今は無きスイング・ジャーナル誌がジャズ・ジャーナリズムを独占していた頃、読者の投票からリストアップしたリクエスト・アルバムの企画があった。一部のジャズファンからは冷ややかな目で見られていた読者に迎合する企画だが、今思えばジャズ誌が生き残るための策だったのだろう。企画の是非はどうであれ、一方的な発信である活字媒体に読者が参加し、その声が音になるのは画期的だった。
その寄せられた曲を演奏するのはバド・シャンクと、サイラス・チェスナット、ジョージ・ムラツ、ルイス・ナッシュで編成されたリズム・セクションである。題してバド・シャンク・ミーツ・ザ・リズム・セクション、リーダーを変えるとあの57年の名盤で、往年のファンなら思わず笑ってしまうタイトルだが、これも企画物ならではのアイデアであろう。リクエストされたなかにベサメ・ムーチョがあり、ついぞ本家と比べたくなるが、このアルバムに限ってはそんな比較は無駄といえる。録音時、シャンクは70歳で後世に残る名盤を作ろうとか、斬新な切り口でスタンダードを料理しよう、といった意気込みはないからだ。それが良いのである。
アルバムのトップはクルト・ワイルの名作セプテンバー・ソングだ。ミュージカルに書かれた曲で俳優のウォルター・ヒューストンの声域に合わせて作られたという。歌手ではないのでその声域は広くない。これが誰にでも口ずさめ、人気曲の所以なのだが、アドリブとなると音域の幅がないことから逆に難しくなる。通常バラードで演奏されるが、シャンクはテンポを速めにとりメロディラインに減り張りを付け一気に起伏のあるアドリブに持っていく。派手さもなければ飾りもないが、実に味がある。人は肩の力を抜いたときに自然体の本領が発揮できるもので、そこにあるのは経験に裏付けされた人生観と音楽観の反映なのかもしれない。
セプテンバー・ソングは人の一生を一年の12箇月に喩えた歌で、9月という月の持つ季節の移ろいを残りの人生に重ねる意味合いもある。当時はリクエスト・アルバムの企画に否定的だった小生も、あれから15年も経つと人生の季節は秋を過ぎたであろう。リストアップされた曲はエンジェル・アイズ、アイ・リメンバー・ユー、テンダリー等、哀愁を帯びたメロディが並ぶ。さて、人生の秋に何をリクエストしようか。
その寄せられた曲を演奏するのはバド・シャンクと、サイラス・チェスナット、ジョージ・ムラツ、ルイス・ナッシュで編成されたリズム・セクションである。題してバド・シャンク・ミーツ・ザ・リズム・セクション、リーダーを変えるとあの57年の名盤で、往年のファンなら思わず笑ってしまうタイトルだが、これも企画物ならではのアイデアであろう。リクエストされたなかにベサメ・ムーチョがあり、ついぞ本家と比べたくなるが、このアルバムに限ってはそんな比較は無駄といえる。録音時、シャンクは70歳で後世に残る名盤を作ろうとか、斬新な切り口でスタンダードを料理しよう、といった意気込みはないからだ。それが良いのである。
アルバムのトップはクルト・ワイルの名作セプテンバー・ソングだ。ミュージカルに書かれた曲で俳優のウォルター・ヒューストンの声域に合わせて作られたという。歌手ではないのでその声域は広くない。これが誰にでも口ずさめ、人気曲の所以なのだが、アドリブとなると音域の幅がないことから逆に難しくなる。通常バラードで演奏されるが、シャンクはテンポを速めにとりメロディラインに減り張りを付け一気に起伏のあるアドリブに持っていく。派手さもなければ飾りもないが、実に味がある。人は肩の力を抜いたときに自然体の本領が発揮できるもので、そこにあるのは経験に裏付けされた人生観と音楽観の反映なのかもしれない。
セプテンバー・ソングは人の一生を一年の12箇月に喩えた歌で、9月という月の持つ季節の移ろいを残りの人生に重ねる意味合いもある。当時はリクエスト・アルバムの企画に否定的だった小生も、あれから15年も経つと人生の季節は秋を過ぎたであろう。リストアップされた曲はエンジェル・アイズ、アイ・リメンバー・ユー、テンダリー等、哀愁を帯びたメロディが並ぶ。さて、人生の秋に何をリクエストしようか。