デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

シダー・ウォルトンの鈴の音が美しく響く

2013-08-25 09:18:03 | Weblog
 このところ相次いで訃報を耳にする。6月にポール・スミス、ジョニー・スミス、サム・モスト、メトロノーム・レコードの創設者アンダーシュ・バーマン、7月にベンクト・ハルベルク、今月に入ってからジョージ・デューク、マリアン・マクパートランド、藤圭子、無名時代のビートルズをアメリカでプロモートした、というよりジャズファンにはオーネット・コールマンのマネージメントを手掛けた、と言ったほうがピンとくるだろうか、シド・バーンスタイン・・・

 そしてこの10月に来日公演が予定されていたシダー・ウォルトンが、19日に亡くなった。58年にジジ・グライスを皮切りにルー・ドナルドソン、J.J.ジョンソの各バンドで勉強を重ね、62年にアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズが三管編成に切り替えた重要な時期に迎えられたピアニストだ。名門コンボの第二期黄金時代を支えたピアニストとなると派手に映るが、これが可愛そうなくら地味な存在だった。前任は特に日本で人気が高いボビー・ティモンズ、そしてフロントにはフレディ・ハバード、ウエイン・ショーター、カーティス・フラーという強力なホーンのバックでは目立たないのも無理はない。

 65年に退団後はアビー・リンカーンの伴奏を務め、その後もイースタン・リベリオンや自己のトリオで活躍しているので常にジャズシーンにいたことになる。日本で人気が出てきたのは74年に来日した折、新宿ピットインで録音したレコードが出てからと思う。フュージョン全盛の時代にあって、サム・ジョーンズとビリー・ヒギンズで組んだトリオは新鮮であり、ファンキーという伝統に基づいたピアノの心地よさを改めて教えてくれたような気がする。写真は92年の作品で一緒に来日が予定されていたベースのデビッド・ウィリアムスと盟友のヒギンズがサポートしているが、「鈴の音」と形容されるタッチに磨きがかかり特段に美しい。シダイに良くなるシダーである。

 58年にピアニストとしてスタートを切っているので、その活動期間は半世紀以上になるが、ジャズシーンは大きく変わった。流行に合わせてスタイルを変えたプレイヤーもいれば、その波に乗れなくて消えたミュージシャンもいる。一方でスタイルを守り抜いた人もいた。筋が通ったピアノは変わる必要もないし、ファンはその変わらないピアノをひたすら愛する。燻し銀のピアニスト、シダー・ウォルトン、享年79歳。合掌。
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バス・ルームからスタン・ゲッツが聴こえる

2013-08-18 08:05:23 | Weblog
 楽器のなかでは最も後で生まれ、最も早く世界に広まったサックスの魅力を探る研究書に「サキソフォン物語」(青土社刊)がある。作者はジャーナリストのマイケル・シーゲルで、自身もサックスを嗜んでいるのでミュージシャンのインタビューもかなり深い技術論にも及ぶ。シーゲルはバス・ルームで練習をしたそうだが、タイル張りなので反響が酷く練習場所としては最悪とはいえ、鏡がついているので指の動きを確認するには最高だという。

 住居に余裕があればわざわざ狭い場所でなくてもいいわけだが、家族が暮す狭いアパートだとそうはいかない。そんな一人になれるバス・ルームで練習を重ねた人にスタン・ゲッツがいる。今更説明するまでもないが、ジャズ史に名を残すサックス奏者だ。同書でも「アルコールに依存し、麻薬を常用し、ひとをだまし、税金をごまかし、妻に暴力をふるって、あげくは二度も自殺をはかった・・・」とサキソフォンのとりこになった演奏家の多くが心を蝕まれてきた典型としてゲッツを挙げているが、「・・・いっぽうではバラードの名手で独特の音を持っている」と。これほど端的にゲッツを語った言葉を他に知らない。

 ゲッツにどのような心境の変化があったのかは知らないが、80年代に長年住み慣れたニューヨークからサンフランシスコに居を移している。推測に過ぎないが前述の蝕まれた生活から抜け出すためかもしれないし、音楽的にも求めるものがあったのかもしれない。当時はマイナー・レーベルだったコンコードと契約を結び、早速録音したのが「ザ・ドルフィン」で、ルー・レヴィーのトリオをバックに伸び伸びと演奏している。バラードプレイの素晴らしさは勿論だが、ミディアム・テンポの「夜は千の眼を持つ」は、今までにない陽気さを感じさせる。知的でクールで、どこか翳があるゲッツも魅力だが、開放的なゲッツもまた妙味である。

 バス・ルームでゲッツが思いきり反響させながら吹いていると、近所から「ぼうずを黙らせろ」と言われたそうだ。すると母は「スタンリー、もっと大きい音でおやり」と返したという。近所迷惑を一顧だにしない母親は決して立派な母とはいえないが、少なくともゲッツとジャズ・ファンにとっては偉大な母だろう。母親が背中を押してくれなかったら、バス・ルームから音は消え、スタン・ゲッツという稀代のテナー奏者に巡り会うことはない。
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オスロのセロニアス・モンク研究家

2013-08-11 09:26:07 | Weblog
 先日の地元紙に札幌ジュニア・ジャズスクール出身者を中心に組んだ小中高生による少女7人のジャズバンドが、初参加した昨年に続いてオスロ・ジャズ・フェスティバルに出演するという朗報が載っていた。札幌とオスロはウィンタースポーツを通じて交流があったが、ジャズでより絆が深まることになる。少女たちが「海外でも認めてもらえるように頑張る」と練習に励んでいる様子は頼もしい。

 ノルウェーといえばクヌート・クリスチャンセンというピアニストがいる。あまり知られていないノルウェーのジャズシーンにあって、クリスチャンセンはセロニアス・モンクの研究家として著名な人だ。「Monk Moods」は代表作といえるアルバムで、タイトル通り「ラウンド・ミッドナイト」をはじめ、「ルビー・マイ・デア」「アイ・ミーン・ユー」等、モンク・スタンダードを中心にオリジナル曲を配した構成になっている。モンクのあの意表を付く独特の世界を表現するため、曲によって編成を変えているのはさすがだ。一本調子だとモンクの強烈で刺激的な魅力を引き出せないことを知っているのだろう。

 注目すべきは「ブリリアント・コーナーズ」で、モンクのなかでも特に難曲といわれているものだ。モンク自身の演奏は56年の同タイトルアルバムに収められているが、不協和音を効果的な形で使った前衛ジャズの先駆けといえるもので、モンクがいかに進んでいたのかがよくわかる。その進歩的傑作に挑むクリスチャンセンは、モンク同様ホーンを配しているが、これがソプラノ、アルト、テナー、バリトンの4本のサックスとトランペットが2本という強烈なもので、立体感を見事に構築している。厚みのあるテーマは幻想的でありながらユーモアさえ感じさせるが、このユーモアこそモンクの意図するところかもしれない。

 オスロ・ジャズ・フェスのプログラムにはボブ・ドローをはじめファラオ・サンダース、ジョシュア・レッドマンというビッグネイムもみられるが、多くは地元のジャズプレイヤーであり、内容はシンセサイザーを駆使したバンドもあるが、ディキシーからフリーまで全てジャズである。地元のジャズメンの出演は一組もなく、ロックやフォークのプレイヤーを呼んでは過去最高の動員数を記録したと喜んでいるどこぞのジャズフェスはジャズという冠を外したほうがいい。
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シャリー・ホーン手作りの牛肉のビール煮を味わう

2013-08-04 09:13:19 | Weblog
 CD店で棚を漁っているとき、レコードで見ているジャケットならCDサイズに縮小されても迷わないが、このサイズで初めて見るアルバムは老眼のせいもあるが余程注意しないとスルーすることがある。このアルバムがそうだった。一度スルーしたものの直感的にスウィングの匂いを感じて手に取ってみる。瓶や缶が並んだだけのキッチンを切り取ったようなデザインだが、しばし見とれてしまった。

 よく見るとラベルにはプレイヤーの名前があるではないか。この類のデザインは珍しくないとはいえ、こんなネーミングの商品があるのかと勘違いするほど凝ったもので、それも参加メンバー全員というからジャケットを見るだけでお気に入りのスパイスを買い物籠一杯につめたような満足感がある。シャリー・ホーンの「The Main Ingredient」で、何と自宅にメンバーを招き、手料理を振舞って録音したものだという。ジャケット裏には牛肉のビール煮のレシピが載っているので、大皿に盛られた料理に舌鼓を打ちながら、寛いでレコーディングに臨んだのだろう。和気藹々とした雰囲気でスタジオとは一味違ったセッションが楽しめる。

 トップはシャリーの幼馴染みのドラマー、ロニー・ドーソンが作った「Blues for Sarge」で、いきなり仕掛けがある。ブルースに乗せてメンバーをひとりひとり敬意を込めて紹介しているのだ。こんな風に名前を呼ばれたら、いつも以上の閃きが湧くのは間違いない。次いでシャリーのコンサートで友人たちが心待ちにしているという「The Look of Love」だ。バート・バカラックの作だが、ジャズシンガーが好んで取り上げる曲である。そしてファッツ・ワーラーの「Keepin' Out of Mischief Now」、ペギー・リーでお馴染みの「Fever」と続く。録音した1995年当時ではあまり歌われなくなった曲ばかりだが、新鮮な息吹を与えてくれる。

 「私にとって主な構成要素が音楽だから」と、シャリーはこのタイトルにしたことを語っている。その主要成分にはシャリー邸を訪れ、手料理を味い、主を盛り上げたプレイヤーも欠かせない。シャリーがこのセッションを心行くまで楽しんだことは、ラストのトラック「All or Nothing at All」の最後の最後に収められているが、思わずニヤリとする。それは・・・最後まで聴いてのお楽しみだ。
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