70年代のジャズ喫茶でリクエストを受け、マスターが勝ち誇ったかのようにニヤリとするか、顔を背け曇らすか、どちらかの反応を示すレコードが何枚かあった。ピアノ物ではセシル・テイラーのトランジション盤やウォルター・ビショップのジャズタイム盤、デューク・ピアソンのジャズライン盤、そして個性的な音を求めてオーディオに力を入れるジャズ喫茶でひときわ人気が高く、女房を質に入れてでも入手したい幻の名盤・・・
エディ・コスタのドット盤「ハウス・オブ・ブルー・ライツ」である。トランジションやジャズタイムの超マイナーなレーベルは入手が困難なことは容易に想像付くが、ビリー・ヴォーンやパット・ブーンで知られる比較的メジャーなドットが何故幻化されたのか。ドットはRCAにいたランディ・ウッドが、パット・ブーンを連れて立ち上げたレーベルだったことからポピュラー中心にカタログを増やした。メジャーの仲間入りをするにはジャズも欠かせないとみえて、「Jazz Horisons」というシリーズの他にもレッド・ノーボやバディ・デフランコの佳作もあるが、何れもプレス枚数が少ない。売れるものを優先するのは今も昔も同じである。
コスタは57年にダウンビート誌でピアノとヴァイヴの2部門で最優秀新人に選出されたプレイヤーだ。よくあるスタジオの仕事のために器用に楽器を持ち替えるのではなく、両楽器とも完璧なテクニックを誇る。勿論他のプレイヤー同様、ヴィブラフォン奏者としてスタジオの仕事をこなし、サイドメンとして活躍もしたが、ピアニストとしてのオリジナリティは強力だった。このアルバムは59年に録音されたもので、まるで打楽器を奏でるように左手で低音域を乱打する。それでいて高音域は繊細なタッチだ。この低音域と音の広がりがオーディオ見地からみても面白く、コスタが目の前でハンマーを振り下ろすような生に近い再生というオーディオ心をくすぐったのだろう。
今の時代、ほとんどの音源がCD化され、件のジャズ喫茶のマスターの横顔を見ることもなく、幻の名盤という言葉自体死後に近い。名盤は広く聴かれてこそ名盤の意味を持ち、名盤としての価値が決定付けられる、というのが持論であり、それがジャズファンを増やすことにつながるが、1枚くらい陽の目を見ない音源があってもいい。青春が凝縮されたあの場所でたった一回聴いただけのレコードを幻と受け止めてそっと心の奥にしまっておきたいこともある。
エディ・コスタのドット盤「ハウス・オブ・ブルー・ライツ」である。トランジションやジャズタイムの超マイナーなレーベルは入手が困難なことは容易に想像付くが、ビリー・ヴォーンやパット・ブーンで知られる比較的メジャーなドットが何故幻化されたのか。ドットはRCAにいたランディ・ウッドが、パット・ブーンを連れて立ち上げたレーベルだったことからポピュラー中心にカタログを増やした。メジャーの仲間入りをするにはジャズも欠かせないとみえて、「Jazz Horisons」というシリーズの他にもレッド・ノーボやバディ・デフランコの佳作もあるが、何れもプレス枚数が少ない。売れるものを優先するのは今も昔も同じである。
コスタは57年にダウンビート誌でピアノとヴァイヴの2部門で最優秀新人に選出されたプレイヤーだ。よくあるスタジオの仕事のために器用に楽器を持ち替えるのではなく、両楽器とも完璧なテクニックを誇る。勿論他のプレイヤー同様、ヴィブラフォン奏者としてスタジオの仕事をこなし、サイドメンとして活躍もしたが、ピアニストとしてのオリジナリティは強力だった。このアルバムは59年に録音されたもので、まるで打楽器を奏でるように左手で低音域を乱打する。それでいて高音域は繊細なタッチだ。この低音域と音の広がりがオーディオ見地からみても面白く、コスタが目の前でハンマーを振り下ろすような生に近い再生というオーディオ心をくすぐったのだろう。
今の時代、ほとんどの音源がCD化され、件のジャズ喫茶のマスターの横顔を見ることもなく、幻の名盤という言葉自体死後に近い。名盤は広く聴かれてこそ名盤の意味を持ち、名盤としての価値が決定付けられる、というのが持論であり、それがジャズファンを増やすことにつながるが、1枚くらい陽の目を見ない音源があってもいい。青春が凝縮されたあの場所でたった一回聴いただけのレコードを幻と受け止めてそっと心の奥にしまっておきたいこともある。