろう。
このあとジョーダンはシルヴァー、ギルモアはブレイキーのバンドに活躍の場を移す。そういえばマイルスはロリンズの後継サックス奏者を探していたとき、キャノンボールとギルモアの名がリストにあったという。キャノンボールは教師としての契約が残っており、ギルモアはマイルスの言葉を借りるなら「ふさわしくなかった」と。親分から相談されたフィリー・ジョーが連れてきたのはコルトレーンだった。どこかで風向きが変わったのかもしれない。
ともにこの時25歳である。シカゴに凄いテナーがいるよとアルフレッド・ライオンに紹介したのはホレス・シルヴァーだ。当然、ピアノはシルヴァーが弾く。この時期シルヴァーと付き合いのあるベースといえばダグ・ワトキンスとテディ・コティック、ドラムはルイ・ヘイズだが、何とカーリー・ラッセルとアート・ブレイキーで脇を固める。そう、あの54年の名盤「バードランドの夜」のリズム陣だ。いうなればオール・アメリカンならぬオール・ブルーノート・リズム・セクションという布陣である。デビュー盤にしては荷が重すぎるのではないか。いや、そんなことはない。
シカゴで十分に経験を積んだだけのことはある。粗削りとはいえ勢いがそれを上回っており、一級品のハードバップに仕上がった。圧巻はこのアルバム中一番演奏時間が長いパーカーの曲「Billie's Bounce」で、頭からブレイキーが煽る煽る。普通はここでビビるのだが、冗談じゃないこのアルバムは俺たちのリーダー作だ。年寄りに勝手にさせてたまるかと言わんばかりにジョーダンとギルモアは分厚い音でテーマ合奏に入っていく。これでブレイキーもシルヴァーも乗った。こうなるとしめたものだ。完璧なブルーノート・セッションはこうして生まれたのだろう。
このあとジョーダンはシルヴァー、ギルモアはブレイキーのバンドに活躍の場を移す。そういえばマイルスはロリンズの後継サックス奏者を探していたとき、キャノンボールとギルモアの名がリストにあったという。キャノンボールは教師としての契約が残っており、ギルモアはマイルスの言葉を借りるなら「ふさわしくなかった」と。親分から相談されたフィリー・ジョーが連れてきたのはコルトレーンだった。どこかで風向きが変わったのかもしれない。