デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

ウディ・ショウの名誉

2009-08-30 08:30:51 | Weblog
 多くのジャズ・ミュージシャンを招聘している「もんブロダクション」社長、西陰嘉樹さんの著書「ジャズ・ジャイアンツの素顔」(ジャズ批評社刊)には、著者のみが知る来日プレイヤーのエピソードや裏話が紹介されていて、大物プレイヤーの意外な一面を知ることができる。80年に初来日したウディ・ショウに触れ、日本公演が終わって米国に帰ったら一人息子と夫人が消えていた事件の真実が赤裸々に綴られていた。

 西陰さんによると、ショウは狂ったように昼夜拳銃を手にして夫人と、「あの男」を探し求めたという。生まれつきの弱視で視界はほとんどないショウにとって、それは容易なことではなかったろう。遂にはエイズに感染し、そして地下鉄事故により左手切断を余儀なくされた悲劇の人である。エリック・ドルフィーとの共演で一躍シーンにその名を轟かせることとなったトランペッターは、伝統的なスタイルを踏襲しながらも常に進歩的な音楽を創造し、70年代、多くのミュージシャンがフュージョンの波に乗っても横目も振らず、直向きに頑固なくらい自身のスタイルを貫いた骨のある男だ。

 その不器用さゆえ過小評価されているショウの初リーダー作が、レコードにして2枚に及ぶ70年の「Blackstone Legacy」である。2枚組という大作は、前年のマイルス「ビッチェズ・ブリュー」を思わせ、当然その影響下にあるが、ジャズ・トランペット及びシーンの未来を提示したことはマイルス同様に評価すべきものと思う。吸い込んだ息を一瞬にして音にしたような太くて大きな音と、理路整然とした音列から突然飛び出すアグレッシブで難解にも聴こえるフレーズ、そして自作曲でみせる歌心、どれをとっても初リーダー作とは思えないほど充実している。残念なことにその人生は常に不運に見まわれたが、音楽はアルバムタイトルの如く次の時代に確実に継承される遺産である。

 ようやくショウが、夫人と「あの男」の逃避行先がフランスだと知ったときは、事故による怪我の状態も悪化するばかりで気力も失せ、なす術もなかったろう。トランペットを吹けない身体になり、妻と友人に裏切られ、これ以上残酷で不幸な人生はない。無念のまま死んだショウの作品には哀しい男の涙が見える。「あの男」の名は、短くとも鮮烈にジャズシーンに名を刻んだウディ・ショウの名誉のため、伏せておこう。
コメント (30)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2009-08-23 07:40:01 | Weblog
 顔の表情から相手の感情を読み取る際に、欧米人は口元に注目するのに対し、東洋人は目の表情を重視する傾向がある。という研究結果が先だって、米科学誌「カレント・バイオロジー」に掲載されたそうだ。目は口ほどに物を言うの諺通り日本人は確かにその傾向にあるが、目や瞳を歌った曲が多い欧米では日本以上に目の表情を読むと思っていただけに意外だった。何事もストレートなのが欧米流なのだろうか。

 「初めてあなたに会って恋に落ちたのは、そのあなたの瞳のせいよ」と、日本人ではとても口にできないような歌詞は、ウィリアム・トレイシーが作詞した「ゼム・ゼア・アイズ」で、作曲は「スウィート・ジョージア・ブラウン」で知られるメイシオ・ピンカードによるものだ。欧米でも男女間における目の表情は恋愛に欠かせないしぐさのようで、この曲や「エンジェル・アイズ」、「黒い瞳」、「スター・アイズ」等、「eyes」が付く曲は、恋する乙女のようなロマンティックな詞と、印象的なメロディを持っている。恋に落ちた瞬間を女性はいつまでも忘れないのだろう、ビリー・ホリデイをはじめ女性シンガーの名唱が多い。

 ゲイル・ロビンズが残した唯一のアルバム「アイム・ア・ドリーマー」でこの曲を歌っている。なかなかの美女で、ドリス・デイが主演した映画「カラミティ・ジェーン」に出演した女優だ。高音が伸びる美しい声をその美貌からイメージするが、顔に似合わないドスの利いた太い声で、流し目を送りながらけだるく歌うナイトクラブの歌手を思い出す。まるでその場に惚れた男がいて、じっと彼の目を見つめながら歌っているとしか思えないほど、色っぽくゆったりとしたテンポだ。歌唱力はそこそこだが、男を虜にする妖艶な雰囲気はえも言われぬ趣があり、鼻にかかった声で決めるラストフレーズの「Ooh those crazy eyes」は、その狂おしい目に吸い込まれそうだ。

 日本人が目の表情を重視することと直接は関係ないだろうが、日本語には「目」の入った慣用句が多い。そろそろ迎える「季節の変わり目」、どの町にもある「目抜き通り」、金の切れ目は「縁の切れ目」、ほかにも「名目」「目的」「目方」「欲目」「面目」等々、「目にあまる」ほどある。おっと、肝心な慣用句を忘れるところだった。小生に代表される「二枚目」、いや「抜け目」のないやつとも言われているが・・・
コメント (22)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

看板を描くタル・ファーロウ

2009-08-16 07:48:53 | Weblog
 ビルだろうか、船だろうか、ワイヤーで吊られた足場で看板を描いているから相当大きなものだろう。それに命綱も付けているので、地上からかなり高い位置にいることがわかる。命綱でワイヤーと結んでいるので、たとえ風に煽られても落下することはないだろうが、頭では安全だと分かっていても、落ちてしまったらという危機感は誰でもある。高所恐怖症の方は絶対に向かない職業だ。

 ペンキで大きく塗られた「TAL FARLOW」は、コンコード盤の「A Sign of the Times」で、ハンク・ジョーンズと、レイ・ブラウンで組んだギター、ピアノ、ベースによるトリオである。このトリオ形態はもともとピアノ・トリオの基本編成で、古くはアート・テイタムやナット・キング・コール、オスカー・ピーターソンが用いていた。そのスタイルを踏襲したのが、56年にエディ・コスタ、ヴィニー・バークと組んだタル・ファーロウだ。ギターのトリオはドラムとの編成に比べるとよりメロディを強調し、ギターとピアノが重なった太いユニゾンと、対位的なハーモニーも構築できる。三者ともテクニックと歌心がないことには組めない編成だろう。

 ファーロウは56年に結成した伝説のトリオで、58年まで活動を続けるが、その後ジャズシーンから姿を消し、再び表舞台に立つのは68年のニューポート・ジャズ・フェスティヴァルだった。そして77年に発売されたのがこのアルバムで、全盛期にみせたギターを同時に2本弾いているのではないかと思わせる華麗なテクニックは聴けないが、弦と一体となった左手と、絶妙なスウィング感を生むピッキングは以前と変らない。スタンダード中心の選曲で、決して派手さはないが艶やかな音色と、ギター・トリオだけが表現できる構築美は、ギターという楽器を極めたものだけが表現しえるものである。

 ファーロウはチャーリー・クリスチャンの演奏に感銘し、21歳でギターを手にするまでは看板を描くペンキ職人で、一時シーンから去ったときは、本来の仕事に就いていたという。ファーロウほどの名手が仕事に恵まれなかったのは不思議だが、たとえピックを刷毛に持ち替えても、ギター同様、芸術的な美しいラインを描いていたのだろう。そんな裏事情を知るとニヤリとするジャケットである。
コメント (23)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チャーリー・シェイヴァースの「星影のステラ」を聴いてみよう

2009-08-09 07:15:31 | Weblog
 心に残る名作「誰が為に鐘は鳴る」や「シェーン」をはじめ映画主題歌を数多く作曲したヴィクター・ヤングは、アカデミー作曲賞や音楽賞に22回ノミネートされたが、生前に受賞することができなかった。野口久光さんによると、当時のアカデミー審査委員の風潮として、ヒット性のある映画の主題歌が受賞すると、映画製作会社は主題歌だけ重要視するようになり、サウンドトラックを対象にした受賞目的とかけ離れるばかりか、その作品自体の評判に大きく影響されるからだという。

 生涯350曲もの美しい曲を書いたなかで、最もジャズメンに愛されたのは、「星影のステラ」と邦題が付いた「Stella By Starlight」だろうか。タイトルだけでホラー映画とわかる「呪いの家」の主題歌だが、メロディは格段に美しく、その映像と反する美が恐怖を緩和させたり、逆に増幅させる効果があり、不思議と怖い映画ほど美しいメロディが似合う。ステラは女性の名前で、ラテン語の「星」という意味だからタイトルも凝っている。パーカー、マイルス、エヴァンス等、細かく転調する独特のコード進行に基づいたアドリブの妙も面白いが、1コーラス32小節の美しいテーマをより美しく表現しているのがスイング派のトランペッター、チャーリー・シェイヴァースだ。

 ハリー・ジェイムスやロイ・エルドリッジ、バック・クレイトンの影に隠れて人気はなかったが、モダンな味付けでよく歌う。人気もなければ当然、過少評価された人で、それはリーダー作で決定的なものがなく、ベツレヘムのデビューアルバム「Horn O'Plenty」も再発された形跡がない。せいぜい語られるのは、ジーン・ノーマン主催のジャズ・ジャスト・コンサートの「スターダスト」のソロくらいなものだ。ストリングスを配した「The Most Intimate」は、その「スターダスト」や、「星影のステラ」という美しい曲を取り上げ、高らかに歌い上げている。甘い曲はどこまでも甘いほうがいい。甘美なこの表現こそシェイヴァースの持ち味である。

 女性なら必ずや涙する「シェーン」のラストシーンや、ヤングの死後、功績が認められてアカデミー作曲賞を受賞した「八十日間世界一周」の世界各国の多彩な風景は、主題歌を聴くだけで映画を想い出すが、「星影のステラ」、「愚かなり我が心」、「ラブレター」になると、メロディは流れても映画の筋は怪しい。アカデミー審査委員が危惧したように音楽の方が映画より後世に残ることを実証したのがヤングだろう。
コメント (25)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遅咲きの花、ジャッキー・バイアード

2009-08-02 07:24:09 | Weblog
 先日、第141回芥川賞の受賞作品が発表され、磯崎憲一郎さんの「終の住処」に決定した。文藝賞を受賞した「肝心の子供」で注目され、昨年は「眼と太陽」が芥川賞の候補にも挙がった作家で、日常という地味な材料を、人生の大きな時間の流れで見つめる作風は、それ相応の経験がなければ書けない。現在44歳の磯崎さんは、40歳を前に小説を書き出した遅咲きの人である。

 ジャズ界にも遅咲きの人がいて、ピアニストのジャッキー・バイアードは、ミンガスのグループでにわかに脚光を浴びたのは40歳を過ぎてからであった。出身地であるマサチューセッツの地元ローカルバンドで腕を磨いた人で、バップは勿論のこと、ファッツ・ウォーラー流のハーレム・ストライド・ピアノから、セシル・テイラーを思わせるフリーな奏法まで、ジャズ・ピアノのあらゆるスタイルを身に着け、どの奏法においても表面上の真似ではないバイアードの一味も二味も違いスパイスが効いている。バイアードだけが弾きこなせるテクニックに裏打ちされた幅広いスタイルは、その長い下積みで培った種に咲いた花の如く目映い。

 写真のアルバムは、65年にボストンの「レニーの店」でライヴ・レコーディングされたもので、後にエルヴィン・ジョーンズやチック・コリアのバンドで活躍するジョー・ファーレルが参加している。針を降ろすと同時にコルトレーンを彷彿させる激しいテナーから始まり、縦横無尽に鍵盤を走るバイアードにソロが引き継がれ、その変幻自在なスタイルをサポートするのはともに名手のジョージ・タッカーのベースとアラン・ドウソンのドラムだ。スタイルも豪快なら唸り声も豪快で、唸るより吠えるといったほうが正しいだろうか。オープニングはバイアードの曲で、タイトル「Twelve」、演奏時間ジャスト12分、万華鏡のピアニストはタイトルには拘らないようだ。

 作家や音楽家に限らず、人は豊かな才能に恵まれながらもなかなか芽が出ないこともあるが、いつかはその才能を開花させるチャンスに出会うかもしれない。長い人生のその一瞬のチャンスをつかみ生かすには、下積み時代にどれだけのものを学び、それを消化した知識と努力と忍耐という栄養を蓄えるかに左右される。十分な栄養を摂った種は開花したとき枯れることをしらないという。
コメント (15)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする