マイルスをはじめハンコックやショーターらの60年代後半の演奏スタイルを「New Mainstream Jazz」と名付けたのはジャズ評論家のアイラ・ギトラーだった。日本で新主流派と呼ばれているジャズの流れだ。そのギトラーが、ジェリー・マリガンが亡くなった半年後の1996年6月に、ローマで開催されるジャズ・フェスティバルのハイライトとしてマリガンの愛奏曲をバリトン3本で演奏するという企画を思いつく。
呼び集められたのはロニー・キューバ、ニック・ブリグノラ、ゲイリー・スマリアンの3人だ。ニックは残念なことに2002年に亡くなったが、その当時はバリトン奏者として鎬を削っていた3人である。ジャズ界に大きな発言力を持つギトラーの呼びかけなら応じないわけにはいかないが、それよりもこの3人がローマで一堂に会したのはマリガンを追悼するためだった。大きくて重いうえ、相当の肺活量がなければ吹けないし、音が出ても低いのに値段は高いというバリトン・サックスだが、それをテナー・サックスのように軽々吹くマリガンを聴いてこの楽器の魅力を知り、マリガンに憧れた3人だ。
「プレイズ・マリガン」はジャズ・フェスティバルの翌年にニューヨークで録音されたもので、タイトルの如くマリガンが得意としたナンバーで構成されている。トップはマリガンのオリジナルで、おそらくマリガン自身一番多く演奏したであろう「ライン・フォー・ライオンズ」だ。ライオンズはモンタレー・ジャズ・フェスティバルの初代プロデューサーであるジミー・ライオンズで、記念すべき第一回目の同フェスにマリガンが呼ばれたことに感謝して作られた曲である。後にビル・ラフボローが歌詞をつけて「アワー・ソング」のタイトルで歌われたほどメロディアスな作品だ。その美しいメロディ・ラインを合奏する3人はそれぞれスタイルは違っても精神は皆マリガンである。
アイラ・ギトラーはプレスティッジでボブ・ワインストックの片腕として働いていたころ、200本に及ぶライナー・ノーツを担当したそうだ。新語や造語の名人として知られ、有名なところではコルトレーンの切れ目なく続くサックスの音を「シーツ・オブ・サウンド」と形容したり、ウェス・モンゴメリーのライナーでは「Guitar」と「Heart」を合わせて「Guitheart」という合成語も作っている。ギトラーのライナーで辞典に載っていない単語があればそれはギトラーのジャズ語だと思っていい。
呼び集められたのはロニー・キューバ、ニック・ブリグノラ、ゲイリー・スマリアンの3人だ。ニックは残念なことに2002年に亡くなったが、その当時はバリトン奏者として鎬を削っていた3人である。ジャズ界に大きな発言力を持つギトラーの呼びかけなら応じないわけにはいかないが、それよりもこの3人がローマで一堂に会したのはマリガンを追悼するためだった。大きくて重いうえ、相当の肺活量がなければ吹けないし、音が出ても低いのに値段は高いというバリトン・サックスだが、それをテナー・サックスのように軽々吹くマリガンを聴いてこの楽器の魅力を知り、マリガンに憧れた3人だ。
「プレイズ・マリガン」はジャズ・フェスティバルの翌年にニューヨークで録音されたもので、タイトルの如くマリガンが得意としたナンバーで構成されている。トップはマリガンのオリジナルで、おそらくマリガン自身一番多く演奏したであろう「ライン・フォー・ライオンズ」だ。ライオンズはモンタレー・ジャズ・フェスティバルの初代プロデューサーであるジミー・ライオンズで、記念すべき第一回目の同フェスにマリガンが呼ばれたことに感謝して作られた曲である。後にビル・ラフボローが歌詞をつけて「アワー・ソング」のタイトルで歌われたほどメロディアスな作品だ。その美しいメロディ・ラインを合奏する3人はそれぞれスタイルは違っても精神は皆マリガンである。
アイラ・ギトラーはプレスティッジでボブ・ワインストックの片腕として働いていたころ、200本に及ぶライナー・ノーツを担当したそうだ。新語や造語の名人として知られ、有名なところではコルトレーンの切れ目なく続くサックスの音を「シーツ・オブ・サウンド」と形容したり、ウェス・モンゴメリーのライナーでは「Guitar」と「Heart」を合わせて「Guitheart」という合成語も作っている。ギトラーのライナーで辞典に載っていない単語があればそれはギトラーのジャズ語だと思っていい。