デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

メグ・マイルスのささやきにグッときた

2014-10-26 09:22:08 | Weblog
 1929年に発表されたミュージカル「Great Day」の挿入歌に「More Than You Know」がある。作詞したエドワード・エリスクのインタヴューが村尾陸男著「ジャズ詩大全」(中央アート出版社刊)に紹介されていて興味深い。ブロードウェイにもっていく前のトライアウトで、マリオン・ハリスという歌手がこの曲を歌ったとき、終わりに安っぽいゆらめくようなクライマックスをつけようとした。でも実際彼女がそう歌うと思いのほか効果的だった・・・

 まったく人の影響を受けない作曲者のヴィンセント・ユーマンスが、一度だけ許したのはこの曲だけだったと語っている。作曲家は作詞家とコンビを組むことが多いので、ユーマンスも他の意見を取り入れながら曲を完成させたと思っていたが、これは意外だった。ということは、誰もが知っているスタンダードの名品「Tea For Two」も「I Want To Be Happy」も「Sometimes I'm Happy」も独断で創り上げたことになる。余程の自信があったのだろう。確かにどの曲も一度聴いたら二度目にはその美しいメロディを口ずさんでいるし、三度目はイントロだけで曲名を当てれるほどインパクトが強い。

 そして「More Than You Know」も少しばかりの変更があったとはいえ、美しいことに変わりない。特にヴァースの素晴らしさは群を抜いている。それだけで独立した曲ができるほどで、いうなれば一粒で二度美味しいグリコのキャラメルだ。そんな甘いキャラメルに似て囁くように歌うのはセクシー女優のメグ・マイルスで、歌は上手いとはいえないものの、妙に惹かれるものがある。あなたが想っている以上に深く愛している、というラヴソングはビリー・ホリデイが歌うと女の哀しさが聴こえて少しばかり寂しくなるが、メグが歌うと「Just Meg and Me」のアルバムタイトル通り、自分だけの為に歌っていると勘違いをして嬉しくなる。

 ユーマンスを納得させたマリオン・ハリスは、1918年に「After You've Gone」を初めて歌ったシンガーとして知られているが、ODJB(オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンド)が史上初のジャズ録音をする前の1916年に「I Ain't Got Nobody」を録音しているので、最初のジャズシンガーといえる。安っぽいゆらめくようなクライマックスとエリスクに言われたが、このフレージングこそがジャズ歌唱の礎を築いたと言っていいだろう。
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Opus de Funk の再演を聴く

2014-10-19 09:37:49 | Weblog
 マル・ウォルドロンの「Left Alone」、デューク・ジョーダンの「No Problem」、レイ・ブライアントの「Golden Earrings」、ドン・フリードマンの「Circle Waltz」、ヘレン・メリルの「You'd Be So Nice To Come Home To」・・・この決定的名演に共通するのは何か?来日した折に再録音されたものを並べてみた。初演、それも決定的といわれる名演を超えるわけがないと思いつつ、興味本位から聴かずにいられないのがこの再演だ。

 「Opus de Funk」もそのひとつで、名義はジュニア・マンスだが、あのミルト・ジャクソンの名盤「Opus de Jazz」で、ヴァイヴと見事なユニゾンを決めたフルートのフランク・ウエスが参加している。「Opus de Jazz」ではミルトとハンク・ジョーンズ、ウエスと共にベイシー楽団を支えたベーシストのエディ・ジョーンズ、そしてケニー・クラークという編成だったが、ここではマーティン・リヴェラとアルヴィン・クイーンのマンス・トリオをバックにしている。ヴァイヴが抜けているので物足りなさはあるものの、ウエスの透き通るようなフルートは健在だ。1955年の名盤から36年の歳月が流れた1991年に六本木グッドデイ・クラブで開かれたライブを収録している。

 「Opus de Funk」は、作者のホレス・シルバーが1953年にトリオでブルーノートに吹き込んだものが初演だが、この曲を有名にしたのは「Opus de Jazz」で、ヴァイブとフルートという趣向の異なる楽器の組み合わせながら最高のグルーヴ感を生み出した。モダンジャズの世界でフルートが積極的に使われるようになったのはこの名演があったからである。ウィントン・ケリーの「ケリー・ブルー」もフルートのボビー・ジャスパーの参加があってこその名盤であるし、エリック・ドルフィーがフルートを吹かなければ、1960年のブッカー・リトルとの邂逅を記録した「ファー・クライ」も名作として語られることがなかったろう。

 往年のミュージシャンに全盛期の名演を再び演奏してもらう、という企画には反対論もあるが、歓迎する声も大きい。先に挙げたプレイヤーのなかでドン・フリードマン以外は生で聴いているが、若いころの輝きはないものの、いぶし銀に光るコンサートばかりだった。どのライブでも一番拍手が多いのはお馴染みの曲であり、これを聴かなければコンサートに行ったことさえ忘れるかもしれない。
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ルビー・ブラフ微笑めば

2014-10-12 09:04:46 | Weblog
 クリフォード・ブラウン、ルビー・ブラフ、サド・ジョーンズ、ドナルド・バード、アート・ファーマー、リー・モーガン、ナット・アダレイ・・・錚々たる名前が並んだが、これは1954年のブラウンから順にダウンビート誌国際批評家投票で、「期待される新人」部門のトップに選ばれたトランぺッターだ。モダンジャズ一色だった1950年代を象徴するようなハードバッパーのなかに一人だけ意外な名前がある。

 ルビー・ブラフだ。中間派を代表するトランペッターとされているが、溌溂とした音色と明瞭なフレージングはスウィング・スタイルに近い。スウィング・ジャズ全盛時代からのトランぺッターならまだしも、1950年代半ばにデビューするのにこのスタイルとは驚きだが、比較的保守的なジャズが盛んだったボストン出身だったことによる。ボストン時代に、ピー・ウィ・ラッセルやバド・フリーマン、エドモンド・ホールといったスウィング・スタイルの奏者と共演しているので、その影響だろう。ブラフも当時主流のモダン・スタイルを知らなかったわけではないが、自分に合ったスタイルがそれだと逸早く気付いたに違いない。

 「Holiday In Braff」は、ベツレヘム・レーベルの3枚目のアルバムで、そのタイトルと白いくちなしの花からもわかるようにブラフが敬愛するビリー・ホリデイに捧げたものだ。10人編成の小オーケストラという編成で、トップは1938年にビリーがテディ・ウィルソンのバンドで吹き込んだ「When You're Smiling」を選曲している。ビリーがメロディを大胆にフェイクしたあと、レスター・ヤングが歴史に残るソロを吹いたブランズウィック・セッションだ。そのレスターのソロを何とサックス・アンサンブルで再現している。ブラフはビリーの歌と、レスターのフレーズが重なっててこその名唱と捉えていたのだろう。

 因みに1961年からの新人部門はフレディ・ハバード、カーメル・ジョーンズ、ジョニー・コールズ、テッド・カーソン、ジミー・オーエンス、チャールス・トリバー、ランディ・ブレッカーと続くが、全員期待通りの活躍をしている。この一覧からはハードバップから徐々に新主流派に移行するジャズシーンが見えてくるが、シーンの大きな流れからみるとルビー・ブラフのデビューは自然なことだったのかもしれない。
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ゲッツとエヴァンスの静寂にエルヴィンは耐えられるか

2014-10-05 09:09:56 | Weblog
 1970年前後だったろうか、ジャズ喫茶の片隅で、スタン・ゲッツとビル・エヴァンスの共演盤があるらしい、という噂が立った。出所は、1968年に発売されたイエプセンのディスコグラフィーにその記録が収載されたことによる。そんな話も忘れかけた1974年に発売されたのがこのレコードである。「Previously Unreleased Recordings」のクレジットがなければカップリング盤と間違えるような味気無いジャケットだ。

 録音されたのは1964年だから丁度10年後のリリースになる。所謂、お蔵入りの音源なので期待しないものの、やはり大物の共演は聴いておかなければ耳は養えない。驚くべきは日替わりでベースにロン・カーターとリチャード・デイヴィス、そして何とドラムはエルヴィン・ジョーンズだ。ヴァーヴお得意の横綱とホームラン王とボクシングのチャンピオンを同じステージに並べたセッションとはいえ意表をつくメンバー構成だ。主役の二人は叙情的、且つ耽美的な「静」を纏っているのに対し、ベースとドラムは激情的、且つ攻撃的な「動」を被っている。言うなれば水と油のように異質でとけ合わない組み合わせにみえる。このミスマッチがもとでお蔵入りになったのだろうか・・・

 意外にもそれぞれが自分のペースを守っていてまとまりのある演奏だ。コルトレーン・バンドと同じようにプッシュする遠慮のないエルヴィンにペースを合わせるのはゲッツで、その波に同調しながらも自分を失わなエヴァンス、という印象だ。「Night And Day」、「But Beautiful」のスタンダードに続き、エヴァンス作の「Funkallero」、そして「Green Dolphin Street」でも取り上げていた「My Heart Stood Still」と、エヴァンス寄りの選曲が面白い。この曲の後半はなかなかスリリングで、ああ吹けばこう弾く、そうくるなら、これでどうだ、と言わんばかりの熱いフレーズがお互い飛び出す。異質のものをも溶かすのがジャズの力かもしれない。

 1枚のアルバムとして完成されながらもお蔵入りになった理由は?ゲッツもエヴァンスも、そしてプロデューサーのクリード・テイラーも満足する出来ではなかったということだ。もっとキレのあるフレーズを刻む自信があるプレイヤーと、更に完成度の高い作品を世に出したいという敏腕プロデューサーの意識の高さが未発表という決断を下したのだろう。1964年というとゲッツはボサノヴァでヒットを飛ばし、エヴァンスはラファロ亡きあと新しいトリオを模索し、テイラーはノーマン・グランツから引き継いだ路線を伸ばそうとしていた時代だ。
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