デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

ジョニー・ハートマンの演技力

2008-06-29 08:04:56 | Weblog
 頓智咄を原作としたテレビアニメの「一休さん」は、禅僧一休宗純の愛称で「狂雲集」という優れた詩集を遺している。自由奔放で戒律や形式にとらわれない生き方をした人で、70歳を超えても愛人がいて、死ぬまで浮気はやめられなかったそうだ。飲酒、肉食はもとより女とは僧にあるまじき行為だが、当時の仏教界の腐敗ぶりに嫌気がさし抵抗したもので、その反骨精神が共感を呼び、一休咄に代表される頓知咄を生み出す元になっている。

 一休さんが聴いてもおそらく馬の耳に念仏と思われる曲に「Ain't Misbehavin'」がある。ファッツ・ウォーラーの作で、「浮気はやめた」と邦題が付いていて、ウォーラー自身の歌はもとよりジミー・ラッシング等、歌の内容通り男性ヴォーカリストに好まれる曲だ。ジョニー・ハートマンも55年のベツレヘム盤「Songs From The Heart」でとり上げていて、ラルフ・シャロン・トリオにハワード・マギーが加わったワン・ホーンをバックに、「Fall in Love Too Easily」、「We'll Be Together Again」というバラードの名作をバリトン・ヴォイスで歌い上げている。ほどよい甘さと渋さが見事に融合した心からの歌が堪能できるアルバムだ。

 72年に来日したハートマンは、日野皓正とアルバムを残しているが、初来日は63年のことになる。この時はジャズ・メッセンジャーズの一員としてだが、その甘い歌声に酔った方も多いことだろう。帰国後間もなく吹き込んだコルトレーンとの共演盤は、名実ともにハートマンの代表作であり、バラードシンガーとしての名声を不動にした名盤でもある。「浮気はやめた」にしても、コルトレーンとの「マイ・ワン・アンド・オンリー・ラブ」にしてもまるで歌詞を演じるような歌い方は役者のようであり、ヒロインとしての女性を肯かせる説得力を持つ。歌を演ずるハートマンの名刺には、「Actor」と肩書きがあるという。

 一休は、「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」という味わい深い句も遺しているが、一方で「美人の陰に水仙花の香有り」とか「美人の婬水を吸う」といった今時のフランス書院やマドンナメイト専属の作家にひけをとらない描写もしている。美人を眺めて一休の句を思い出し、橋の端で一休みも悪くない。
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日野皓正の自然体を映したラッシュ・ライフ

2008-06-22 08:27:44 | Weblog
 先日、当地で催された日野皓正クインテットを聴いた。新宿ピットインで聴いて以来30数年ぶりになる。白木秀雄のバンドに参加したころから日本ジャズ界の最先端を歩んできた日野さんは65歳になるが、いつも若手のメンバーに囲まれているせいだろうか、とても若々しい。ピットインの空気を一瞬で変えてしまう当時と変らぬ攻撃的なトーンを聴くと、老けたはずのこちらまで青々としてくる。

 かつて有馬記念のスタート前にソロを吹き、中山競馬場内を静まり返らせた愛用のトランペットは某楽器メーカーの特注によるものだが、そのメーカーの貸し出し書にサインをして借りているものだという。自分の楽器でありながら、自分のものではないという奇妙な楽器だが、日野さんによると、このメーカーが外国人プレイヤーに楽器を提供すると本国に帰って直ぐに売り払うことから、このような貸し出し形式をとっているそうだ。どうやらアメリカではチャーリー・パーカーの時代から楽器は質屋の店頭に飾ることになっているらしい。

 85年の「トランス・ブルー」は、ストリングスを配しエディ・ゴメス、ジム・ホール、 ケニー・カークランド、そして歌うドラマー、グラディ・テイトも参加した作品で、「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」をはじめスタンダードを叙情的に歌い上げている。何度も繰り返し演奏した曲は、ともすると手癖が出てしまい新鮮味に欠けるものだが、サイドメンに鼓舞されバラードの新境地ともいえる展開は、日本のトッププレイヤーに恥じないスタンダード集に仕上がった。このアルバムの最後を飾るビリー・ストレイホーンの「ラッシュ・ライフ」は、活き活きとした珠玉のフレーズを紡いでゆき、日野さんの青々とした人生を映しているようだ。
 
 ライブの場とは違い地方公演では、普段ジャズに馴染みがない方へのサービスもみられる。美空ひばりの「川の流れのように」を切々と吹き会場を沸かしたが、川の流れのような自然体が新鮮なアイデアを生み、Lush Life ~若々しい人生を歩む秘訣なのかもしれない。
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ジャズ・ピアノの父、アール・ハインズに感謝をこめて

2008-06-15 07:24:23 | Weblog
 とうさん、とうちゃん、とっつあん、ととさま、父を呼ぶ言葉である。語源を調べてみると「ちち」は母音交代により「てて」になり、幼児語の「とと」にもなり「と」が付くらしい。父親を親しんで呼ぶ語に「親父」があるが、こちらは「おやちち」が転じ語のようだ。呼び方は様々だが、6月第三日曜日の今日は父に感謝を表す日である。ジャズ・ピアニストばかりか、ジャズ・ミュージシャンそしてジャズ・ファンが感謝する父というと・・・

 Earl "Fatha" Hines ジャズ・ピアノの父アール・ハインズである。ルイ・アームストロングのホット・ファイヴで不朽の名演を残したそのホーンライクな奏法は、トランペット・スタイルと称されるもので、ルイのトランペット奏法を力強い右手のシングル・トーンで表現したものだ。加えて左手のベース・パートもそれまでの通念であった画一的な単純な動きではなく、複雑でより開放されたリズムにより躍動感を生む。同じスイング期のファッツ・ウォーラーやテディ・ウィルソンが後進ピアニストに与えたものも大きいが、ハインズのフリージャズの時代にまで影響を及ぼしたスタイルは、 "Fatha" の称号に相応しいものだろう。

 コンタクト盤の「ヒア・カムズ」は、リチャード・デイヴィス、エルヴィン・ジョーンズというコルトレーン・カルテットを支えた強力なリズム陣との異色の顔合わせに驚く。66年録音当時、ハインズ61歳、デイヴィス36歳、エルヴィン39歳、還暦を過ぎたハインズから見ると子どもみたいなものだが、世代を超えたセッションは互いの持ち味を存分に発揮したエネルギッシュな作品である。このアルバムのハイライトともいえる「ザ・スタンリー・スティーマー」では、デイヴィスのウォーキング・ベースに絡むハインズがゾクッとするほどスリルがあり、エルヴィンのシンバルワークは火花を散らす勢いだ。偉大な父の前で緊張しながら「親爺」と尊敬の念で呼ぶ子どもに、ジャズ・ピアノの父の眼差しは優しい。

 日本では母の日に比べ印象の薄い父の日だが、アメリカで始まったのは100年ほど前であり、アメリカでは国民の祝日に制定されている。家庭のことは母親に任せきりで、子どもを叱らない父親が増えた昨今、父権も失われつつあるが、今日の父の日くらいは父に感謝を表したいものだ。
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時さえ忘れるゴルソン・ハーモニー

2008-06-08 07:06:57 | Weblog
 スティーヴン・スピルバーグ監督、トム・ハンクス主演の映画「ターミナル」は、エスクァイア誌に掲載されたジャズメンの集合写真が重要な要素であった。ストーリーは社会的立場を無くした人間の心理と行動を描いたものでスピルバーグらしさのあるヒューマンドラマである。釈然としないエンディングや、ジャズをモチーフにしているのバックにジャズはあまり流れず、と少々不満も残るが、ハーレムで写された集合写真の一人、ベニー・ゴルソンがジャズクラブで代表作「キラー・ジョー」を吹くシーンはゴルソン・ファンには見逃せない。

 58年に撮影された集合写真の経緯は、ドキュメンタリー・フィルム「ア・グレイト・デイ・イン・ハーレム」で知ることができるが、58人ものジャズミュージシャンを1枚の写真に収めるのは容易なことではなく、写真家のアート・ケインの熱意はジャズファンならずとも心打たれる。苦労の末写した写真もメアリー・ルー・ウィリアムスやロイ・エルドリッジは横を向き、ディジー・ガレスピーは舌を出す道化ぶりで、音楽以外は協調性を持たず勝手な行動をとるジャズメンの姿を如実に写し取っていた。半世紀前の写真ともなれば、現存するプレイヤーは少なく、映画ではいまだ現役で活躍するゴルソンに白羽の矢が立ったのだろう。

 写真が写された翌年、59年に吹き込まれた「Groovin' with Golson」は、名盤として名高い「ブルース・エット」の後に吹き込まれたもので、ここでもカーティス・フラーが共演している。レイ・ブライアント、ポール・チェンバース、そしてアート・ブレイキーという当代きってのリズムセクションをバックに奏でるいわゆるゴルソン・ハーモニーが美しい。「ブルース・マーチ」や「アイ・リメンバー・クリフォード」等、作曲家としてのゴルソンの才能も抜きん出ているが、編曲家としても巧みで、まるで自作を飾り付けるような自在さを持つ。名コンビ、ロジャース&ハートの「時さえ忘れて」が収めれており、テーマ部の2管の絡み具合は作者以上の名コンビであり名編曲でもある。

 「ビッグ・ピクチャー」と呼ばれるジャズ・フォト史上不滅の集合写真は、ニューヨーク近代美術館の永久コレクションになっていることからも、その貴重性と価値の大きさがわかるだろう。写真の最後列にアート・ファーマーと肩を並べているゴルソンは、映画でも写真から時代を超えて抜け出た笑顔をみせていた。ゴルソン・ハーモニーを聴く度、時さえ忘れる。
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ジミー・ジュフリーの花が咲くとき

2008-06-01 09:05:23 | Weblog
 ウディ・ハーマンのセカンド・ハードが、スタン・ゲッツ、ハービー・スチュワート、ズート・シムズ、サージ・チャロフという夢のようなサックス・セクションで脚光を浴びたのは40年代末であった。代表作の「フォア・ブラザーズ」は、サックス4本のアンサンブルによるテーマが転調しながら延々と続き、4人の短いながら変化のあるソロをはさんだ名演で、演奏陣も見事なら作編曲もまた優れたものだ。幾つかのカバーは、このオリジナルを意識したもので、崩せないほど完璧であることを物語っている。

 この名アレンジを施したジミー・ジュフリーが、4月に亡くなったのを最近知った。映画「真夏の夜のジャズ」の冒頭を飾った映像で在りし日の姿を思い出す方もあろう。この時の演奏が示すように、ジュフリーが58年当時目指していたのは、フォーク・ジャズ的要素を持ったものであった。彼の吹くクラリネットやテナーは、レスター・ヤングのようにビブラートが稀薄でかすみがかかり寛ぎさえ覚えるが、その音色とは裏腹に音楽性は進歩的であり、且つ革新性の強いものだった。時代の先を行くジャズゆえ理解者は少なく、常に思索する音楽家として位置付けられていた。

 58年の作品「ウェスタン組曲」は、ジム・ホールのギターとトロンボーンのボブ・ブルックマイヤーと組んだ変則トリオで、西部の大草原をイメージさせる組曲と、スタンダードの「トプシー」と「ブルー・モンク」という構成だ。組曲は音楽理論を追求した難解なものだが、スタンダードは極自然な4ビートでスイング感もあり、このアルバムからも思索するジュフリーの断片が窺える。全体を通して興味深いのはドラムレスでリズムを想定しており、この場合3人が同じリズム感覚を持たないことには一体感が失われるのだが、同調されたリズム感を共有しているのは見事なものだ。そしてベースなしで、ベースラインを刻むという高度なテクニックをホールは披露している。ハーモナイズド・ベースラインと呼ばれるもので、ベースラインの上に更にコードを乗せるという奏法らしい。ホールはこの高度な演奏を必要とされたためストレスが溜まり、髪が抜けてしまったそうだ。

 ジャケットの最大15メートルくらいまで成長するというサワロカクタスが花を咲かす時期は知らぬが、サボテンの代表品種「金鯱」は、開花するまで30年前後かかるという。理解者の少ないジュフリーの音楽に花が咲くのはいつのことだろうか・・・合掌。
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