デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

雨の日はスー・レイニーが似合う

2007-09-30 07:34:52 | Weblog
 好天に恵まれた日曜日に、家族そろって郊外の大型スーパーで時間を忘れ買い物を楽しみ、帰ろうかと表に出ると大雨で立ち往生。駐車場の車を置いた場所まで買い物カートを運ぶにしても傘の用意はない。この時期よく見かける玄関先での光景で、変わり易い女心と秋の空のようだ。

 スー・レイニーの「Songs for a Raney Day」は、雨にちなんだ曲を集めている。Sue Raney の名前と雨の rainy をかけたタイトルは、小生の発想同様、捻り過ぎていなく単純明快であり、好感が持てる。(笑)雨の中、彼がくるのだろうか、カーテンの隙間から外を見つめるスーの期待と不安が入り混ざった表情が美しく、組んだ手が微妙な女心を表しているようだ。ブルーを基調とした雨の日に似合うジャケットは、額に入れて飾りたくなるような清純なエロスともいうべきアルバムである。

 クリス・コナーに似たクールでややハスキーな声のスーなのだが、落ち着いた歌いっぷりで、このアルバム録音時19歳だったというから驚く。どこぞのアイドル生産国の19歳の歌手とは違い、歌唱力も確かなもので既に大人の雰囲気がある。唄伴には定評あるビリー・メイのアレンジも原曲のメロディの美しさを損なわないもので、歌手の魅力を十分に引き出す手腕はさすがだ。アルバム冒頭からいきなり雷の音を入れ、最後を飾る「9月の雨」では稲妻が見えるような激しい雷音の後に雨音を入れる洒落っ気もあり、雨の憂鬱を忘れさせてくれるであろう。

 「雨に唄えば」「雨を見たかい」「雨の中の二人」、古今東西、雨のヒット曲は多いが、40年以上前に流行った曲にカスケーズの「悲しき雨音」がある。当地にもある全国チェーンの大型スーパーでは、雨が降り出すとこの曲が流れるそうだ。洒落たアイデアでマニュアル通り全店同じだとは思うが、これを知っていると雨に当たらずに済むかもしれない。
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デックスは誰に電話をかけているのだろう

2007-09-23 07:54:00 | Weblog
 うっかり携帯電話の充電を忘れ、会話途中で切れてしまった。車用充電器という気の利いたものはない、少しばかり急を要することなので公衆電話ボックスを探すことになる。この辺りにあるはずだと思ったがない、記憶違いでこの先かと車を走らせてもない。子どもでも携帯電話を持っている今では利用されることもなく、どうやら撤去されたようだ。尤もこのような事態でなければ小生とて必要としないのだから宣なるかなとも思う。

 公衆電話ボックスいるデックスことデクスター・ゴードンの「デクスター・コーリング」は、ブルーノート2枚目のアルバムになり、前作はフレディ・ハバードとの2管であったが、こちらはワンホーンでデックスの縦横無尽のテナーがたっぷり楽しめる。ジャック・ゲルバーのドラッグを題材にしたミュージカル「ザ・コネクション」は、フレディ・レッドが音楽を担当し多くのジャズメンが出演して話題をまいた。その後のハリウッド版ではデックスが俳優を務め曲も書いていて、このアルバムではそれらの自作曲を披露している。麻薬癖の苦しみから解放された喜びが伸びやかな音にも、ジャケットの笑顔にも表れた快作だ。

 コールマン・ホーキンス、レスター・ヤング、そしてソニー・ロリンズ、ジョン・コルトレーン、テナーサックスの系譜を見るとき太字で書かれる名前である。前者と後者の間に位置するデックスが巨人でありながらも扱いが小さいのは、麻薬癖と刑務所暮らしによる10年以上のブランクと、カリフォルニアを活動の拠点にし、ニューヨークのジャズシーンから遠ざかっていたことによるものと思う。ロリンズ、コルトレーン、そしてスタン・ゲッツにまで影響を与えたデックスの存在は計り知れない。巨人とは誰もがそうであるように、デックスがいなければテナーサックスの脈絡は大きく変わっていたであろう。

 将来的には完全に廃止されるのではないかとの懸念もされている公衆電話ボックスで、デックスは誰に電話をかけているのだろうか。日本のステージでも酒を放さなかったデックスのことだ、このアルバムのメンバー、ケニー・ドリュー、ポール・チェンバース、フィリー・ジョー・ジョーンズとセッション前に一杯やろうぜ、と誘っているのかもしれない。
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おもいでの夏、アート・ファーマーのフリューゲル・ホーン

2007-09-16 07:46:28 | Weblog
 記録的に暑かった今年の夏は、ビールの出荷量が伸び、エアコンや扇風機といった定番以外に麦わら帽子が飛ぶように売れたという。麦や藁で編んでいるため通気性がよく、帽子内にこもりがちな熱を放出するので、湿度の高い夏の日除けに最適なようだ。麦わら帽子は子どもっぽいイメージがあるが、最近は色もデザインもファッション性を重視したものが多く、大人の愛用者も増えたのだろうか。

 海辺の小石に置かれた麦わら帽子が夏の名残を思わせ、緑色を基調としたジャケットが目に眩しい。アート・ファーマーの「おもいでの夏 」という日本のプロデューサーが企画したアルバムだ。日本人のアイデアとはいえ、昨今よくある往年のプレイヤーにスタンダードを等閑に演奏させたものとは一線を画している。フリューゲル・ホーンで高らかに歌い上げるファーマーをサポートしているのは、シダー・ウォルトン、サム・ジョーンズ、 ビリー・ヒギンズである。ホーン奏者を引き立てるバッキングはツボを心得ているだけに一音の無駄もない。

 タイトル曲は映画の主題曲で、ミッシェル・ルグランが作ったものだ。パリ・オペラ座のハープソリスト、カトリーヌ・ミシェルは、「彼は現代のモーツァルト」と称しているが、フランスの香りを放つメロディはモーツァルトの交響楽を思わせる深い美しさがある。その美しいメロディをより美しく表現したのはファーマーであった。ウォルトンの短いイントロのあと一瞬間をおきファーマーが少しずつゆっくりと美しい音を紡ぎだす。まるでフリューゲル・ホーンのために、そしてファーマーのために書かれた曲と思えるほど見事なもので、心地よさがいつまでも残る。

 映画「おもいでの夏」は、少年のひと夏の体験を描いた甘く切ないラブストーリーだった。誰もが体験したであろう夏の恋。そのほとんどは秋風とともに消えてゆく。小さな恋でも実らない恋は傷を残すものだ。そんな傷をファーマーは癒してくれる。傷ついたままでは新しい恋に遇えないものだ。次の夏がおもいでの夏になるように・・・
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ハービー・ハンコックの欲望

2007-09-09 07:24:05 | Weblog
 「太陽はひとりぼっち」や「砂丘」でも知られるイタリアの映画監督ミケランジェロ・アントニオーニが、フィルムによる映像の時代に別れを告げるかのように7月末に亡くなった。傑作のひとつにデイヴィッド・ヘミングスがカメラマンに扮した「欲望 Blow-Up」があり、ファインダーから覗いた現実とも幻想とも思える不条理な世界は何度観ても飽きない。当時台頭してきたニュー・アメリカン・シネマとは違う形で人間関係の不確かさを描いた66年の作品は、カンヌ映画祭でパルム・ドールを獲得している。   

 アントニオーニがジャズファンであったことからハービー・ハンコックに白羽の矢が立ち、「欲望」のスコアを手掛けた。66年というとハンコックが前年に傑作として誉れ高い「処女航海」を発表し、翌67年にはイージー・リスニング・ジャズの代名詞ともいえるウェス・モンゴメリーの「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」に参加し、意気揚々としていた頃である。その時期であることからモードかと思いきやポップ・ミュージック寄りの曲が多く、既にフュージョン志向を窺えるのが興味深い。この音楽がごく自然に映像に溶け込み、40年経った今も、これから先も衰えることはないであろう。

 映画の官能的なワンシーンを切り取ったジャケットはサウンドトラック盤で、映画にも出演していたヤードバーズの曲も収録されていてロック・ファンの間でも人気が高い。ヤードバーズで売ろうとしたのだろうか、「Featuring The Yardbirds」とシールを貼ってあるのは国内盤に付いている帯のようなものだろうか。ロック・ファンが注目するのは、この時代のヤードバーズで、ギタリストのジェフ・ベックとジミー・ペイジが、ツイン・リードとして同バンドに参加していたことにある。映画と切り離すとサウンドトラック盤は音楽性に欠けるとも言われるが、このアルバムは画像抜きでも遜色がなく、ハンコックの作曲家としての非凡な才能を知ることができる。

 フィルム時代にアントニオーニが生み出した多くのものはデジタル時代の若い映画作家に受け継がれ、ハンコックもまたヘッドハンターズでフュージョンの雛形を作りジャズの流れを変えている。斬新な創造には時代の趨勢を見極める敏感な感覚が必要であり、飽くなき欲望こそがその感覚を研ぎ澄ませるのだろう。
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美人は得か、ジョニ・ジェイムスの場合

2007-09-02 08:14:40 | Weblog
 アメリカの心理学者ナンシー・エトコフの著書に「なぜ美人ばかりが得をするのか」という、美人批判論とも思える1冊がある。タイトルはキャッチーに過ぎず美男美女について心理学的、社会学的に分析しているから面白い。美人観は好み、美意識の相違により異なると思うが、総じて美人顔というのは目は大きすぎず小さすぎず、鼻高すぎず低すぎず、額は広すぎず狭すぎず、つまりは平均値パーツを集めると美人、或いは美男になるらしい。

 近寄りがたい凛とした例えばグレース・ケリーのような「美しい女性」、マリリン・モンローのような性的中枢を擽る「イイ女(オンナ)」、そして「綺麗な女(ヒト)」と小生なりに美人観があって、その「綺麗な女」はジョニ・ジェイムスである。「アフター・アワーズ」というピート・ジョリーやシェリー・マンをバックにしたジャズ寄りの作品もあるが、どちらかというとポピュラー歌手で、ジャズファンには馴染みが薄いかもしれない。甘くハスキーな声が男心を刺激して一度知ったら止められないフェロモンが漂う。

 写真のアルバムはジョニの初LP「When I Fall in Love」で、くっきりした二重まぶた、目、鼻、口、其々のパーツが平均値の見事な美人である。タイトル曲をはじめ「エンブレイサブル・ユー」、「ラブ・レター」等、ラブソングを集めたもので、ストリングス入りのデヴィッド・テリーの伴奏が甘い声を引き立てる仕掛けだ。「マイ・ワン・アンド・オンリー・ラブ」が素晴らしく、「貴方への深い想いが私の心を歌わせる」と、甘ったるい声で歌われたら、ジャケット写真でやや分別を失いかけているのに完全に理性を忘れてしまうだろう。

 エトコフの実験結果によると、溺れたとき助ける、血液を提供する等の生死にかかわる場面でも美人が得だという。さてジョニの場合、美人で得をしたのだろうか。この初アルバムが予想以上に売れたので、以降10枚以上の作品を残すことになる。小生同様、ジャケットに惹かれて買った人が多いのかもしれない。やはり美人は得だ。
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