北海道を舞台にした映画は数多くあるが、なかでも山田洋次監督の「幸福の黄色いハンカチ」は今なお不朽の名作として観る人の心を打つ。浪花節的な物語や、不器用な生き方しかできない主人公と、その主人公を演じた高倉健が持つ男の純情は日本的だが、原作は意外なことにピート・ハミルの「黄色いリボン」で、「ニューヨーク・スケッチブック」に収められている作品だ。こちらも不朽の名著で何度読み返しても新鮮さを保っている。
この絶妙な筆致の短編集をそのままピアノで表現しているのは、ドン・フリードマンだ。代表作の「サークル・ワルツ」は、ビル・エヴァンスが新しいジャズピアノ・スタイルの寵児として脚光を浴びた62年の作品だったが、エヴァンスに通ずるリリカルな美しさとエヴァンスにはない逞しさでピアノトリオの名盤として燦然と輝いている。その後、あまり話題にならないものの、散発的とはいえリーダー作を残していて、71歳のとき、2006年に録音したソロアルバムは、代表作と変わらぬ瑞々しさで一層深い味わいがある。歳を重ねて初めて出せる音といってしまえば簡単だが、そこにある響きは誰とも比べない、そして誰の真似もしないフリードマンだけの音とでも表現しようか。
ニューヨーク・モノローグというサブタイトルが付いている「ムーン・リヴァー」がその作品で、東京での録音ながら脳裏に焼きついているニューヨークの風景を音で綴ったものだ。タイトル曲はオードリー・ヘプバーンの優雅なしぐさが思い浮かぶほどで、そのタッチはティファニー宝石店のような煌めきを放つ。ソロピアノはライブもスタジオの録音も、自らのテンションを高めなければ単調に陥り、ただの練習風景になる難しさがあるが、ここでのフリードマンは敢えてその手法をとらずリラックスして自然体でピアノに向かっているように聴こえる。それでも緊張を保てるのは、もう一人の自分と対峙したからに他ならない。
ハミルの「黄色いリボン」は、ページ数にしてたったの6ページしかないが、凝縮された文章からは町並みや人物像のイメージが大きく広がり、行間からは登場人物の微妙な心理状態まで読み取れる。フリードマンの「ムーン・リヴァー」をもう一度聴いてみよう。無駄な音もなければ余分な音もない。音と音の間にある聴こえない音からはニューヨークの喧騒や静寂、そしてそこに暮らす人々の声までもが聞こえてくようだ。
この絶妙な筆致の短編集をそのままピアノで表現しているのは、ドン・フリードマンだ。代表作の「サークル・ワルツ」は、ビル・エヴァンスが新しいジャズピアノ・スタイルの寵児として脚光を浴びた62年の作品だったが、エヴァンスに通ずるリリカルな美しさとエヴァンスにはない逞しさでピアノトリオの名盤として燦然と輝いている。その後、あまり話題にならないものの、散発的とはいえリーダー作を残していて、71歳のとき、2006年に録音したソロアルバムは、代表作と変わらぬ瑞々しさで一層深い味わいがある。歳を重ねて初めて出せる音といってしまえば簡単だが、そこにある響きは誰とも比べない、そして誰の真似もしないフリードマンだけの音とでも表現しようか。
ニューヨーク・モノローグというサブタイトルが付いている「ムーン・リヴァー」がその作品で、東京での録音ながら脳裏に焼きついているニューヨークの風景を音で綴ったものだ。タイトル曲はオードリー・ヘプバーンの優雅なしぐさが思い浮かぶほどで、そのタッチはティファニー宝石店のような煌めきを放つ。ソロピアノはライブもスタジオの録音も、自らのテンションを高めなければ単調に陥り、ただの練習風景になる難しさがあるが、ここでのフリードマンは敢えてその手法をとらずリラックスして自然体でピアノに向かっているように聴こえる。それでも緊張を保てるのは、もう一人の自分と対峙したからに他ならない。
ハミルの「黄色いリボン」は、ページ数にしてたったの6ページしかないが、凝縮された文章からは町並みや人物像のイメージが大きく広がり、行間からは登場人物の微妙な心理状態まで読み取れる。フリードマンの「ムーン・リヴァー」をもう一度聴いてみよう。無駄な音もなければ余分な音もない。音と音の間にある聴こえない音からはニューヨークの喧騒や静寂、そしてそこに暮らす人々の声までもが聞こえてくようだ。