デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

チェックメイト!ローズマリー・クルーニー

2008-03-30 08:54:18 | Weblog
 今年初めに亡くなった天才チェス棋士、ボビー・フィッシャー氏は、国際政治に翻弄された人である。04年に出国しようとしたところを成田空港で身柄を拘束されたのは記憶に新しい。表面的には入国管理法違反の疑いだが、事実上、アメリカへの反逆罪のようだ。チェスは将棋と違い、取った相手の駒を使わないため、双方とも駒がなくなり引き分けが多いゲームといわれる。反逆精神を持つフィッシャー氏は攻撃的な戦法でファンを魅了した。

 「Rosie Solves the Swingin' Riddle!」は、チェスボードのクイーン、ロージーことローズマリー・クルーニーと、キング、ネルソン・リドルが共演したアルバムだ。リドルはシナトラやナット・コールのアレンジを数多く手がけた音の魔術師で、シナトラの「スイング・イージー」は伴奏指揮の手本ともいえる素晴らしいものであった。ここでもそのジャズ・センス溢れる手腕を遺憾なく発揮しており、1曲毎に丁寧に施された編曲は碁盤の目を慎重に移動する駒のように考え抜かれている。女性歌手が引き立つ巧みなアレンジに応えるロージーもまた見事なもので、チェスの完璧で理想的なチェックメイトの形を見るようだ。

 ロージーは、江利チエミがカバーした「カモナ・マイ・ハウス」をオリジナル・ヒットさせたこと一世を風靡したポピューラー歌手なのだが、センスが良くジャズを歌っても際立つスイング感を持っている。そのジャズ・ヴォーカリストとしての実力はエリントンと共演した「ブルー・ローズ」で聴けるが、伸びる声と堂々とした歌いっぷりは、少しばかり名が売れた歌手がちょいとお遊びでジャズを歌う、といった安易な企画とは一線を画したものだ。ビング・クロスビーと共演した映画「ホワイト・クリスマス」では、女優としても立派な演技力をみせていたが、その血は甥のジョージ・クルーニーに受け継がれている。歌でも映画でも次の作品が待ち遠しいのが一流というものである。

 フィッシャー氏は、米国政府の棄権勧告を無視して、国連の制裁下にあったユーゴスラビアで対局に臨み、対戦する相手がたとえ国であっても物怖じすることはなかった。ロージーもまた、リドルをはじめエリントン、ペレス・プラードという下手な歌手なら押し潰されそうになるビッグネームをバックにしても引けを取らない。威風堂々たるキングとクイーンをみるようだ。
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トランペットの詩人ケニー・ドーハム 

2008-03-23 07:49:37 | Weblog
 文藝春秋読者賞を受賞したピアニスト中村紘子さんの著書「ピアニストという蛮族がいる」に、実物大のショパンの手が載っている。女性の手かと見粉うほど小さく細く華奢なのには驚いた。中村さんによると、歴史上に名をとどめるピアニストのなかで、恐らくショパンの手が最も小さな手を持つピアニストという。ショパンの手を見たとき、そっくりな手のジャケットを思い出した。

 ケニー・ドーハムの「ジャズ・コンテンポラリー」に描かれている手はショパンのそれに近く、デザインした Murray Stein は、ブッカー・リトルのバルブの部分を描いたタイム盤も手がけている。秀逸なジャケットは数あれど、これほどレコードから聴こえてくるであろう音を描いたものは見たことがない。きめが細かく、兎もすると一瞬にして崩れ落ちそうな危うさを持ったドーハムの音は悲しいくらい美しい。その線の細さゆえ、マイルスや、モーガン、ハバードのように時代の先端に立つことはなかったが、甘美で愁いに満ちたフレーズに強く惹かれるのは、誰もが持つ心の危うさや儚さに入り込むせいかもしれない。

 モダン・ジャズの名盤であり、ドーハムの代表作でもある「静かなるケニー」が作られた翌年、60年のこのアルバムもドーハムが音楽的に充実していたころである。Jaro 盤「The Arrival」でも共演したバリトンのチャールズ・デイヴィスの参加により一歩前に出た作品だ。デイヴィスは後にJCOAに所属したほどの革新性を持つ人である。そしてピアノは、エヴァンスを凌ぐかのような耽美的なスティ-ブ・キューンとくる。異色のメンバーに囲まれたドーハムは、より新しいものを模索しつつも、デリケートな感情の起伏を抑えるような中音域の艶のある音は、変らぬ叙情を保っている。

 ピアノの詩人とも呼ばれたショパンの「子犬のワルツ」は、最も演奏される機会が多い曲の一つだという。多くのジャズメンが幾多の曲を書いているが、ドーハムが作った「ブルー・ボッサ」は、プロ、アマ問わずレパートリーにしている人は多く、「ロータス・ブロッサム」はトランペット奏者にとって特別の曲でもある。叙情感溢れるメロディを静かに歌い上げ、後世に残る曲を書いたドーハムはトランペットの詩人と呼ぶに相応しい。
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サド・メルとデ・シーカとひまわり

2008-03-16 07:27:20 | Weblog
 中国に有名絵画を複製し販売している村がある、という話題がテレビ番組で紹介されていた。ゴッホの「ひまわり」を僅か30分足らずで描きあげる様はおおよそ芸術とは程遠いが、何十枚ものひまわりが並ぶ光景は壮観で、映画のワンシーンを思い起こさせる。それはソフィア・ローレンが主演した反戦映画の傑作「ひまわり」で、地平線にまで及ぶ向日葵畑が画面いっぱいに広がるあのシーンに涙した人は多い。イタリアの監督ヴィットリオ・デ・シーカが、10年の歳月をかけた不屈の名作で、名作を生むには時間が必要である。

 そのデ・シーカ監督の息子、マニュエル・デ・シーカは数々の映画音楽を手がけた作編曲家で、サド・ジョーンズ&メル・ルイス・オーケストラにスコアを提供したのが写真のアルバムだ。B面に及ぶ5曲構成の「First Jazz Suite」は、ルイスのドラムソロから始まり、ブラス陣が一体になったアンサンブルが重なり、管のソロに続く。ビッグバンドの典型的手法なのだが、一味違うのは、ローランド・ハナのピアノ、ジョージ・ムラーツのベースとルイスのドラムを前面に押し出すアレンジなのだ。従来の管重視を覆しリズムを強調したスタイルは、組曲のタイトル通り、ジャズの始まりはそのリズムにあることを暗示しているのだろう。

 ヴィレッジ・ヴァンガードがオフの毎週月曜日にスタジオミュージシャンが集まり、リハーサルバンドとして出発したサド・メル・バンドは、数年の間に音楽的に充実したレギュラーオーケストラに成長した。ビッグバンド成功の秘訣は、一流のプレイヤーを揃えることよりも、優れたアレンジャーに恵まれることだという。エリントンやベイシー、バディ・リッチのバンドのようにメンバーが移動しても長期間活躍するバンドの例を見ると明らかである。サド・メルが、サド・ジョーンズの編曲中心でややマンネリ化した時期にマニュエルに編曲を委ね、バンドに新風を吹き込んだアイデアには、ジャケットのように大きな拍手をおくりたい。

 複製には著作権があり、作者が没後50年経たないとコピーできないという世界ルールがあるが、件の村では没後34年のピカソも売られている。コピーする事に、罪悪感がないと言われているお国柄らしい。黄色い絨毯を敷き詰めたような複製には笑っていられるが、同じ黄色でも中国から飛んでくる黄砂には困りものだ。
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バーバラ・キャロルのグッド・ベイト

2008-03-09 08:31:12 | Weblog
 一音でマイルスと分かる音がテレビから流れる。デアゴスティーニが発行した「隔週刊クール・ジャズ・コレクション」のCMで、新聞にも全面広告を打つ力の入れようだ。マイルスを筆頭に、エヴァンス、コルトレーン、ピーターソン、ロリンズというラインアップからはクールという呼び名は、おやっと思うが、ジャズ史上ひとつの転換期をもたらした49年の「Birth Of The Cool」以降として捉えるなら強ち間違いではないだろう。

 編曲を重視したマイルスが、ギル・エヴァンスやジェリー・マリガンという時代の先を行くアレンジャーと構想を練り上げ、生まれたのが「クールの誕生」である。J.J.ジョンソン、リー・コニッツ、ジョン・ルイス、マックス・ローチ等、錚々たる顔ぶれが並んだセッションに参加したベーシストを覚えているだろうか。3セッション中、最初の録音に参加したのはジョー・シュルマンで、ジャンゴ・ラインハルトとも録音を残した人である。目だったソロ活動はないものの、バディ・リッチやクロード・ソーンヒルのビッグバンドで鳴らした指は、エリントンが賞賛したほど正確なリズムを弾き出す。

 そのシュルマンは忘れていても奥様、バーバラ・キャロルをご存知の方は多い。女性らしい繊細なタッチは寛ぎのひと時にはもってこいのピアニストだが、バップの流れを汲むスタイルは時に女性とは思えぬ力強さがある。ヤシの木ならぬヤシの手をデフォルメしたジャケットは、バーバラのRCA第一作で、夫君のシュルマンも参加しているアルバムだ。「レッツ・フォール・イン・ラヴ」とバーバラがはにかみながら呼びかけると、待ってましたとばかり「Good Bait」とシュルマンが「甘い誘い」に乗る。このタッド・ダメロン作のバップ曲が白眉で、起伏のあるメロディに呼応するようにベースラインも膨らみ、息の合ったところをみせる。結婚する1年前の53年の作品だが、57年にシュルマンは亡くなり「グッドバイ」したのは残念なことだ。
 
 「隔週刊クール・ジャズ・コレクション」は6号以降もチック・コリア、パーカー、ゲッツ、モンクと続き70号まで発行される予定という。ジャズ・ジャイアンツとその名演はあらかた揃うことになるが、百科事典の項目にしかすぎない。分冊百科のパイオニアのデアゴスティーニは、元来は世界地図の普及を目的にした地図会社である。地図に記された町には踏み込んだ人にしか見えない景色が広がるように、ジャズもまた項目を捲ると未知な世界が待っている。このコレクションからひとりでも多くのジャズファンが増えること願ってやまない。
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ニカの夢をホレス・シルヴァーが音で描いた

2008-03-02 08:12:50 | Weblog
 テストだと言い、大学の受講生をグラウンドに集合させ、問題が書いていない白紙をバラまく。白紙の答案に批判や罵声を書いたものだけに単位を与えたのは、現東京経済大学教授の粉川哲夫さんだった。粉川さんが81年に書いた「ニューヨーク街路劇場」にパノニカ夫人が登場する。とはいっても彼女自身ではなく、パノニカ夫人似の女性が、ニューヨーク大学のゼミで足をテーブルのうえになげだす例を挙げ、当時日常的に使われ、大統領までもが会議中に使った「ファック」という言葉にも言及したアメリカの「時代の行儀」を読んだものだった。

 パノニカ夫人とはバップ時代にジャズミュージシャンの後援者であったニカ男爵夫人である。パーカーとモンクの最期を看取った人であり、その尽力がなければ世に出るとことがなかったプレイヤーもいたであろう。多くのジャズメンに慕われていた彼女だけあって、モンクの「パノニカ」、ジジ・クライスの「ニカズ・テンポ」、ソニー・クラークの「ニカ」等、捧げられた曲も多い。その中にホレス・シルヴァーの「ニカズ・ドリーム」がある。ニカのジャズへの愛情を理解していたシルヴァーは、じっくり曲を練ったのだろう。太く優しいメロディラインはニカの大きさを感じさせ、ジャズを愛する全ての人を包み込む名曲が出来上がった。

 この曲の初演は56年のジャズメッセンジャーズ名義のアルバムに収められており、60年の「Horace-Scope」は再演になるが、フロントにブルー・ミッチェルとジュニア・クックを配したシルヴァー・バンドの黄金期だけあって初演を上回った内容だ。ファンキー名盤として名高い「Blowin'The Blues Away」や、ライブはこうあるべきの手本ともいえるヴィレッジゲートの「Doin'The Thing」を生み出したメンバーだけのことはある。ミッチェルは線が細いながらもブラウン直系でよく歌う。クックは生で聴いたことがあるが、息継ぎもせず延々と吹く長いフレーズは、レコードでは聴きことができない迫力があった。派手さはないが確かな実力を持ったメンバーは、シルヴァーの「時代のファンキー」を如実に音で描いている。

 ビ・バップ男爵夫人とも呼ばれたニカの夢は、人種的な差別がなくなりジャズが「時代の音楽」になることだった。ビ・バップがジャズの一時代を築き、広く認められたことで夢の一つは叶ったのだろうが、黒人が大統領に就任した場合、暗殺の懸念があるという今のアメリカを見る限り、ニカの夢が実現されるのはまだ先のような気がしてならない。
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