定期的に立ち寄る中古レコード店への道すがらジュエリー店のショーウィンドを覘きこむ若いカップルを見かけた。なかなかにチャーミングな女性で、ガラスの向こうに輝く宝石と連れの男性を交合に見つめながら楽しそうに話している。私に似合うかしらとダイヤのブレスレットでもねだっているのだろうか。その男性の表情は窺えぬが、腕を組んだり、頭をかいたり、財布と相談して困った様子が遠目にも推測できる。
若い二人の会話は聞こえぬが、おそらく「僕には今、こんな高価なものを買えるお金はないけれど、君のことをとっても愛しているよ」と、ニューヨークのティファニーでカップルが交わした内容と同じなような気がしてならない。1928年にこの会話を聞いて閃いたジミー・マクヒューが近くのスタインウェイのショールームに飛び込んで一気に書き上げたのが「I can't give you anything but love」で、世界大恐慌に突入した時代に大きな共感を呼んだという。恐慌であっても経済的に富んでいても今尚歌い継がれるのは、物質的な豊かさよりも心の豊かさを尊重する歌詞と、弾む珠玉のメロディにあるのかもしれない。
本来、男性の歌だが、多くの女性シンガーが取り上げている。なかでもスウェーデンの歌姫モニカ・セッテルンドが、60年にニューヨークで録音された音源は行方不明になっていたことから幻と言われていた。ハノーヴァ社で録音されるも発売前に倒産し、そのテープはルーレット、さらに英EMIと紆余曲折があったもののようやく陽の目を見たまさに「ロスト・テープ」である。プロデュースしたのは、ドイツのピアニスト、ユタ・ヒップをアメリカに呼び寄せたレナード・フェザーで、何せ美人となると張り切る「エロデューサー」だ。モニカの身も案じられるがいらぬ詮索は止めにして、ヴァースから歌いだすゆったりとしたバラードに浸りたい。
中古レコード店のエサ箱は多少入れ替えがあったようで、聴きたいレコードが何枚か箱の奥で輝いていた。札幌は東京と比べ値段が高いのは承知しているが、腕組みするもつい手が伸びる。店を出た後、よく考えると既に持っているレコードだと気付き頭をかいた。ジャズ痴呆症にはよくあることだ。馴染みのジャズバーにでも寄ろうかと財布と相談する姿は、先ほど見かけた連れの男性に似ていた。
若い二人の会話は聞こえぬが、おそらく「僕には今、こんな高価なものを買えるお金はないけれど、君のことをとっても愛しているよ」と、ニューヨークのティファニーでカップルが交わした内容と同じなような気がしてならない。1928年にこの会話を聞いて閃いたジミー・マクヒューが近くのスタインウェイのショールームに飛び込んで一気に書き上げたのが「I can't give you anything but love」で、世界大恐慌に突入した時代に大きな共感を呼んだという。恐慌であっても経済的に富んでいても今尚歌い継がれるのは、物質的な豊かさよりも心の豊かさを尊重する歌詞と、弾む珠玉のメロディにあるのかもしれない。
本来、男性の歌だが、多くの女性シンガーが取り上げている。なかでもスウェーデンの歌姫モニカ・セッテルンドが、60年にニューヨークで録音された音源は行方不明になっていたことから幻と言われていた。ハノーヴァ社で録音されるも発売前に倒産し、そのテープはルーレット、さらに英EMIと紆余曲折があったもののようやく陽の目を見たまさに「ロスト・テープ」である。プロデュースしたのは、ドイツのピアニスト、ユタ・ヒップをアメリカに呼び寄せたレナード・フェザーで、何せ美人となると張り切る「エロデューサー」だ。モニカの身も案じられるがいらぬ詮索は止めにして、ヴァースから歌いだすゆったりとしたバラードに浸りたい。
中古レコード店のエサ箱は多少入れ替えがあったようで、聴きたいレコードが何枚か箱の奥で輝いていた。札幌は東京と比べ値段が高いのは承知しているが、腕組みするもつい手が伸びる。店を出た後、よく考えると既に持っているレコードだと気付き頭をかいた。ジャズ痴呆症にはよくあることだ。馴染みのジャズバーにでも寄ろうかと財布と相談する姿は、先ほど見かけた連れの男性に似ていた。