デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

フィリー・ジョー・ジョーンズのドラム宇宙

2010-08-29 08:39:44 | Weblog
 日本公演でウィスキー片手にヘロヘロで吹いたデクスター・ゴードン、サックスと酒を交互に口に運ぶズート・シムズ、夫人ローリーの目を盗んで一気に飲むアート・ ペッパー、そのペッパーも飲み負けたというジューン・クリスティ、酒をいっときもはなせないジャズメンがいる。ベイシー楽団で活躍した先輩のジョー・ジョーンズと混同しないように出身地のフィラデルフィアから取ってフィリー・ジョー・ジョーンズと呼ばれたドラマーもそのひとりで、クラブで演奏中に軽く2,3本のボトルを空けるという。

 レッド・ガーランド、ポール・チェンバースと組んだザ・リズム・セクションは、オールド・ベイシーのオール・アメリカン・リズム・セクションに匹敵するほどの一糸乱れぬチームワークを誇っていた。このトリオの存在がマイルス・クインテットの黄金時代を支え、ジャズ史に残る名演を生んだといっても過言ではない。僅か2日でアルバム4枚分の録音を行った伝説のマラソン・セッションでマイルスは、ガーランドにアーマド・ジャマルのように弾けと言うほど厳しい要求をしたが、リズムの要ともいうべきドラムにも細かい指示を出したと思われる。その我儘ともいえる要求を満足させることができたのがフィリー・ジョーである。

 「ドラムス・アラウンド・ザ・ワールド」は、サイドにリー・モーガン、ブルー・ミッチェル、カーティス・フラー、キャノンボール・アダレイ、ベニー・ゴルソン、ハービー・マン、ウイントン・ケリー等、さながらブルーノートとリバーサイド選抜のオールスター編成アルバムだ。タイトルの如く世界のリズムに挑んだ作品で、シンバル・レガートを刻みながらスネアで8分音符を入れ、バスドラでアクセントを付ける多彩なドラミングが展開される。決して派手さもなく華麗でもない、むしろオーソドックスなスタイル、それはグレッチのドラムとジルジャンのシンバルという定番楽器からもうかがえるが、ドラムセットの小宇宙を隈無く表現するテクニックは全てのドラマーの手本といえるだろう。

 演奏中にクラブのボトルを数本空けたフィリーがステージを終え、店にギャラを要求したところ、オーナーにギャラ以上に飲んでいるので払えないと言われた。飲み足りないフィリーは、それでもギャラをよこせとナイフを出して脅したが、オーナーは無言でピストルを出したという。さすがのフィリー・ジョーも、「ジョー談だよ」とナイフを下げたそうだ。日本なら銃刀法違反だが、フィリーはいつもナイフを持ち歩いているらしい。脅すためではなく、いつでもボトルのキャップを開けれるように。
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名誉教授ジョン・ラポータが見た真夏の夜の夢

2010-08-22 07:47:28 | Weblog
 「バードとディズとマックス・ローチは当然と言えるが、私はなんでジョン・ラポータ、ビリー・バウアー、レニー・トリスターノがいるのか、何時も疑問を感じるのである。ラポータはバデイ・デフランコはおろかトニー・スコットとスタン・ハッセルガードの水準にさえ決して達しなかったクラリネット奏者である」(小田弘一氏訳) ジャズ批評家バリー・ウラノフが1947年に監修したモダン・ジャズ・オールスターズに、チャーリー・パーカー研究家のロバート・ブレグマンが寄せた論評である。

 熱心なファンなら怒り出すブレグマンのラポータ評だが、強く否定できないのは事実だ。前出のパーカーやトリスターノをはじめレスター・ヤング、マイルス、ミンガス等、ビッグネイムとの共演暦からは相当腕の立つミュージシャンのようにみえるが、高い評価を得たことはない。レナード・バーンスタイン指揮のニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団で演奏した経験があるラポータは、バップ・ミュージシャンに比べソロが内向的で且つ実験的な音楽でもあったためスイングを信条とする一般的なファンからは敬遠されたが、ソロイストとして評価されなくともバップの情熱とクールの知性を併せ持った前向きな音楽姿勢は評価されるべきだろう。

 その意欲はウラノフやミンガスの目にとまり、数枚のリーダーアルバムを録音した。エヴェレストに残した「ザ・モスト・マイナー」は、以前の作品のような難解さはなく、スタンダードを中心にワンホーンで意のままにフレーズを刻んでいる。シェークスピアの戯曲「真夏の夜の夢」を元にブロードウェイでミュージカル化された「スイング・ザット・ミュージック」の挿入歌「ダーン・ザット・ドリーム」のバラード解釈は見事なもので、歌詞をなぞるようにアルトサックスを歌わせ、アドリブラインは夢を大きく脹らます。クラリネットでクラシックの側面からジャズの可能性を探った実験的なハーモニーに挑み、アルトではバップを熱く吹く二面性を持った人だ。

 このアルバムを最後にバークリー音楽院で37年間教鞭をとり、数多くの音楽教材の高い評価により国際ジャズ教育者協会から表彰されたジョン・ラポータがジャズ界の第一線に戻ることはなかった。華やかな表舞台を降り、スポットライトとは無縁の舞台裏で教育者として優秀な人材を育てあげた名誉教授にとってメトロノーム・オールスターズでマイルスやスタン・ゲッツと席を並べたのは真夏の夜の夢だったのかもしれない。
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その日、蝉も木々もソフィー・ミルマンに聴き惚れた 

2010-08-15 05:58:07 | Weblog
 その野外ステージは広さ40ヘクタールに及ぶ札幌芸術の森の一画にあり、札幌の豊かな自然環境の中で音楽を満喫できる。その日、8月8日は朝から蒸し暑く、会場は蝉の合唱が木霊するなかビール片手に開場前から長蛇の列だ。ケイコ・リーが13時に最初のステージに上がったころ、大粒の雨が降り出し、野外ならではの一面傘の風景に彩られる。次のオマール・ソーサが登場したころに雨は止んだものの、気温はさらに上がり、団扇や扇子が4ビートで揺れていた。

 そして17時、お待ちかねのステージだ。ポール・シュローフェルのピアノ・トリオにメキシコの画家と同姓同名のサックス奏者、ディエゴ・リヴェラが上がり、ゆったりとしたテンポで演奏が始まる。シンガーが登場する前にバックバンドが1,2曲演奏するケースが多いので、いつものパターンかと思い、酔いが回った目でぼんやりとステージを眺めていたら、前方からどよめきが起こった。デビューアルバムの写真からは小悪魔的なイメージを受けるが、ステージ袖から出てきたのを気付かないほど落ち着いた色のドレスを纏った小柄なお嬢さんだ。それがどうだ、「デイ・イン・デイ・アウト」を歌いだした途端、ステージが一瞬にして華やぎ、会場を汗が滲む暑気から汗を飛ばす熱気に変えた。

 「捧ぐるは愛のみ」や「アイ・コンセントレイト・オン・ユー」のスタンダードから、ボサノヴァの名曲「マシュ・ケ・ナダ」、ブルース・スプリングスティーンのカバーまで選曲は幅広く、曲筋からみるとカテゴリーを越えたシンガーに思えるが、どの曲も派手な装飾をそぎ落とし、歌の持ち味を生かしたフェイクは間違いなくジャズシンガーである。サイドメンのソロを巧みに引き継ぎ、次から次へと飛び出すフレーズは声色豊かに、祖国ロシアに思いを馳せた「黒い瞳」は自在にテンポを変え、ドラマティックに歌い上げる。歌詞に込められた感情を引き出す表現力と歌心は、とても27歳とは思えないほどスケールが大きい。

 バックバンドだけの「A列車」を1曲はさみ、全てのナンバーを丁寧に歌った75分のステージは別世界だった。そして、アンコールに応えてピアノだけをバックに歌いだす。The evening breeze caressed the trees tenderly・・・芸術の森という場に最も相応しい曲は、自然の大きさを包み込み、誰よりも美しく優しく涙があふれる。その日、ソフィー・ミルマンに送られた数千人の拍手は、いつまでも木霊し、蝉も木々も拍手に加わっていた。
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フランク・アヴィタビレはバド・パウエルを越えるだろうか

2010-08-08 08:12:31 | Weblog
 デビューアルバムを作るときにプロデューサーとプレイヤーが重点を置くのはメンバーと曲目、ごちらか?管楽器だとリズムセクションが重要になるだろうが、そのリズムセクションであるピアニストがリーダーならサポートするベースとドラムも勿論大事だが、最も重要視されるのは曲目ではなかろうか。カルテット以上の編成だとホーン奏者のソロも入り長尺の演奏になるため曲数は少なくてもすむが、ピアノトリオの場合、それぞれのソロパートも短いことにより曲数が多くなる。

 そこで選曲が問題だ。オリジナル曲を数曲入れ、あとはスタンダードという構成が多く、特にデビュー作なら無難な選択といえる。自作曲は作曲家としての力量を示すものだし、その能力はアドリブ発展にも大きな意味を持つ。そしてスタンダードは、既存曲をいかに解釈するかでジャズ感覚やアイデア、閃き、さらには歌心をも問う。リスナーの立場からすると自作曲ばかり並んだデビュー作は聴くにも躊躇するが、耳慣れたテーマが収録されていると購買意欲を誘われ、他のプレイヤーと比較する尺度にもなる。過去の名演と比較するのは決して懸命な聴き方ではないが、比べることにより新しい発見もできるのだ。

 1998年にデビュー作の型にはまらないアルバムで登場したのは、リヨン国立音楽学校で古典音楽を学んだピアニスト、フランク・アヴィタビレで、14曲中9曲がバド・パウエルの曲で占められている。バドの曲は一部を除いて他のプレイヤーが取り上げることはない。それはバドというピアニストと曲が一体になった芸術品であるがゆえの近寄り難さによるものだが、デビュー作で敢えて難題に挑んだアヴィタビレに拍手を送ろう。ミシェル・ペトルチアーニが見出した逸材だけあり、最近の新人ピアニストがそうであるようにテクニックは完璧で、バドを彷彿させる早弾きとバラードの間は完全にクラシックのフィールドを離れバップの語法といえる。

 ジャズピアニストも毎年多くの新人がデビューしているものの将来に名を残すような大器は少ない。世代がそうさせるのだろうが、ハンコック、ジャレット、コリアからスタートする多くのピアニストが伸びないのは伝統を知らずに目先の音楽に流されているからである。今では時代遅れであっても、バップの伝統を踏まえないプレイヤーは、スランプに陥ったとき出口を見つけるのは容易ではないだろう。
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ふたりのルー・ドナルドソン

2010-08-01 08:18:47 | Weblog
 小説でも音楽でも最初に読んだり聴いた作品の印象が強い。その作品がその作家やプレイヤーのベストとは限らず、その時代に流行っていた作品が自然と目や耳に入る。ことジャズの場合はジャズを聴きだす以前の40年代や50年代にほとんどのプレイヤーの傑作が並んでいるだけに、60年代から70年代にかけてリアルタイムで耳にした1枚のアルバムは往々にしてベスト作品には程遠いケースが多く、それが大きくプレイヤー観を左右する。

 ルー・ドナルドソンを最初に聴いたのは、「アリゲイター・ブーガルー」だった。発売された67年当時、ビルボードのシングル・チャート・ベスト100にランクインされただけあり、ラテンとソウルが混ざったリズムは乗りがよくて分かりやすくヒット性に富んでいるが、ドナルドソンのアルトも単調で、とてもジャズとは程遠い音楽に聴こえる。少しばかりモダンジャズなるものを分かりだしたころだから、いくらブルーノートであっても商業主義的な作品など評価できない。寧ろ、批判することで自分のジャズ観が高まるような気がした。それは本格的ジャズ鑑賞店と呼ばれたジャズ喫茶ではこのレコードをかけることもなければ、置かないプライドに似ていたのかもしれない。

 このアルバムをつい最近でCDで購入した。当時流行ったサイケデリックなジャケットに懐かしさを覚えたのも事実だが、ドナルドソンのほぼ全作品を聴いたうえで再聴し、路線を変更したこの時代を孵化、いや俯瞰してみようというわけだ。ブルーノート初期の艶やかで伸びのある音は消え、若き日のジョージ・ベンソンに一歩も二歩も譲る平坦なフレーズだが、河川へ遡上するドナルドソン鱒のように活き活きして楽しそうではないか。一度ブルーノートを離れ、アーゴで一連のソウル路線に変更し、また古巣のレーベルに戻ってきたデビュー時からの流れでみるとドナルドソンの張り切りようもわかる。

 再聴したことで大きくドナルドソン観は変わらないが、「アリゲイター・ブーガルー」は商業主義と批判されようとも、たまたまヒットしただけであり、ドナルドソンは本来持っているソウルフルな音楽性を飾らずに前面に押し出したのだろう。ただ、そのソウルフルさが内にあるか外に出るかの違いで、それは聴くものとって閃きか泥臭いかの違いになる。いまだにブーガルーの「ルー・ドナルドソン」と、ブラウニーと肩を並べた「ルーダーナスン」とは違うプレイヤーのような気がしてならない。
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