「ロング・アイランドのファーミングデイルにあるパイン・ローン霊園に、遺骨を埋葬すること」。カウント・ベイシーの遺言書の第一条である。法律家ハーバート・E・ナスの著書「遺言 Wills of the Rich and Famous」(青山出版社)から引いた。原題の通りケネディをはじめマリリン・モンロー、ジョン・レノン、ハンフリー・ボガート、フレッド・アステア、ウォルト・ディズニー、アルフレッド・ヒッチコック等、著名人の遺言を集めたものだ。
各人の項にそれぞれ捻りのあるタイトルが付いている。ロック・ハドソンは「キャッスル・ロック最悪の日」、コール・ポーターは「すべてが可能 Anything Goes」、F・スコット・フィッツジェラルドは「楽園のむこう側」、そしてベイシーは「10カウント後も立ち上がることなく」とある。ベイシーが1984年に79歳で亡くなった時、暮らしていたのはグランド・バハマ島フリーポートだった。この書でも触れられているが、熱帯の楽園よりも北部の土のなかのほうが安らかに眠れると思ったようだ。
生前暖かい土地を好んだベイシーなので数あるアルバムから1959年の「Breakfast Dance And Barbecue」を取り出した。マイアミのホテルのライブだ。ライナーによるとNYのバードランドのステージを終えたあと、マイアミに移動して深夜に演奏したそうだ。しかも、朝方とんぼ返りして再びバードランドに上がったという。「In A Mellow Tone」に始まり、「Counter Block」や「Moten Swing」をはさみ、エンディングは「One O'clock Jump」という何度も演奏した曲ばかりだが、各人のソロも溌溂としているしバンド全体のスウィング力は強烈だ。一流のバンドはタフであることも不可欠なのだろう。
資産家の遺書を読むと、その配分に相当神経を使っているのがわかる。天国から身内の争いを見たくないのだろう。あればあるほど、相続人が多いほど面倒で、死後も継続的に入る印税があったり、愛人や隠し子がいると更に複雑だ。同書に遺言書のかき方が載っていた。争いの種になるような財産はないので必要はないが、もし書くなら第一条は決まっている。「レコードは・・・」。
各人の項にそれぞれ捻りのあるタイトルが付いている。ロック・ハドソンは「キャッスル・ロック最悪の日」、コール・ポーターは「すべてが可能 Anything Goes」、F・スコット・フィッツジェラルドは「楽園のむこう側」、そしてベイシーは「10カウント後も立ち上がることなく」とある。ベイシーが1984年に79歳で亡くなった時、暮らしていたのはグランド・バハマ島フリーポートだった。この書でも触れられているが、熱帯の楽園よりも北部の土のなかのほうが安らかに眠れると思ったようだ。
生前暖かい土地を好んだベイシーなので数あるアルバムから1959年の「Breakfast Dance And Barbecue」を取り出した。マイアミのホテルのライブだ。ライナーによるとNYのバードランドのステージを終えたあと、マイアミに移動して深夜に演奏したそうだ。しかも、朝方とんぼ返りして再びバードランドに上がったという。「In A Mellow Tone」に始まり、「Counter Block」や「Moten Swing」をはさみ、エンディングは「One O'clock Jump」という何度も演奏した曲ばかりだが、各人のソロも溌溂としているしバンド全体のスウィング力は強烈だ。一流のバンドはタフであることも不可欠なのだろう。
資産家の遺書を読むと、その配分に相当神経を使っているのがわかる。天国から身内の争いを見たくないのだろう。あればあるほど、相続人が多いほど面倒で、死後も継続的に入る印税があったり、愛人や隠し子がいると更に複雑だ。同書に遺言書のかき方が載っていた。争いの種になるような財産はないので必要はないが、もし書くなら第一条は決まっている。「レコードは・・・」。