デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

クリス・コナーはレズビアンだと言ったのは誰だ

2008-05-25 09:06:40 | Weblog
 ドメスティック・バイオレンスやセックスレスなど、現代人が抱える問題を描いたテレビドラマ「ラスト・フレンズ」が人気のようだ。映画「スウィングガールズ」で、「ジャズやるべ!」と言っていた上野樹里が性同一性障害という難しい役を演じており、ベリーショートのヘアスタイルがよく似合う。毎週見ているが性同一性障害というよりレズビアンに近い設定のようで、連続テレビドラマでこの類のものを題材にするのは珍しい。

 ジャズ界でレズビアンと噂された人にクリス・コナーがいる。真偽の程は定かではないが、独身であり、来日時に同行した女性マネージャーに寄り添っていたことからそんな説も流れたのだろうか。確かに知的であり凛としたクールさは、男が甘い言葉で誘いをかけ、手を差し伸べても振り払うような近寄り難い冷たさを感じさせる瞬間がある。スタン・ケントンのバンド出身で、先輩であるアニタ・オデイほど自由奔放ではないし、かといって影響を受けた同じケントン・ガールズのジューン・クリスティのような清楚なところもない。知的な不良といった感じで、時に退廃感が漂い突き放すようなハスキー・ヴォイスが魅力である。

 アメリカには多くの作曲家がいるが、ジョージ・ガーシュインほどプレイヤーにもリスナーにも愛された人はいない。ほとんどのプレイヤーが一度は演奏しているだろうし、この作曲家がいなければジャズメンのレパートリーがこれほど彩ることもなかったであろう。当然ガーシュインの曲ばかり録音したソング・ブックも多く、なかでもクリス・コナーの作品集は特筆すべき内容である。録音に5ヶ月を費やし、ほとんどの名曲を網羅した2枚組の大作で、更に作曲年代順に編集しているのでガーシュインの曲を知るうえでのガイドブック的役割も果たしている。勿論クリスがアトランティックに残した13枚のアルバム中、ベストに挙げるべき作品だ。

 ガーシュインの名曲「The Man I Love」は、「Some day he'll come along」ではじまる。レズビアンであっても愛や恋の歌は歌えるだろうが、クリスの歌には間違いなく男を愛したことがある切ないほどの女心を表現しており、とてもレズビアン説は信じられない。仮にそうであるなら愛した男からドメスティック・バイオレンスを受けたのが原因なのかもしれない。ドラマでは上野樹里が病気を克服する様子が窺えるが、いつか彼が来てくれる、という展開を見せるドラマも楽しみである。
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ブッカー・リトルの不安定な波形

2008-05-18 07:23:03 | Weblog
 オシロスコープは目では見えない電気信号の変化していく様子を波形で表示するための計測器で、電気機器の故障解析に使われるようだ。これを繋げてレコードを聴くと音の高低、強弱が波形の変化により一目でわかり、アンサンブルは振幅が広い波形、ソロは小さな波形で表れ、増幅を実感をもって理解することができる。ソロだと音の強弱により波の大きさも多少変わるもの振れが少ない安定した波形を描く。

 ソロをとって不安定な波形をみせるのは23歳の若さで亡くなったブッカー・リトルである。その不安定さは決して耳障りなものではなく、寧ろフリー的要素を持った感覚で聴き手に快感さえもたらす。バイオグラフィーを見るとクラシックを学んでおり、他のトランペッターと較べて音階やアドリブの展開が違うのはその素養によるものだろう。クラシックの音楽理論と楽器のテクニックがすぐさまホーンのプレイで活かされるほどジャズは単純ではないが、リトルはクラシックで学んだものをジャズの語法に置き換えることで自身のジャズの方向性を模索していたのだ。いわば志半ばにして完成しないまま夭折したトランペッターなのであった。

 ファイヴスポットでエリック・ドルフィーと火の噴くようなセッションを繰り広げたリトルのリーダーアルバムは、たった4枚しかない。なかでもタイム盤は唯一のワンホーン作で、6曲中5曲がオリジナルということもあり、奏者としてのリトルと作曲家としてのリトルを十二分に味わえる作品だ。録音されたのは60年で、当時主流のハードバップの流れを汲みながら、リリカルで一味違うエッセンスをちりばめた作品は、60年代を牽引していくべき力漲ったものである。25歳で亡くなったスコット・ラファロの強靭なベースラインもこのアルバムの聴きどころであり、かつて国内盤が発売された時のタイトル「2つの流星」が、活動期間が短くとも大きな足跡を残した2人を物語っていた。

 オシロスコープの縦軸は電圧、横軸は時間を表し、高速な電気信号の時間的変化も読み取れる。グラフに表示されたリトルの大きく上下に振れる縦軸は、限られた横軸の時間を拡大したものかもしれない。凝縮された一音一音が、グラフに表示されている。
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スティットとシムズが見た青空

2008-05-11 07:56:46 | Weblog
 昭和初期の世相を記した文献によると日本ジャズ・ソングのヒット第一号は、昭和3年にニ村定一が吹き込んだ「私の青空」らしい。アメリカで前年、ジーン・オースティンのレコードがミリオンセラーを記録したのをうけて、堀内敬三が訳詞したもので、妻と子どもが待つ楽しい我が家、それは天国というマイホームの歌だ。原題は「My Blue Heaven」で、「私の青空」は直訳ではあるが足取りも軽くなる歯切れの良いメロディと、心まで明るくするタイトルが、昭和の五月晴れに響き渡ったのだろう。

 「私の青空」はAABAという各8小節で成り立つ典型的なアメリカン・ポピューラー・ソングで、ビング・クロスビーをはじめ名唱は数多い。インストでは軽快なステップを踏み心を躍らせるスイング期にはほとんどのバンドがレパートリーにしており、グレン・ミラーの得意ナンバーでもあった。スイング期から活躍しているコールマン・ホーキンスやベニー・カターの名演は残されてるものの、踊るための曲というイメージが強いせいかモダン期ではあまり演奏されないが、比較的新しいところでは、65年にソニー・スティットとズート・シムズが共演した「Inter-Action」で聴ける。古い歌曲に新しい息吹を与えた演奏は、五月の新芽を宿した花が青空に向かって咲くような輝きを持つ。

 パーカー直系のインプロヴァイズに長けたスティットと、片やスタン・ケントンのフォー・ブラザーズでアンサンブルを熟知したシムズの組み合わせが妙なアルバムである。「私の青空」のテーマ部を交互に吹き分ける二人は、ソロオーダーの説明を必要としないほど明らかに違うフレージングで、同じ年代に育ったテナーマンでありながら違うスタイルは、モダン期以降の多様化を垣間見るようだ。よくありがちな同楽器のバトル物ではなく、其々自分のペースで吹くソロは互いの持ち味を尊重したもので、アルバムのタイトル通り相互作用を生み出している。違うフィールドを歩み、別の青空を見ながらも、根本にある発想は同じであり、垣根を越えてそのジャズ概念を共有しているにちがいない。

 昭和3年、西暦1928年に生まれた人は今年、傘寿を迎えられる。傘の略字が八十と読めるところから80歳のお祝いの名が付いたそうだ。80年の長き人生には幾多も傘を差す日があり、澄み切った青空を見る日もあっただろう。今見ることのできる青空を大切にしたいものだ。
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バードがウォルター・ビショップJr.に払わなかった7ドル

2008-05-04 08:30:18 | Weblog
 ロバート・ジョージ・ライズナーはその著書「チャーリー・パーカーの伝説」で、パーカーと親交があった多くの人の証言をまとめている。伝説化された天才の人間像を浮き彫りにしたバード評伝の決定版であり、そこから見えてくるのは何をしても、それがたとえ悪事であっても憎めない愛すべき人間臭いバードだった。「彼と対等にわたりあう唯一の方法は、自分のものの考え方を、バードとおなじように確固たるものとして持つことだった」

 こう回想しているのは、バードと3年ほど付き合いがあったウォルター・ビショップJr.である。当時のプレイはバードの「スウェディッシュ・シュナップス」や、ラスト・セッションの「プレイズ・コール・ポーター」で聴けるが、バップ期のピアニストが誰でもがそうであったようにバド・パウエル直系のスタイルで、歌心に富んだフレーズと力強いタッチが特徴だ。ビショップは50年代のほとんどを現役から遠ざかっていたこともあり、実力の割には評価もされず、人気にも恵まれない人であった。実力と人気は比例しないのが世の常であるが、バードと対等にわたりあう考え方を持ったビショップこそバップ・ピアニストとして評価されるべきだろう。

 「スピーク・ロウ」は疑いなくビショップの代表作であり、Jazztime という3枚のアルバムを残しただけで活動を休止したレーベルの作品としても貴重なものである。「サムタイム・アイム・ハッピー」、「グリーン・ドルフィン・ストリート」と、お馴染みのスタンダードの選曲に加え、ジミー・ギャリソンの強靭なベース・サポートも見逃せない。タイトル曲の「スピーク・ロウ」はこのアルバムの白眉で、数ある同曲のベスト・チューンといえる渾身の一曲だ。24小節を大きな音で力強く弾きながら、曲の真ん中あたりを非常にソフトに演奏するという構成は他の曲でも聴かれるが、これはバードと演奏して身に着けたもので、駆け出しのころは知らない曲を演奏することが多く、内部の細かなコード進行を探るためだったという。

 多くの証言によると、バードは雇ったミュージシャン達に金を払わなかったそうである。ビショップもバードからの未払い金が7ドルあったようだ。これからもまだバードと一緒に仕事ができるのだからと見過ごしていたそうだが、未払いの事実はバードにも悟らせておいたと回想している。きっとspeak low ~小声でそっと話したのかもしれない。 
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