デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

暮れに見る夢、クレイジェスト・ドリーム

2012-12-30 08:46:25 | Weblog
 さぁて、今日は何を聴こうか。そうだ、久しぶりにあれをかけよう。いや、そういえば年末のバーゲンで買ったまま針を落としていないあれもあった。と、レコード棚を眺めます。取り出した1枚のレコードからは熱を帯びたアドリブは勿論のこと、そのアルバムの背景やプレイヤーの想い、更には曲に秘められた意味など、色々なものが聴こえてきます。そんなイメージを気の向くまま綴ってきたアドリブ帖も本年最終のアップになりました。

 思い返すと初稿は2006年1月2日ですので、今年で7年間書き続けてきたことになります。3年とも5年ともいわれるブログの寿命ですが、こうして長きに亘り毎週更新できたのはいつもご覧いただいている皆様のおかげです。アドリブ帖というタイトルのように思いつくまま書いておりますので、ときに読みづらかったり、解り難い部分もあったかと思われますが、それもアドリブの延長と読み流していただければ幸いです。また、コメント欄はブログの華といわれておりますが、毎週賑わしてくださる皆様に感謝申し上げます。このコメントという大きな支えがあったからこそ毎週欠かさず更新できたといっても過言ではないでしょう。

 毎年、最終稿ではバック・クレイトンやコルトレーンのクレッセント等、暮れの定番を話題にしてきましたが、今年はデイヴ・ペルの「クレイジェスト・ドリーム」を取り出しました。原題「I Had The Craziest Dream」は、ハリー・ジェームス楽団のシンガー、ヘレン・フォレストの十八番として有名な曲ですが、インストも名演が多く、ケニー・ドーハムの「静かなるケニー」を想いだされる方もおられるでしょう。このドーハムが東の名演なら、西海岸のベストといえばオクテットという変則編成でハーモニーに厚みを加えたペルのバンドがあります。ジャケット同様、音楽もハーレムのような夢心地を味わえるアルバムかもしれません。

 さて、来年はどんな一年になるのでしょう。ジャズを取り巻く状況が変わるかもしれませんが、ジャズを支えるスイングだけは失ってほしくないものです。来年もまたそんなスイング感あふれる名演をレコード棚から取り出します。毎週欠かさず更新を続ける予定ですので引き続きご愛読頂ければ幸いです。毎週ご覧いただいたいた皆様、そしてコメントをお寄せいただいた皆様、本当にありがとうございました。

九拝
コメント (18)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スイング・バンドのレディ・シンガーたち

2012-12-23 07:29:13 | Weblog
 80年代初頭に日本ビクターが企画したスイング・バンド・レディ・シンガー・コレクションは、ビッグバンドが全盛期だった30年代の音源から専属のレディ・シンガーの録音をまとめたもので、オリジナルはSPレコードということもありノスタルジックな雰囲気に包まれる。1曲の録音時間は僅か3分間だが、3分間はこんなにも長く、凝縮された短い時間はこんなにもドラマティックなのかと改めて感じる。

 写真はそのシリーズの1枚で、ラリー・クリントン楽団の専属シンガーとして活躍したビー・ウェインの歌声を集めたものだ。クリントンはクラシックをポップスに編曲したことで注目を浴びたバンドリーダーで、なかでもドビュッシーのピアノ曲である「Reverie」に歌詞を付けた「My Reverie」が有名で、これを歌ったのがウェインである。「My Reverie」はモダンジャズ・スタイルで演奏しても映える曲で、ロリンズが「テナー・マッドネス」で取り上げているが、これがオリジナル録音だ。ドビュッシーの曲が元だと言われなければ気が付かないほど斬新なアレンジが施されていて編曲家としてもクリントンは一流だったのだろう。

 さて、その声は?一言でいうと・・・この際、帯分を拝借しよう。「アメリカNo.1と言われる美しい唱法、暖かい歌声」ということになる。大袈裟でも何でもない。ついでに「目が綺麗な美人」とでも付け加えておこうか。最大のヒット曲「My Reverie」をはじめスタンダード中心の選曲で馴染みやすいが、なかでもトーチ・ソングの「ゴースト・オブ・ア・チャンス」が聴きものだ。というのもウェインはこの時22歳である。その歳で「はかない望み」という邦題も付いている切ない女心を表現できるのか、と。哀しみを想いだすように訥々と歌いながらも、ほのかな希望を抱かせる優しさも伝わってくる。まさに暖かい歌声。帯分に偽りなしだ。

 このシリーズではミルドレッド・ベイリーやダイナ・ショア等、偉大なシンガーのデビュー当時の声を聴くことができる。ライナーノーツを担当した野口久光氏はレコーディング・デビューの年齢を記しているが、ヘレン・ウォードとエラ・フィッツジェラルドが18歳、リナ・ホーンとジョー・スタッフォードは17歳、そしてリー・ワイリーは15歳というから驚く。歌唱力、表現力、ステージ度胸、どれをとってもデビュー時から一流である。
コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジャズバーの片隅で聴く What Love Is

2012-12-16 08:50:45 | Weblog
 「銀座の裏通りという説もあるし、六本木の雑居ビルの地下という者もいるし、ニューヨークのイースト・ヴィレッジにあったという噂もあるし、ボストンの大学の構内にひっそりと看板がかかっていたという話も聞いたことがあった。」村上龍の幻のジャズバーを舞台にした「恋はいつも未知なもの」(角川文庫)の一節だ。スタンダードナンバーをタイトルにした小説で、ジャズバーのカウンターに座っている主人公と自分を重ねたくなる話が詰まっている。

 You Don't Know What Love Is・・・ぼろぼろだったビリー・ホリデイの執念の名唱として知られているが、何故かインストもドラマティックな録音が多い。マル・ウォルドロンの「レフト・アローン」に於ける演奏はビリーの幻を見るような重い響きを放ち、ドルフィーが亡くなる寸前に残したフルートの演奏は、まるで死を予感しているような悲壮の響きを持っていた。さらにフロントに厚みを増したジャズ・メッセンジャーズの三管編成初録音のインパルス盤は、リー・モーガンとボビー・ティモンズという看板スターの首を切る決断をしたといわれるアルバムで、ウエイン・ショーターのその後の活躍を約束するフレーズで埋められている。

 バラードの必須ナンバーだけあり一度は演奏するチューンで、チャーリー・ラウズもワンホーンで吹いていた。ラウズというとモンク・バンドで文句も言わずモクモクとプレイしていたが、自己のアルバムとなると張り切りようが違う。同じプレイヤーとは思えないほどの輝きをみせるのは驚きだ。モンク・バンドがマンネリ化したのはラウズの機械的なソロによるものだ、という指摘があるが、そうさせたのはモンク自身だから一方的にラウズを責めるわけにはいかない。伸び伸びした環境でプレイしたならモンクの元であっても閃きのあるフレーズに「YEAH!」の声がかかったであろう。

 薄野の裏通りに最近、よく通うジャズバーがある。カウンターだけの狭い店だが、レコードのチリノイズと真空管の優しい音、そしてアルテック604から程よい音量で流れるジャズ空間は異次元の趣きだ。ジャズバーの名前は・・・秘密にしておこう。隠れ家を知られたらそこは現実のジャズバーになってしまう。村上龍が描いた幻のジャズバーはきっとそんな隠れ家だったのかもしれない。
コメント (20)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

デイヴ・ブルーベックはスウィングしないのか?

2012-12-09 08:54:02 | Weblog
 芸術家、それも音楽家、さらに限定すればジャズ・ミュージシャンほど毀誉褒貶の激しいアーティストはいない。特に革新的なジャズや新作アルバムが前作と大きく違うと保守的な評論家は一斉に攻撃をはじめる。また、ジャズの生命線であるスウィングは「する」だの「しない」とか、と意見が分かれる。音楽は聴き手の感受性に左右されるものなので意見の対立は当然なのだが・・・

 デイヴ・ブルーベックほど評論家の意見が割れたのも珍しい。褒める人は、積極的に全米の学校を廻ってコンサートを続けたことでジャズ・リスナーを増やしたことを評価しているが、これは大きな功績だろう。アメリカ人は誰でもジャズを聴く、というのは大きな誤解で、この地道な活動があったからこそジャズを知らなかった人までをもファンにしている。一方、けなす派はブルーベックのピアノがスウィングしないことを指摘する。何を指してスウィングするかというのは別の議論になるが、日本ではこのスウィングしないとみる派が多く、それはジャズ喫茶で極端にかかることが少ないことが証明している。

 さて、本当にスウィングしないのだろうか。そんなことはない。大ヒット曲「テイク・ファイヴ」がかかると出だしのピアノから知らず知らずのうちにリズムを刻んでいるではないか。日本ではジャズの普及がジャズ喫茶という閉鎖的な場所を中心にしていたため、頭をうな垂れて聴くシリアスなジャズこそ本物とされていた傾向がある。この図式でいうと健康的で明るい「テイク・ファイヴ」は敬遠されることになるが、楽しいのもジャズであることを忘れてはならない。写真は65年のヨーロッパ・ライブを収めたものだが、ライブならではの楽しさ満載で、こんなピアノを聴いたらスウィング議論は無駄に思える。

 ブルーベックが亡くなったのは今月5日だった。「テイク・ファイヴ」を作曲した盟友ポール・デスモンドとバンドを組んだのは40年代半ばだったが、68年に退団するまで実に多くのアルバムを残していて、どの作品も同じ編成ながら随所にジャズのエッセンスがちりばめられており聴くたびに発見がある。「テイク・ファイヴ」は「5分休憩をしよう」という意味合いがある。手を休めてスウィングする「テイク・ファイヴ」を聴いてみよう。享年91歳。合掌。
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チャールズ・ベルは第三の流れに乗れたか

2012-12-02 08:20:31 | Weblog
 12月4日の衆院選公示に向け、二大政党に対抗する第三極の動きが活発になっている。乱立ぎみの新党だが、消費増税の凍結や原発ゼロの早期実現、環太平洋経済連携協定への参加反対等々、争点に大きな違いはないが二大勢力に割って入り、あわよくば政権を取ろうと必死の構えだ。投票率が下がる昨今、第三極の政策に有権者が関心を示すなら選挙に向けての刺激になるだろう。

 政治に限らずどの世界でも第三の波はあるもので、ジャズではガンサー・シュラーがジャズとクラシックを融合した「第三の流れ」を提唱した。これに共鳴したのがジョン・ルイスで、MJQには「サード・ストリーム・ミュージック」というアルバムもある。クラシックの手法に基づいたアレンジに沿ってインプロヴァイズするという音楽スタイルなのだが、これがどうにも制約があるためジャズプレイヤーは乗り切れない。即ちスウィングしないのだ。結果的にこの試みは失敗に終わっているが、新しい音楽の方法としては理論的に優れたものでこれに賛同し、実践したミュージシャンもいた。

 チャールズ・ベルである。コロムビアに62年に吹き込んだデビュー盤「Contemporary Jazz Quartet」が、ダウンビート誌で5つ星を獲得したことで注目を浴びたピアニストだ。同じ年にアトランティックに録音したのが「アナザー・ディメンション」で、タイトル通りオリジナル曲は別次元の感覚を持っている。スタンダードの選曲では先輩格であるジョン・ルイスの「ジャンゴ」が聴きものだ。ルイスがギタリストのジャンゴ・ラインハルトに捧げたあまりに有名な曲だが、この音楽手法で演奏するとルイスがいかに優れた作曲家だったかがわかるだろう。弾けば弾くほど、聴けば聴くほど味わいが増す仕掛けになっている。

 「第三の流れ」は主流になることはなかったが、音楽界に確立されたひとつの潮流として研究もされているし、ジャズシーンに警鐘を鳴らしたのは間違いない。第三極のなかには極右政治家や独裁的な党首もいて早くから脚光を浴びている。この主導者によって「第三帝国」になるのはご免だが、旧態依然とした体制を崩し、グローバルな視点に立つ「第三の男」への期待もある。
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする