デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

ジェリー・マリガンに捧ぐ

2013-03-31 08:26:07 | Weblog
 マイルスをはじめハンコックやショーターらの60年代後半の演奏スタイルを「New Mainstream Jazz」と名付けたのはジャズ評論家のアイラ・ギトラーだった。日本で新主流派と呼ばれているジャズの流れだ。そのギトラーが、ジェリー・マリガンが亡くなった半年後の1996年6月に、ローマで開催されるジャズ・フェスティバルのハイライトとしてマリガンの愛奏曲をバリトン3本で演奏するという企画を思いつく。

 呼び集められたのはロニー・キューバ、ニック・ブリグノラ、ゲイリー・スマリアンの3人だ。ニックは残念なことに2002年に亡くなったが、その当時はバリトン奏者として鎬を削っていた3人である。ジャズ界に大きな発言力を持つギトラーの呼びかけなら応じないわけにはいかないが、それよりもこの3人がローマで一堂に会したのはマリガンを追悼するためだった。大きくて重いうえ、相当の肺活量がなければ吹けないし、音が出ても低いのに値段は高いというバリトン・サックスだが、それをテナー・サックスのように軽々吹くマリガンを聴いてこの楽器の魅力を知り、マリガンに憧れた3人だ。

 「プレイズ・マリガン」はジャズ・フェスティバルの翌年にニューヨークで録音されたもので、タイトルの如くマリガンが得意としたナンバーで構成されている。トップはマリガンのオリジナルで、おそらくマリガン自身一番多く演奏したであろう「ライン・フォー・ライオンズ」だ。ライオンズはモンタレー・ジャズ・フェスティバルの初代プロデューサーであるジミー・ライオンズで、記念すべき第一回目の同フェスにマリガンが呼ばれたことに感謝して作られた曲である。後にビル・ラフボローが歌詞をつけて「アワー・ソング」のタイトルで歌われたほどメロディアスな作品だ。その美しいメロディ・ラインを合奏する3人はそれぞれスタイルは違っても精神は皆マリガンである。

 アイラ・ギトラーはプレスティッジでボブ・ワインストックの片腕として働いていたころ、200本に及ぶライナー・ノーツを担当したそうだ。新語や造語の名人として知られ、有名なところではコルトレーンの切れ目なく続くサックスの音を「シーツ・オブ・サウンド」と形容したり、ウェス・モンゴメリーのライナーでは「Guitar」と「Heart」を合わせて「Guitheart」という合成語も作っている。ギトラーのライナーで辞典に載っていない単語があればそれはギトラーのジャズ語だと思っていい。
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「ジャンゴ 繋がれざる者」のエンドクレジットを最後まで観たか  

2013-03-24 08:49:04 | Weblog
 第85回アカデミー賞で脚本賞と助演男優賞の2冠に輝いた西部劇「ジャンゴ 繋がれざる者」をご覧になっただろうか。監督はクエンティン・タランティーノで、アメリカの恥部である奴隷問題を扱っていた。「RAY/レイ」でレイ・チャールズになりきったジェイミー・フォックスが主演しており、ガンマンぶりも様になる。軸のテーマは重いが、スピード感あるストーリー展開と、派手な銃撃戦は映画を知り尽くした監督ならではの醍醐味だ。

 ジャズでジャンゴといえば、ジプシーを中心に発達してきたロマ音楽にスウィングジャズの要素を取り入れたジプシー・スウィングの創始者として知られるギタリストのジャンゴ・ラインハルトがいる。ラインハルトは火事で大やけどを負ったことからギタリストとしては致命的な障害を左手に残しながらも、不屈の精神でそれを克服したが、それは白人支配に屈しない映画の主人公ジャンゴにも通じるだろう。そのハンディから独自の奏法を確立しているが、特に最も叙情的と評されるフィンガー・ビブラートはギターの音色というより、心の襞を爪弾いた喜怒哀楽を映した音かもしれない。

 そのラインハルトのレコードを擦り切れるほど聴いて勉強したのはジョー・パスだった。「For Django」は敬愛する師ともいえるラインハルトに捧げたアルバムで、数あるパスの作品でもベストといえる内容だ。「ロゼッタ」や「雲」といったお馴染みのナンバーは勿論だが、ラストに収められた「ライムハウス・ブルース」が素晴らしい。リズム・ギターのジョン・ピサノと速いテーマが重なったところで、実にいいタイミングで入ってくるのはマイルス・バンドにトニー・ウィリアムスの代役で加わったこともあるコリン・ベイリーのドラムである。さりげない一音が名演をさらに名演に押し上げるようだ。

 最近、映画館で気になることがある。エンドクレジットで席を立つ人が多いことだ。ときには5分以上も続く長いのもあるとはいえ余韻に浸れないものだろうか。この「ジャンゴ 繋がれざる者」にはエンドロールが終わって最後の最後にワンシーンがある。ネタを明かすわけにはいかないが、強烈なメッセージが込められていた。このシーンは、「Django」というニックネイムがロマ語で「私は目覚める」という意味と重なる。
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イボンヌ・ウォルター、コルトレーンを歌う

2013-03-17 22:05:30 | Weblog
 バラードアルバムの傑作中の傑作であるコルトレーンの「Ballads」が63年に発表されたとき、大衆に迎合した企画だの、牙を抜かれたコルトレーンだのと批判があったという。アトランティックからインパルスに移り、「アフリカ/ブラス」を発表以降、演奏も長尺化し、前衛に向うコルトレーンに付いていけないファンがいる一方、変化を熱烈に応援するマニアもいて、その革新支持派から挙がった批判のようだ。

 今では笑い話のようだが、甘いバラード作品はウイズ・ストリングスのような見方をされていていたのだろう。パーカーのストリングス物が酷評されたことに似ているが、いつの時代もけちを付ける輩はいるものだ。そのバラードのお手本を2008年に大胆にも丸ごと歌ったのはオランダのシンガー、イヴォンヌ・ウォルターである。早くからアイデアがあったようだが、2000年にカーリン・アリソンが同様の企画でアルバムを発売したことから一度は棚上げになったという。それでもライヴでは必ず取り上げるコルトレーン・バラードを、カーリンとは違う解釈で歌うのだという強い自信から発売に踏み切ったものだ。

 お馴染み「セイ・イット」から始まるバラード集を歌うイヴォンヌの声質は、同郷のアン・バートンに似ていて心地よい。バートンの晩年のピアニストであるロブ・ヴァン・クリーヴェルドとメアリー・フーアートのベースだけの伴奏なのでより旋律の美しさと歌詞の意味がひしひしと伝わってくる。全8曲、見事なまでの再現、というよりコルトレーンに敬愛を込めた表現と言ったほうが正しいだろうか。なかでも「All Or Nothing at All」は、クリーヴェルドの軽快なピアノがマッコイ・タイナーを思わせ、まるで歌心にあふれたコルトレーンが乗り移ったかのような気魄のヴォーカルを聴ける極上の一品だ。

 コルトレーンの変化と発展のジャズは思うようにセールが伸びず、業を煮やしたインパルスが、「グリーンスリーヴス」をシングル盤で発売する。これが売れたことからスタンダードだけの「Ballads」の企画が持ち上がったとされる一方、当時、コルトレーンはマウスピースの調子が悪くて速いテンポのものは演奏できなかった、とも伝えれている。どちらにしても名盤は意図しないところから生まれる。
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ストールン・モーメンツのロックを開錠できるか

2013-03-10 08:44:31 | Weblog
 「ブルースの真実」というアルバムを最初に聴いたのは45年も前のことだろうか。ジャズを聴き始めたころで何を聴いても感動したものだが、この作品は印象深い。ジャケットにはようやく名前を覚えたポール・チェンバース、エリック・ドルフィー、ビル・エバンス、ロイ・ヘインズ、そしてフレディ・ハバードと上から順にクレジットされている。ところが最上段にあるリーダーであろうプレイヤーの名前を知らないが聴いて驚いた。

 何だこれは?そうか、ブルースとはこれか!と。美しいメロディなのにどこか妖しげで、都会的な空間でありながら泥臭い。強烈な「ストールン・モーメンツ」を書き、アルバム全体を統一されたトーンで染めたオリバー・ネルソンという名前を知った。リード奏者としては特徴がないが、作編曲者としては圧倒的な存在感を誇る人だ。特徴がないとはいえニュージャズ・レーベルでドルフィーと組んだ作品は、ファンキーという形を打破して新しいものを目指していたスタイルが聴き取れる。その新しいものとはジャズの永遠の命題であるブルースを様々な形で探求し、明確な音として表現することだったのだろう。

 それを結実した形が「ブルースの真実」というアルバムであり、「ストールン・モーメンツ」こそブルースの真実を解く鍵なのだ。このブルース表現者としての資質を問われる曲をジョー・ロックが取り上げている。90年代にめきめき頭角を現してきたヴァイヴ奏者で、アルバム数も多いが、常にメンバーを入れ替えることで自らを鼓舞しているプレイヤーだ。この「セイリング」というアルバムは、ピアノのビリー・チャイルズを中心にしたトリオと組んだMJQと同じ編成なのだが、MJQのグループとしてのサウンド重視ではなくロックが前面に出ていてたっぷりブルージィなヴァイヴを堪能できる。

 「Stolen Moments」を直訳すると「盗まれた時間」だが、時空を超越した最高に素晴らしい時間を指すらしい。ジャズを聴き始めたころは何を聴いても新鮮で、食費を削ってでも買ったレコードは宝であり、それを聴くのは最高に楽しい時間であった。ジャズに費やされたは厖大な時間は盗まれた時間かもしれないが、最も貴重な時間でもあるし、それは生涯変わらないだろう。今宵もジャズという至福の時間が流れる。
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デンマーク発ハッシャ・バイ

2013-03-03 11:23:27 | Weblog
 最近の報道写真を使ったかのようなジャケットがある。数字とアルファベットを組み合わせたナンバープレートなのでヨーロッパ諸国のそれとわかるが、この背景で省や自治区を示す1文字の漢字が入っていれば間違いなく大気が汚染された中国だ。北京市内では昼間でもヘッドライトをつけて走る車が多いというからそれだけ有害濃霧が酷いのだろう。その有害物質を含んだ大気が海を越えて日本に飛来してくるから穏やかな話ではない。

 さて、マスクをしなければ歩けそうもない風景のジャケットは、デンマークのピアニスト、オリヴィエ・アントゥネスが師であるケニー・ドリューに捧げたものだ。北欧のピアニストというとクラシックの素養があり、それを原点とするので本来ジャズが持つスウィング感よりもクラシック的発想の弾き方になる。それはそれでジャズピアノのひとつのスタイルとして今では確立されているが、静かに縦に揺れるよりも、やはり激しく横に揺れるほうが面白い。オリヴィエも勿論その北欧スタイルなのだが、ドリューの影響もありアメリカ的な感覚によるピアノで、バネが利いたスウィング感も身に着けているようだ。

 タイトルは映画「Elvira Madigan」の主題歌で、邦題は「みじかくも美しく燃え」と付けられていたが、モーツァルトのピアノ協奏曲の一部である。当然だがさすがにクラシック曲は上手い。この曲やアルバム・トップに収められている「いつか王子様が」は、メロディの美しさを際立たせる静のピアノだが、「ハッシャ・バイ」は動のピアノだ。元はユダヤの子守唄なので静かな曲と思われるが、サミー・フェインが手を加えたことでリズミカルに演奏されるようなった曲である。ジョニー・グリフィンが得意としているので、その後の演奏はそれに倣うように豪快な味付けが多いが、オリヴィエもアメリカ流に飛ばしながらも幼いときから培ってきた歌心も忘れない。

 ジャケットの写真は今飛んでくる有害濃霧というより、色合からすると春に降ってくる黄砂といったほうが正しいか。黄砂は中国西部のタクラマカン砂漠や、北部のゴビ砂漠の砂塵が上空に巻き上げられ、国境を跨いで飛んできては田畑や健康に被害を与えるもので、日本でも毎年多くの被害が報告されている。まさか射撃用のレーダーばかりでなく有害濃霧や黄砂を日本に照射しているわけではあるまい。
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