デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

6月はジューン・クリスティ

2007-06-24 07:14:47 | Weblog
 先週、気象庁より東北で梅雨入りが発表され、一方沖縄の梅雨明けも伝えられた。北海道は梅雨がなく爽やかな風が吹き好天に恵まれ、梅雨期の地方の方には申し訳ないが6月は一年中で最も過ごしやすい時期である。では、梅雨のじめじめとした湿気を吹き飛ばす6月の定番といえば・・・

 「JUNE」の大きな字は6月のカレンダーかと思わせるその名もジューン・クリスティである。スタン・ケントン楽団出身のケントン・ガールズと呼ばれるひとりで、アニタ・オデイの後任歌手にあたる。51年にケントン楽団を退団して本格的なソロ活動に入りポップ路線を採ったようだが失敗に終わっている。童顔で清楚な容姿なのでアイドルでも目指したのだろうか。25年生まれだから退団時で26歳、この歳でアイドルは無理な話である。(失礼)本々ジャズセンス溢れる歌手はジャズの場でこそ映えるようにできているのだ。

 にっこり笑っていらっしゃいと歓迎してくれる「fair and warmer!」は57年の録音で、当初のクールさはなくタイトルのように暖かいジューンを聴けるアルバムだ。ピート・ルゴロのアレンジが冴えるオープニングの「I Want To Be Happy」は、急速調の展開でビッグバンドで鍛えられた歯切れのよいリズム感に圧倒される。バド・パウエルの目にも鮮やかな演奏で知られるこの曲はスピードが命であり、ヴォーカルでもそれは要求される。実力の伴わない容姿が売り物のアイドル歌手は舌を噛むだろうが、ジューンは舌を巻く上手さだ。

 ジューンという名から6月生まれかと思っていたら、「June Christy」はケントンが付けた芸名であった。清楚なイメージからは想像もできないが、ジューンは酒豪でケントン楽団時代に呑み比べをして潰れなかったのはアート・ペッパーだけだったという逸話が残っている。飲酒に因る腎臓病で90年に亡くなっているが、それは奇しくも6月であった。
コメント (21)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ビリー・ハーパーのソーラン節

2007-06-17 07:32:39 | Weblog
 10日まで札幌市で開かれたYOSAKOIソーラン祭りは今年で16回を数える。北海道大学の学生が高知のよさこい祭に着想したイベントで、今ではさっぽろ雪祭りと並び知名度も参加者も全国区だ。赤、緑、青の原色を配した艶やかな衣装でチーム一丸となって踊る姿は美しい。会場周辺の企業活動に支障を来しているとか、地下鉄車内ではマナーを守らない踊り子が目立つといった批判があるものの、その経済効果は大きなものだろう。

 72年によさこいのように派手な衣装で日本のステージに立ったのは、菊地雅章と共演のため来日したギル・エヴァンスに同行したビリー・ハーパーである。68年にはジャズ・メッセンジャーズの一員として来日しているのがだ、聴くのは初めてのことだ。そのテナーはマイクが飛ぶような大きな音で、コルトレーンの流れを汲むスタイルながら感覚は新しい。当時無名のトランペッター、マーヴィン・ピーターソンも一緒で、ビリーと同じような衣装で並ぶ二人の煌びやかな音は70年代を牽引するエネルギーがあった。

 ビリー・ハーパーは77年に「ソーラン・ブシ」と題してソーラン祭りでお馴染みの曲を録音している。北海道のニシン漁の歌で、明治の頃から歌われているワークソングのひとつだ。ハーパー自身、この歌は特別な意味を持ち神聖である曲と語っていたが、ゴスペルに似たソウルフルな美しさがあるからだろう。威勢のいいメロディからのアドリブ展開も自然で、原曲が日本の歌とは思えない広がりをみせる。ハーパーの渋いノドで「ヤサエエンヤンサノドッコイショ」の合いの手が入るが、これはソーラン節の厳かな伝統に則ったものだろう。ポスト・コルトレーンと言われながらも評価の低いハーパーの真骨頂が聴ける作品である。

 ソーラン祭りのルールはダンスミュージックにソーラン節のメロディを一小節含めて、鳴子を持って踊れば基本スタイルとなる。来年あたりビリー・ハーパーをバックに踊るチームが現れないものだろうか。一般からの携帯電話投票数も審査の参考になるというからそのチームに投票したいものだ。
コメント (20)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

標識をミルト

2007-06-10 07:34:23 | Weblog
 先日、5年振りに運転免許証の更新をしてきた。道路交通法も一部改正されており講習で学ぶところが多く、手渡された教則本を捲ってみると免許取得時には覚えていたであろう法規や標識も随分忘れていることに気づく。車は急に止まれないことは分かっていても時速60キロで急制動した場合、停止距離は何メートルかと質問されても咄嗟に答えが出ない。慣れによる緩慢な運転が事故に繋がるケースもあり胆に銘じるところである。

 いつもながらの直截簡明な発想なのだが、標識といえばこのミルト・ジャクソンの「Googbye」だ。レーベルは CTI (Creed Taylor Inc)で、ヴァイブにヒューバート・ロウズのフルート、ハービー・ハンコックのエレクトリック・ピアノとなるとフュージョンと思いがちだが、これがストレートアヘッドな仕上がりで見逃せない。勿論レーベルカラーである柔らかい耳障りの良さはあるもののホレス・シルヴァーの名曲「オパス・デ・ファンク」の再演は見事な出来だ。ファンキー感充溢しており、かつてのジャクソンとフランク・ウェスを彷彿させる演奏は、ヴァイブとフルートの音色の相性が殊更に際立ってくる。

 ベツレヘム、インパルス等で敏腕プロデューサーとして活躍したクリード・テイラーが、新興レーベル A&M に移籍し立ち上げたのが CTI (Creed Taylor Issue)シリーズであった。その第一弾はウェス・モンゴメリーの「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」で、イージー・リスニング・ジャズなる新造語が使われるようになるきっかけである。ジャズの芸術性よりコマーシャルな感覚で売れるアルバム作りを優先したテイラーは時に批判の的であった。その路線は標識のように主流から外れるものであったが、多くのポップス・ファンがジャズに注目した成果は大きいだろう。

 今、札幌でよさこいソーラン祭りが開催されていて、このイベントを皮切りに北海道観光に訪れる方も多くなる。直線が続く広い道路はついスピードを出しがちだが、こちらには鹿飛び出し注意を促す鹿の絵が描かれている標識がある。この標識は鹿にはシカトされるのでくれぐれもご用心願いたい。
コメント (28)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ポール・ブレイを巡る女性

2007-06-03 07:35:27 | Weblog
 ブリジット・バルドー、カトリーヌ・ドヌーブ、ジェーン・フォンダ、ずらりと並んだ美女を毒牙(笑)にかけたのはフランスの映画監督ロジェ・バディムである。デューク・ジョーダンの主題曲でジャズファンには馴染み深い「危険な関係」や、無重力ストリップが話題になった「バーバレラ」等、耽美的な作品は日本の映画に与えた影響も大きい。いつも若い美女と暮らすバディムは男として羨ましい限りだ。

 ジャズ界のロジェ・バディムといえばポール・ブレイであろうか。最初に結婚したのはバップ以後のコンポーザーの中では際立った才能をみせるカーラ・ブレイ、次に商業主義からのミュージシャンの保護に貢献したアーネット・ピーコック、共に美女というより才女である。アーネットはポールのよき共演者ベーシストのゲイリー・ピーコック夫人であり、驚くことにカーラはポールと分かれた後、なんとゲイリーと結婚している。スワッピングの妙な関係だが、この愛情劇のあともポールとゲイリーは共演しているのだ。色恋沙汰と仕事は別ということだろうか。

 写真はポール・ブレイのデビュー盤で、チャールス・ミンガスとアート・ブレイキーがサポートするという弱冠21歳の新人にしては異例のセッションだ。後に耽美派と言われキース・ジャレットにも影響を与え、更にシンセサイザーを用いた前衛的な作品を作った同じポールとは思えない面白さがある。バド・パウエルさえも思わせる正統派スタイルで、ベテラン二人を前にしても萎縮したところもなく伸び伸びしたプレイをみせ、御大二人もまるでスタジオミュージシャンのように大人しい。将来のジャズ界の一翼を担う新人を見守る優しい音が聴ける貴重な記録でもある。

 バディムは結婚した女性を映画に出演させ大物女優に育て上げ、体験して具現するという方法論で女性美を追求した。ポールは結婚した女性により音楽観を変えていった。「女は素晴らしい楽器である。恋がその弓で、男がその演奏者である。」 スタンダールの名言である。
コメント (30)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする