デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

コーラスで映える Love Is A Many Splendored Thing

2014-09-28 09:51:42 | Weblog
 黒岩静枝さんがオーナーの「DAY BY DAY」で、毎月一回オープン・マイクが開かれる。黒岩さんのレッスン生の発表の場だ。毎回聴いているが、練習量は正直なもので歌い込んでいる方はマイクの握りからして違うし、声の張りは勿論のこと、伴奏陣をリードする勢いさえある。先週23日に開かれた発表会で、10人ほどのステージが一通り終わったあと、黒岩さんの掛け声で、「Love Is A Many Splendored Thing」のコーラスが始まった。

 邦題「慕情」は、1955年に製作された同タイトルの映画の主題曲で、映画音楽史上屈指の名作と言われる。映画のラストシーンでは、20世紀フォックスのスタジオ・コーラスのものが使われたが、サントラ用に録音していたのはコーラス・グループ、フォア・エーセスで、多くのカバーがあるなか群を抜いた大ヒットを記録している。コーラスといえばジャズファンの間ではフォー・フレッシュメンだが、ポップ・コーラスといえばフォア・エーセスで、「テルミー・ホワイ」や「愛の泉」など、1950年代に5曲のミリオン・ヒットを放った人気グループだ。ハーモニーはシンプルながらメリハリがあり、じわっとクライマックスに持っていくあたりのテクニックはツボを心得ているのだろう。

 「Mood for Love」は、53年から55年までの録音を集めたもので、「What A Difference A Day Made」や「Stars Fell On Alabama」、「Pennies From Heaven」といったスタンダード中心の選曲になっている。なかでもアルバムタイトルにしているジミー・マクヒューとドロシー・フィールズのコンビによる「I'm In The Mood For Love」は実に素晴らしい。名コンビの作品は歌詞がうまくメロディに溶け込み、このメロディにして、この歌詞ありという一体感がある。それだけで完成された美しさがあるのに、そこに絶妙なハーモニーを付けることでより美しさを増す。ポップ・コーラスの楽しみはこの美しさを味わうことにある。

 「慕情」の作曲者はサミー・フェインで、作詞はポール・フランシス・ウェブスターというこちらも名コンビだ。フェインは曲が完成したとき誰に歌わせるか悩んだという。当時ヒットチャートを賑わしていて、付き合いも長いエディ・フィッシャーをはじめドリス・デイ、ナット・キング・コール、トニー・マーチンといった大物のシンガーを浮かべるも、個性が強くて曲のイメージに合わない。そこで白羽の矢が立ったのがフォア・エーセスだった。黒岩静枝さんはコーラスで映える曲だと知っていたのだろう。
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チャーリー・ベンチュラの駄洒落

2014-09-21 09:10:44 | Weblog
 ビ・バップが誕生してから70年経った今は、その音楽性に異論を唱える人や、難解な音楽だと言う人はいないが、誕生したころは理解されなかったという。1940年代にタイムスリップしてみると、当時はスウィング・ジャズが主流で、それに合わせて踊るのが音楽の楽しみ方だ。そこに複雑なコード進行を使って、リズムも次々と変化させるジャズが登場したものだから踊る以前に耳が付いて行かない。

 そんな難解なジャズを、「Bop For The People ~ 大衆のためのバップ」の旗印のもとに誰にでも親しめるように演奏したのは、テナー奏者のチャーリー・ヴェンチュラだった。バップ本来の即興性を失わずに、エンターテイメント性を前面に出したスタイルは見事なものだ。このバンドが当時どれほどの人気だったかは、1949年にカリフォルニア州のパサデナ市で開かれたコンサートで知ることができるが、とにかくメンバーが凄い。主催者のジーン・ノーマンのアナウンスからバンドテーマ「Yesterdays」でヴェンチュラがソロを取ったあと、リーダー自らメンバーを紹介している。

 まずはトゥ・ベース・ドラムで有名なエド・ショーネシー、次いでベースのケニー・オブライエン、ピアノのロイ・クラール、トランペットのコンテ・カンドリ、バリトンのブーツ・ムッスリ、そしてトロンボーンはベニー・グリーンだ。そのグリーンのソロを満喫できるのが「Pennies from Heaven」で、ヴェンチュラが「Bennie」と「Pennie」をかけて紹介するあたりは小生同様、オヤジギャグ的発想で好感が持てる。(笑)このバンドにシンガーとして参加しているジャッキー・ケインとのちにジャッキー&ロイのデュエットを組むクラールのピアノは、バップ・フレーズを刻んでおり、グリーンも当時としては高低差のあるホットなソロだ。

 1940年代から現代に戻って、今度はビ・バップに慣れた耳でスウィング・ジャズを聴いてみよう。それもSPレコード時代の1930年代後半から40年代前半がいい。SP盤の枠内3分にきっちり収まるように練られた緻密なアレンジは、短い演奏ながら起承転結がありドラマティックな展開だ。モダンジャズの基になったビ・バップも、踊るためのスウィング・ジャズもその時代の最先端を行っていたに違いない。
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ブラッド・メルドーの変なハーモニー

2014-09-14 09:25:23 | Weblog
 ピアニストの奥川一臣さんが、ジャズ批評誌7月号でブラッド・メルドーの演奏の魅力を分析している。引用すると、「ポップなメロディやパターンを一方で弾きながら、そのメロディに複雑なハーモニーをつけることで、全体として相反する雰囲気が混在した不思議な響きになるのである。耳慣れたいつものメロディが、初めて聴いたメロディのような新鮮なメロディとして聴こえてくる」と。ピアノを弾かない人をも納得させる明瞭な分析といっていい。

 最初にメルドーを聴いたのは1994年にジョシュア・レッドマンが発表した「Mood Swing」だ。その当時注目されていたレッドマンが起用したピアニストだけのことはあるなぁ、という程度の印象だったが、翌年出されたデビュー盤「Introducing Brad Mehldau」は驚いた。発売は大手のワーナーで、タイトルも次々と発表しますよ、というメッセージを含んでいるし、ジャケットの表情からは次のアイデアが浮かんでいるような自信さえうかがえる。オリジナル数曲に、「It Might As Well Be Spring」、「My Romance」、「Prelude To A Kiss」等のスタンダードというバランスの良い選曲はデビュー作の鉄板といえるだろう。

 そして、デビューに相応しい曲が選ばれている。コール・ポーター作詞作曲の「From This Moment On」だ。この曲を書いた1950年というと、ポーターは落馬事故の後遺症で性格にも変化をきたしている時期で、この曲を発表したあと、53年に「Can-Can」を手がけるまでの空白の3年間は、精神的なダメージから創作意欲が衰えていたといわれる。いうなればこの曲はポーターの体調が良かったときの最後の作品といえる。タイトルにもメロディにも歌詞にもポーターらしさが色濃く出ている曲を、メルドーは原曲の持ち味を最大限に生かしながら、複雑なハーモニーをからませることで全く新しい曲に変化させているのは見事だ。

 過去にもこのような方法でスタンダードに変化を付けたピアニストを聴いてはいるが、メルドーのそれは「変なハーモニー」に聴こえる斬新性にある。その「変なハーモニー」こそがジャズ的に心地良いのだ。奥川さんによると、メルドーは聴衆から「驚いた」という感想を言われるのが嬉しいと言っているらしいが、まんまとそのトリックにはまった。種がわかっても面白いマジックとはこれをいう。
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稲葉ジャンプ・アット・札幌ドーム

2014-09-07 09:10:39 | Weblog
 先週2日、「日本ハム、稲葉篤紀、今季限りでの現役引退」というニュースが飛び込んできた。2012年に通算2000安打、250本塁打、400二塁打を達成、今年42歳、プロ生活20年、昨年あたりからそろそろだなぁ、と噂が立ったものの、やはり本人の口からそれを聞くとファンは寂しい。札幌ドームで開かれた会見で、「悔いはない」と語った表情はさばさばしていて、男の引き際の美学を見たような気がした。

 稲葉選手といえば、得点圏に走者を置いた状態で打席を迎えると、ファンファーレに合わせて一斉にファンが飛び跳ねる、通称「稲葉ジャンプ」と呼ばれる応援が定着している。「調子が悪いときでも打てるんじゃないかという気持ちになる」と会見で語ったほどの熱い応援だ。ジャズでジャンプといえばエリントンの「Jump For Joy」か、ベイシーの「One O'Clock Jump」と相場が決まっているが、ベイシーにもう一曲ご機嫌なジャンプ・ナンバーがある。「Jumpin' At The Woodside」だ。ベイシーらしく強力にスウィングする曲で、稲葉のフル・スウィングした球がバックスクリーンに吸い込まれるような小気味よさがある。
 
 そのベイシーの十八番を取り上げたのはボブ・ブルックマイヤーのKCセヴンというバンドだ。ベイシー楽団発祥の地でもあり、ブルックマイヤーの出身地でもあるカンザスシティをタイトルにした「Kansas City Revisited」が洒落ているし、カンザス行き長距離バスのバックミラーに写っているブルックマイヤーの真剣な横顔が印象的なジャケットでもある。ベイシー・スタイルのセプテットで、アル・コーンとポール・クイニシェットのフロントに、ナット・ピアース、ジム・ホール、アディソン・ファーマー、オシー・ジョンソンという名手のリズム隊がバックだ。トロンボーンとテナー2本のアンサンブルは音に厚みがあり、強力なスウィングはビッグバンドに負けない。

 会見後半で引退後は、「北海道から一人でも多くのプロ野球選手を育てるために指導者になりたい。ずっとここで暮らそうと思っているので、野球で恩返しがしたい」と語った稲葉選手の目は燃えていた。名選手が必ずしも名指導者になれるとは限らないが、どんな時も全力疾走でチームを引っ張り続けてきた稲葉選手なら適任だろう。北海道と日本ハム・ファイターズを愛する男の夢を後押しするのはファンの声援だ。「稲葉監督」を胴上げする日が見たい。
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