このところ相次いで訃報を耳にする。6月にポール・スミス、ジョニー・スミス、サム・モスト、メトロノーム・レコードの創設者アンダーシュ・バーマン、7月にベンクト・ハルベルク、今月に入ってからジョージ・デューク、マリアン・マクパートランド、藤圭子、無名時代のビートルズをアメリカでプロモートした、というよりジャズファンにはオーネット・コールマンのマネージメントを手掛けた、と言ったほうがピンとくるだろうか、シド・バーンスタイン・・・
そしてこの10月に来日公演が予定されていたシダー・ウォルトンが、19日に亡くなった。58年にジジ・グライスを皮切りにルー・ドナルドソン、J.J.ジョンソの各バンドで勉強を重ね、62年にアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズが三管編成に切り替えた重要な時期に迎えられたピアニストだ。名門コンボの第二期黄金時代を支えたピアニストとなると派手に映るが、これが可愛そうなくら地味な存在だった。前任は特に日本で人気が高いボビー・ティモンズ、そしてフロントにはフレディ・ハバード、ウエイン・ショーター、カーティス・フラーという強力なホーンのバックでは目立たないのも無理はない。
65年に退団後はアビー・リンカーンの伴奏を務め、その後もイースタン・リベリオンや自己のトリオで活躍しているので常にジャズシーンにいたことになる。日本で人気が出てきたのは74年に来日した折、新宿ピットインで録音したレコードが出てからと思う。フュージョン全盛の時代にあって、サム・ジョーンズとビリー・ヒギンズで組んだトリオは新鮮であり、ファンキーという伝統に基づいたピアノの心地よさを改めて教えてくれたような気がする。写真は92年の作品で一緒に来日が予定されていたベースのデビッド・ウィリアムスと盟友のヒギンズがサポートしているが、「鈴の音」と形容されるタッチに磨きがかかり特段に美しい。シダイに良くなるシダーである。
58年にピアニストとしてスタートを切っているので、その活動期間は半世紀以上になるが、ジャズシーンは大きく変わった。流行に合わせてスタイルを変えたプレイヤーもいれば、その波に乗れなくて消えたミュージシャンもいる。一方でスタイルを守り抜いた人もいた。筋が通ったピアノは変わる必要もないし、ファンはその変わらないピアノをひたすら愛する。燻し銀のピアニスト、シダー・ウォルトン、享年79歳。合掌。
そしてこの10月に来日公演が予定されていたシダー・ウォルトンが、19日に亡くなった。58年にジジ・グライスを皮切りにルー・ドナルドソン、J.J.ジョンソの各バンドで勉強を重ね、62年にアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズが三管編成に切り替えた重要な時期に迎えられたピアニストだ。名門コンボの第二期黄金時代を支えたピアニストとなると派手に映るが、これが可愛そうなくら地味な存在だった。前任は特に日本で人気が高いボビー・ティモンズ、そしてフロントにはフレディ・ハバード、ウエイン・ショーター、カーティス・フラーという強力なホーンのバックでは目立たないのも無理はない。
65年に退団後はアビー・リンカーンの伴奏を務め、その後もイースタン・リベリオンや自己のトリオで活躍しているので常にジャズシーンにいたことになる。日本で人気が出てきたのは74年に来日した折、新宿ピットインで録音したレコードが出てからと思う。フュージョン全盛の時代にあって、サム・ジョーンズとビリー・ヒギンズで組んだトリオは新鮮であり、ファンキーという伝統に基づいたピアノの心地よさを改めて教えてくれたような気がする。写真は92年の作品で一緒に来日が予定されていたベースのデビッド・ウィリアムスと盟友のヒギンズがサポートしているが、「鈴の音」と形容されるタッチに磨きがかかり特段に美しい。シダイに良くなるシダーである。
58年にピアニストとしてスタートを切っているので、その活動期間は半世紀以上になるが、ジャズシーンは大きく変わった。流行に合わせてスタイルを変えたプレイヤーもいれば、その波に乗れなくて消えたミュージシャンもいる。一方でスタイルを守り抜いた人もいた。筋が通ったピアノは変わる必要もないし、ファンはその変わらないピアノをひたすら愛する。燻し銀のピアニスト、シダー・ウォルトン、享年79歳。合掌。