デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

たった3枚しか売れなかった Teach Me Tonight

2014-08-31 09:37:54 | Weblog
 今月の初めに「It's Been A Long, Long Time」を話題にした。作詞家のサミー・カーンが、複数のバージョンが大ヒットしたことで、もっとも収益が多かったと言った曲である。映画の主題歌やシナトラの曲を数多く手掛けているだけに当たりもあれば外れもあるわけだが、全く売れなかった曲は何だろう。不発なら誰もカバーしない埋もれた曲に違いないから、それを当てろというのは無理な話だ、という声が聞えてきそうだが・・・

 男なら喜んで教えたくなるようなことを歌っている「Teach Me Tonight」である。その曲なら多くのカバーがあるので、これが不発なら当たり曲の印税は天文学的数字になるのではないか?そう突っ込まれそうだが、これは1954年にABCパラマウント盤「Special Delivery」で知られるジャネット・ブレイスが、デッカから出したときの話だ。さっぱり売れなかったブレイス盤だったが、この曲に火が付いたのは出版してから2年後にデ・カストロ・シスターズというコーラス・グループが歌ってからで、追っかけジョー・スタッフォードも録音している。当然、スター・シンガーが歌うとヒットにつながり、以降カバーも増えた。

 「カレント」というアルバムでこの曲を取り上げているのは石野見幸だ。7年ほど前に、がんと闘いながらステージに立つジャズシンガーとしてテレビで紹介されたのでご覧になった方もいるだろう。2007年11月に35歳という若さで亡くなられたが、その1年前の2006年10月に録音されたものだ。おそらく激痛に耐えながらの吹き込みと思われるが、そんな影響は微塵も感じない。むしろ今日を、この瞬間を歌うことで元気になるというエネルギッシュな歌唱だ。思いっきりやれよ、というエールを送る大石学のピアノに押されて、病院ではなくスタジオでマイクに向かっているという喜びが伝わってくる。

 不発の「Teach Me Tonight」のブレイス盤はどの位売れたのか気になる方のために付け加えておこう。カーンの自伝によると、「買ったのは僕と作曲のジーン・ド・ポールと曲を歌ったデッカの女の子だけだった」と。当時はたった3枚しか売れなかったレコードもダイナ・ワシントンをはじめナンシー・ウィルソン、サミー・ディヴィスJr、ヘレン・メリル、アン・マーグレット、ブロッサム・ディアリー等々枚挙にいとまがないほど多種の音源がある。読者のレコード棚には3枚以上の収録レコードがあるに違いない。
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マルとオッタヴィアーノのジターバッグ・ワルツで踊ってみよう

2014-08-24 09:26:22 | Weblog
 さて、ジャケットの二人は誰でしょう?何を今更と言われそうだが、奥のマル・ウォルドロンを見間違える方はいないと思うが、問題は手前にいるソプラノ奏者だ。おそらく半数以上はスティーブ・レイシーと答えるだろう。レイシーとマルは何度も共演しているので、「レイシーだよ」と言われて音を聴いたとしても疑う余地はない。ここまで書くと当然レイシーではないことに気付き改めてジャケットを見ると・・・

 確かに似ているが、どことなく違う。レイシーはマルより8歳年下だが、マルの年齢から推測するとかなり若い。では誰だ?イタリアのソプラノ奏者ロベルト・オッタヴィアーノである。ロベルトはアルバート・マンゲルスドルフやエンリコ・ラヴァのアルバムで正面から撮った写真を見ているが、レイシーには似ていない。このアングルの横顔がたまたま似ているだけだが、スタイルも似ている。ソプラノ・サックスというとテナーの持ち替えが多く、この楽器一本というのはシドニー・ベシェ以降でいうなら現代のベシェといわれたレイシーがモダン期で最初の奏者だ。そのレイシーに次ぐのがこの舌をかみそうな名前のオッタヴィアーノである。

 1996年にミラノで録音されたもので、写真の二人だけのデュオだ。 選曲は「Memories of You」をはじめ、「Django」、「A Night in Tunisia」という「Black Spirits Are Here Again」というアルバムタイトルに沿った選曲で、ファッツ・ウォーラーが1942年に書いた「Jitterbug Waltz」も取り上げている。ジャズ・ワルツの草分けと言われる存在で、この曲がなければマルの「Fire Waltz」もエヴァンスの「Waltz For Debby」もなかったかもしれない。フリー色が強いソプラノと無駄な音を省いたピアノのデュオは、両者もリスナーも納得する内容だが、それよりこの古い曲のモダンな感覚に驚いた。ウォーラーは相当先を行っていたということだろう。

 レイシーが23歳のときの初リーダー作にその名もズバリ「Soprano Sax」がある。ウィントン・ケリーの鮮やかなピアノが光るアルバムだ。ジャケットを思い出してみよう。確かにこの横顔は似ていて、特に額とモミアゲは酷似している。ロベルトはレイシー以後の最重要ソプラノ奏者に挙げらるが、ソプラノのスタイルは固より、風貌まで似ている後継者をレイシーは泉下で目を細めてみているかもしれない。
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或る日、エサ箱を漁りながらルー・マシューズを聴いた

2014-08-17 18:16:45 | Weblog
 先日、中古レコード店からこの時期恒例のセールの案内が届いた。時々覘いているので大きく箱の中は変わらないものの、たまに掘り出し物もあるので見逃せない。ドアを開けると同時に聴こえてきたのは「A列車」のエンディングだ。次の曲も心地良いピアノで、新入荷のエサ箱漁りもサクサクと捗る。う~む、これといったものがない。気になるレコードもないわけではないが、「札幌価格」だ。

 次の曲がかかったとき、おや?と手が止まった。「Golden Earrings」だ。トリオだがブライアントではない。強弱がはっきりしたピアノで、アドリブの展開もメリハリはある。誰だろう?と、ひとりブラインドフォールドを楽しんでいるうちに曲は終わり、次は「My Funny Valentine」ときた。ベースのイントロからいきなりアルトがメロディを吹き始める。音色とフレーズの手癖から直ぐにマクリーンと分かったものの、ピアニストは謎のままだ。降参して店主に尋ねる。CDですよ、と申し訳なさそうに出してくれたのは、ルー・マシューズだ。マンハッタン・ジャズ・クインテットのルー・ソロフとデヴィッド・マシューズを合わせたような名前だが不勉強のため知らない。

 山口弘滋氏のライナーノーツによるとこれが記念すべき初リーダー作という。1997年録音時、51歳の遅咲きだ。もともとはクラシック畑で、70年代のほとんどを空軍の音楽隊で過ごし、除隊後リナ・ホーンやナンシー・ウィルソンの伴奏ピアニストを務めている。1987年にはナンシーのコンサート・ツアーに同行して来日もしているそうだ。そのキャリアが示す通り、次のトラックのサド・ジョーンズ作「A Child Is Born」では見事なバラードを披露している。ピアニストに限らずジャズプレイヤーは、バラード演奏で技量や歌心の資質が問われるといわれるが、全くその通りだ。

 このアルバムは「黒い瞳のナタリー」のタイトルが付いている。ナタリーといえば日本でも人気があるフリオ・イグレシアスのヒット曲だ。帯には「ポスト・ケニー・ドリュー登場」とある。選曲は前述の通り日本人好みのスタンダード・オン・パレードだ。おそらくこの情報だけではエロ・ジャケットが売りのあのレーベルかと思い聴く気にならないだろう。当たり前のことだが、ジャズは聴いてみないことにはわからない。
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瞳を閉じて暫し夢心地 I'll Close My Eyes

2014-08-10 09:41:49 | Weblog
 「マイルスが吹くために作られたような曲だ」とか、「エヴァンスのこれを聴いたあとではどんな演奏もかすむ」とか、「この曲にはビリーの魂が宿っている」と表現されることがある。いわゆる決定的名演や絶対的名唱をさす最上句で、これからその曲をレパートリーにしようとするプレイヤーにとって最良の手本でもある。名演や名唱は曲の解釈と感情の移入は勿論のこと、ある程度の緊張とほど良いリラックスがなければ生まれない。

 ブルー・ミッチェルの「Blue's Moods」を例に挙げると、初のワンホーン作品になることからくる緊張である。初リーダー作「Big6」、続く「Out of the Blue 」、「Blue Soul」の3枚は1曲だけワンホーンもあるが、2管或いは3管編成だった。第4作目にしてフロントに一人で立つとなれば力が入る。複数の管が入ると、たとえアンサンブルでミスをしても目立たないが、トランペット1本となると話は別だ。微妙なビブラートも誤魔化しがきかない。60年録音時、ミッチェルは去る6月18日に85歳で亡くなったホレス・シルヴァーのバンドメンバーだったことからかなりの場数を踏んでいるとはいえ、この録音はプレッシャーがかかっただろう。 
 その緊張を解きほぐしたのは旧知のサイドメンである。ピアノは初リーダー作から付き合いのあるウイントン・ケリーで、この時代最もご機嫌なピアノといっていい。ベースはキャノンボール・アダレイのバンドで活躍中のサム・ジョーンズで、ベースを弾くというより鳴らすという表現が相応しいビッグトーンだ。ドラムはシルヴァーのバンドで仲の良いロイ・ブルックス。そして、一番はリラックスして録音に臨めるようメンバーを手配し、逸るミッチェルにタバコの火を付けたリバーサイドのプロデューサーであるオリン・キープニュースだ。リバーサイドというレーベルがジャズの名門である理由はここにあるような気がする。

 そんなベストといえる環境で録音したのだから当然、名演が生まれる。それも決定的名演だ。イギリスの作曲家ビリー・リードが作った「I'll Close My Eyes」で、淡々とメロディを紡ぐミッチェルにさりげなくコロコロとアクセントを付けるケリー、要所要所を締めるジョーンズ、小気味良いリズムをたたき出すブルックス、ワンホーンの傑作である。この録音から半世紀以上経つがこれを超えるこの曲に出会ったことがない。

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終戦とともに流れた It's Been A Long, Long Time

2014-08-03 09:44:51 | Weblog
 1945年、終戦のニュースを聞いた作詞家のサミー・カーンが一気に書いたといわれる曲に「It's Been A Long, Long Time」がある。作曲したのはコンビを組んでいたジュール・スタインで、戦地に赴いた夫や恋人の無事な帰還を長らく待ちわびていた人たちの心情を描いている。今聴くとややノスタルジックな感もあるが、連合国の勝利とともに平和な日々が帰ってきた喜びを詞とメロディに乗せたのだろう。

 当時のレコード業界は同じ曲を競うようにリリースするのが当たり前だったが、この曲もレス・ポールをバックにしたビング・クロスビーをはじめ、ハリー・ジェームス楽団でキティ・カレンが歌ったもの、チャーリー・スピヴァク楽団で歌ったアイリーン・デイ、そしてジューン・クリスティをフューチャーしたスタン・ケントン楽団等、多くのヴァージョンが、1945年のヒットチャートを賑わしていた。もっとも収益の多かった曲はなにか、と新聞記者に聞かれたとき、カーンはこの曲を挙げたという。70年近く経った今でも当時ほどではないが、録音は続いている。まさに「Long Time」の曲といえる。

 ♪Kiss me once, then kiss me twice Then kiss me once again It's been a long, long time・・・・コーラスの歌い出しをそのままジャケットにしたのは、イギリスのシンガー、イヴ・ボスウェルの「The War Years」だ。英国のレーベル「Parlophone」から「Sentimental Eve」のタイトルでリリースされたものだが、アメリカで発売するにあたってタイトルもジャケットも変更している。収録されているのは、戦時中にヒットしたラヴソングが中心なので、米国盤のほうが自然な形だ。声質も郷愁を誘う優しいもので、情感を込めて丁寧に歌っている。ラヴバラードの良し悪しは感情をどこまで移入できるかで決まる。

 1945年に日本で流行った曲といえば「同期の桜」や「ラバウル小唄」という軍歌で、焼け跡に明るい歌声が響き渡ったのは翌1946年の「リンゴの唄」だ。物のない時代に30万枚も売り上げたというから、並木路子の弾む声に明日への希望を見出したのだろう。来る8月15日に69回目の終戦記念日を迎えるが、その日は同時に「戦没者を追悼し平和を祈念する日」でもある。戦勝国も敗戦国も望むのは平和だ。
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