デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

ハンク・ガーランドは死してギターに名を残す

2011-08-28 08:06:59 | Weblog
 先週話題にしたパティ・ペイジが、カントリー&ウエスタンを歌ったアルバムで、「Go Hank !」と叫ぶと華麗なギターソロに入るパートがある。ハンクとは誰だろうか。エルビス・プレスリーをはじめナッシュビルで多くの録音に参加しているハンク・ガーランドだ。ジャズファンにはあまり知られていないが、ロカビリーファンにつとに有名なギタリストで、60年前後にビルボード誌にチャートインしたほとんどのヒット曲のバックで軽快なリズムを刻んでいた。

 ジャズファンの間でにわかに注目を浴びたのが60年に録音した「Jazz Winds」で、ジョー・ベンジャミン、ジョー・モレロ、そしてゲイリー・バートンが参加していて、どちらかというとジャズファン全般よりもバートンの熱心なマニアに人気があるレコードだろう。それはのちにファションも演奏スタイルもヒップになるバートンが、ビジネスマンのようにキチンと整髪されたヘアスタイルと折り目正しい服装で、オーソドックスなヴァイヴを叩いていたからだ。バートンとヴァイヴ・スタイルの変遷を研究するうえで重要な時期といっていい。驚くべきはそのテクニックで縦横無尽なマレットさばきからは大物ぶりがうかがえる。

 さて、主役のガーランドはカントリー&ウエスタン出身というともあり明るい音色でジャズ向きのギターには聴こえないが、フレーズはかなり練られたもので単なる速弾きギタリストとは一線を画しているし、淀みないピッキングは一流ジャズギタリストと肩を並べるものだ。なかでもデンジル・ベストのオリジナル曲で、文字通りベストの「ムーヴ」が素晴らしい。バップナンバーとしてお馴染の曲だが、速く演奏するほど面白い曲であり、テクニックを競うときによく選ばれる曲でもある。先発のバートンのソロもかなり飛ばしているが、続くガーランドも負けじと飛ばすデッドヒートで、まさに躍動感のあるレースだ。

 ガーランドはロカビリーファン以上にギターマニアに有名な人で、愛車のMGに積んであるギターは垂涎の的だという。ガーランドとスタジオワークを共にしたギタリストのビリー・バード、二人の名前から命名されたギブソンの「Byrdland」というモデルで、製作された年によっては相当な値が付くそうだ。厳しいコードも楽々押さえられるように設計してあり、見た目にもデザインは美しい。このアルバムに感銘を受け、プロのジャズギタリストを目指したジョージ・ベンソンもこのモデルを愛用している。
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パティ・ペイジの薬指は長いか

2011-08-21 08:04:31 | Weblog
 書店の平台に「薬指の長い女は男に惚れやすい」という人目を引く本が積まれていた。サブタイトルは「人間の行動を支配する脳と心のホルモン学」で、脳内分泌物質が脳と心に与える影響を解説したものらしい。固いタイトルでは売れない本も、この題名だと興味を示すとみえて、近くにいつも愛読している哲学書(ということにしておこう)があったので立ち読みしながら観察していると若い女性ばかりが手にしている。

 惚れやすい内容の曲といえば真っ先に思い浮かぶのは、「アイ・フォール・イン・ラヴ・トゥー・イージリー」で、邦題も「惚れっぽい私」と分かりやすい。シナトラとジーン・ケリーが共演した映画「錨を上げて」の主題歌で、シナトラ扮する水兵さんがハリウッド・ボウルのステージでピアノを弾きながら歌っていた。作詞したのはサミー・カーンで、当時新人だったカーンを指名したのはシナトラだったというからありきたりではないラヴソングを歌いたかったのだろう。恋の昂ぶりを見事に映した美しいバラードで、歌詞の如く恋多き男シナトラの歌唱が群を抜いているのは経験が豊富だからかもしれない。

 恋の経験にかかわらず多くのシンガーが取り上げており名唱は数知れずだが、パティ・ペイジもこの曲をしみじみと歌っている。ペイジといえばテネシー・ワルツのイメージが強烈でジャズヴォーカル・ファンも見逃しがちだが、「The West Side」と対をなすこの「The East Side」は数あるペイジのアルバムで最もジャジーな1枚だ。それもそのはず、編曲は女性シンガーに惚れっぽいピート・ジゴロ、いやルゴロで、ピート・カンドリやラリー・バンカー、レッド・ミッチェルがオーケストラに加わっている。艶と伸びのある高音とややハスキーがかった低音で軽くフェイクするあたりは常にポピュラー界の先頭に立っていた貫禄といえよう。

 観察記録を記すと、そのタイトルの本を手にする女性は必ず自分の薬指を見る。自身の恋愛体験を重ねるのだろうか、それが当っていようと外れていようとクスリと笑う。そしてページを開いて納得したように軽くうなずき、再び薬指の長さを確認している。始まったばかりの恋であれ、終わった愛であれ、女性がそれを思い出す顔は美しい。その本に惚れやすい男性のことが書かれているのかは不明だが、もし記述があれば女に惚れやすい男が長いのは鼻の下と書いてあるだろう。
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寺久保エレナを見つめて

2011-08-14 06:59:26 | Weblog
 先週、サッポロ・シティ・ジャズの野外ステージで、札幌ジュニア・ジャズ・オーケストラを聴いた。ジュニアとは思えないほどレベルが高く、アンサンブルのまとまりは勿論だが、ソロを任された子も滑らかにパートを決める。ジャズを始めるきっかけはジャズ好きなご両親の勧めと思われるが、スタートはどうであれ仲間とジャズを演奏する喜びにあふれており、強い陽射しをはね返すほどの笑顔が眩しい。

 そのオーケストラ出身で、多くの著名なジャズプレイヤーと共演を重ね脚光を浴びているのは寺久保エレナだ。昨年「North Bird」でデビューしたときはまだ女子高生だったというから驚きだが、テクニックやアプローチは未熟さもあるとはいえ完成度が高く、今どき流行の音作りではなくパーカーを範とした正統派のスタイルを貫いているのでとても10代後半の女性とは思えない。ジャズ界への女性の進出はピアニストに限られていたが、最近はホーン奏者も増えてきてシーンに活気を促し彩を付けている。それぞれに目指すスタイルは違うが切磋琢磨して沈みかけたジャズ界を盛り返してほしいものだ。

 あれから1年、満を持して発売されたのは「New York Attitude」で、前作同様ケニー・バロンに加え、ロン・カーターが参加している。ロンといえば若手に厳しいことで知られるが、エレナのバックでは好々爺然としており歳とともに丸くなったのかもしれない。その和やかな雰囲気もありエレナは臆せずレコーディングに臨めたと思うが、やはりビッグネイムの前では緊張を隠しきれなかったとみえフレーズに手癖が出てくる。おそらくパーカーの愛奏曲「スター・アイズ」は繰り返し練習し、何度もステージで披露したことだろう。手馴れたフレーズは上手に吹けてもそこにはスリルがない。固まるには早過ぎる。冒険はこれからだ。

 この秋にはバークリー音楽院に留学するそうだが、実力者が居並ぶジャズの最高学部は難関ゆえの未知の世界があるという。北の大地で悠々と演奏したおおらかさを忘れず、広く学んでほしい。札幌ジュニアのエレナから、日本の寺久保、そして世界に通用するエレナ・テラクボの太く逞しく、美しいアルトの音色を聴ける日も近いはずだ。我が娘のようにオヤジが見つめる目は誰よりも厳しく、そしてどこまでも甘い。
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波止場に佇みエディ・ヘイウッドは何を想う

2011-08-07 07:53:46 | Weblog
 昭和の時代にアンディ・ウィリアムス・ショーという音楽番組が放映されていた。いまでこそBS放送やインターネットで容易に海外の番組を楽しめるが、当時はアメリカン・ポピュラーの最先端に画像で触れる機会は少なく、多彩なゲストのヒット曲と主役のウィリアムスの甘い歌声が人気だった。その番組で聴いた「カナダの夕陽」に惹かれ、こんな壮大な曲を作ったのは誰だろうと音楽誌を捲る。

 エディ・ヘイウッド、初めて知る名前だ。何年か後にビリー・ホリデイのファンが真っ先に挙げるコモドアセッションで、再びレコードにクレジットされた名前を見かけたものの、あの作曲者とは別人と思った。テディ・ウィルソンに似た感じで、やや線は細いとはいえ良く歌い、スウィングするジャズピアニストとあの曲はどうしても結びつかない。それは多分に白人が書くような曲というイメージと、ウィリアムスが黒人の作った曲を歌うわけはないという偏見が招いた恥じるべき誤解であった。1950年代といえば人種差別を拭えない時代ではあったが、音楽には差別がなかったのだろう。誰が作ろうと良い曲は良い曲なのである。

 「ザ・タッチ・オブ・エディ・ヘイウッド」は57年にRCAに吹き込んだアルバムで、ヘイウッドのピアノを満喫できる。とは言っても45年にエスクヮイア誌で最優秀新人賞に輝いたころの閃きはなく、カクテルピアノに近いタッチだ。丁度、「カナダの夕陽」が売れたころの吹き込みということもあり、ジャズファンばかりでなくポピュラーファンにもアピールしようというレコード会社の狙いなのだろうが、そこはジャズピアニストとしての誇りを忘れない閃きのフレーズがちりばめられている。スタンダード中心の選曲だが、とりわけ「アイ・カバー・ザ・ウォーターフロント」が素晴らしく、44年にホリデイのバックで弾いた喜びや感動を想い出したのかもしれない。

 ヘイウッドは「カナダの夕陽」の大ヒットで経済的には潤ったが、次第にポピュラーピアニストのレッテルが貼られジャズクラブの仕事は減ってくる。さりとてピーター・ネロやロジャー・ウィリアムスのように華やかな舞台に立つこともできなかった。そこにはポピュラー畑に進出できない黒人という壁があったことは否めない。波止場に寄せる波は大きく、返す波は小さいという。エディ・ヘイウッドの明暗を見るようだ。
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