多くのジャズ・ミュージシャンを招聘している「もんブロダクション」社長、西陰嘉樹さんの著書「ジャズ・ジャイアンツの素顔」(ジャズ批評社刊)には、著者のみが知る来日プレイヤーのエピソードや裏話が紹介されていて、大物プレイヤーの意外な一面を知ることができる。80年に初来日したウディ・ショウに触れ、日本公演が終わって米国に帰ったら一人息子と夫人が消えていた事件の真実が赤裸々に綴られていた。
西陰さんによると、ショウは狂ったように昼夜拳銃を手にして夫人と、「あの男」を探し求めたという。生まれつきの弱視で視界はほとんどないショウにとって、それは容易なことではなかったろう。遂にはエイズに感染し、そして地下鉄事故により左手切断を余儀なくされた悲劇の人である。エリック・ドルフィーとの共演で一躍シーンにその名を轟かせることとなったトランペッターは、伝統的なスタイルを踏襲しながらも常に進歩的な音楽を創造し、70年代、多くのミュージシャンがフュージョンの波に乗っても横目も振らず、直向きに頑固なくらい自身のスタイルを貫いた骨のある男だ。
その不器用さゆえ過小評価されているショウの初リーダー作が、レコードにして2枚に及ぶ70年の「Blackstone Legacy」である。2枚組という大作は、前年のマイルス「ビッチェズ・ブリュー」を思わせ、当然その影響下にあるが、ジャズ・トランペット及びシーンの未来を提示したことはマイルス同様に評価すべきものと思う。吸い込んだ息を一瞬にして音にしたような太くて大きな音と、理路整然とした音列から突然飛び出すアグレッシブで難解にも聴こえるフレーズ、そして自作曲でみせる歌心、どれをとっても初リーダー作とは思えないほど充実している。残念なことにその人生は常に不運に見まわれたが、音楽はアルバムタイトルの如く次の時代に確実に継承される遺産である。
ようやくショウが、夫人と「あの男」の逃避行先がフランスだと知ったときは、事故による怪我の状態も悪化するばかりで気力も失せ、なす術もなかったろう。トランペットを吹けない身体になり、妻と友人に裏切られ、これ以上残酷で不幸な人生はない。無念のまま死んだショウの作品には哀しい男の涙が見える。「あの男」の名は、短くとも鮮烈にジャズシーンに名を刻んだウディ・ショウの名誉のため、伏せておこう。
西陰さんによると、ショウは狂ったように昼夜拳銃を手にして夫人と、「あの男」を探し求めたという。生まれつきの弱視で視界はほとんどないショウにとって、それは容易なことではなかったろう。遂にはエイズに感染し、そして地下鉄事故により左手切断を余儀なくされた悲劇の人である。エリック・ドルフィーとの共演で一躍シーンにその名を轟かせることとなったトランペッターは、伝統的なスタイルを踏襲しながらも常に進歩的な音楽を創造し、70年代、多くのミュージシャンがフュージョンの波に乗っても横目も振らず、直向きに頑固なくらい自身のスタイルを貫いた骨のある男だ。
その不器用さゆえ過小評価されているショウの初リーダー作が、レコードにして2枚に及ぶ70年の「Blackstone Legacy」である。2枚組という大作は、前年のマイルス「ビッチェズ・ブリュー」を思わせ、当然その影響下にあるが、ジャズ・トランペット及びシーンの未来を提示したことはマイルス同様に評価すべきものと思う。吸い込んだ息を一瞬にして音にしたような太くて大きな音と、理路整然とした音列から突然飛び出すアグレッシブで難解にも聴こえるフレーズ、そして自作曲でみせる歌心、どれをとっても初リーダー作とは思えないほど充実している。残念なことにその人生は常に不運に見まわれたが、音楽はアルバムタイトルの如く次の時代に確実に継承される遺産である。
ようやくショウが、夫人と「あの男」の逃避行先がフランスだと知ったときは、事故による怪我の状態も悪化するばかりで気力も失せ、なす術もなかったろう。トランペットを吹けない身体になり、妻と友人に裏切られ、これ以上残酷で不幸な人生はない。無念のまま死んだショウの作品には哀しい男の涙が見える。「あの男」の名は、短くとも鮮烈にジャズシーンに名を刻んだウディ・ショウの名誉のため、伏せておこう。