デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

ナツ子が好きな「柳よ泣いておくれ」

2008-08-31 07:43:07 | Weblog
 ♪一丁目の柳がため息ついて二丁目の柳がささやいた・・・昭和43年にヒットしたロスプリモスの「たそがれの銀座」の一節である。細くけむるように垂れさがっている柳は、その美しさから詩歌や俳句でもしばしば詠まれ、嬌柳とも言うようにその風情は女性を思わせるが、この歌詞も柳を女性に見立てのだろう。ときにその姿から日本では幽霊にも譬えられるが、西欧では失恋や愛すると人との別れの象徴とされているようだ。

 「柳よ泣いておくれ Willow Weep For Me」も失恋の歌で、女性としては初めて映画のサウンドトラックを指揮したアン・ロネルがジョージ・ガーシュインに捧げた曲である。失恋の歌らしく陰鬱な曲だが、メロディーは悲しみを包み込む優しさがあり、「柳よ、私のために泣いておくれ」というフレーズは胸を打つ。「ラッシュ・ライフ」と並び難曲といわれ、女心の揺れる心情の表現力も問われることから女性ヴォーカリストが必ず取り上げる曲だ。あまりにも有名な寂寥感に満ちたビリー・ホリデイの歌は、ジャンヌ・モローが悪女を演じた映画「エヴァの匂い」で使われていた。エヴァとは、聖書で夫アダムを誘惑する人類最初の女の名前だが、男を破滅させる悪女故の深い悲しみの涙を表現しえるのもこの曲の奥深さである。

 伝説のクラブ・エンターテイナーといわれるフランセス・フェイも「You Gotta Go!Go!Go!」で歌っていた。R&B色が強い歌手でジャズファンには馴染みが薄いが、ショーティ・ロジャースのアレンジで「Just a Gigolo」「Comin' Home Baby」「Body And Soul」そして「Willow Weep For Me」となると食指が動く。ハスキーな太い声でシャウトする歌い方は力強く、アルバムタイトルの如し一時流行ったゴーゴー・ダンスのノリで楽しめるものだ。ビートルズ・ナンバーの「A Hard day's Night」も収められていることから60年代後期の作品と思われるが、ビートのきいたポップなアレンジの「柳よ泣いておくれ」は柳の季語で表現するなら遠柳、柳影、楊柳という枝の垂れない柳であろうか。

 今の銀座に昭和43年当時の柳の風情はないのだろうが、一丁目から八丁目まで町並みは変らない。♪六丁目のナツ子はジャズが好き・・・本名でも源氏名でも最近は聞かない名前だが、今でもナツ子という名前には強く惹かれる。
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レム・ウィンチェスターの引いた確立

2008-08-24 07:57:30 | Weblog
 ロバート・デ・ニーロ主演の映画「ディア・ハンター」で広く知られるようになったロシアンルーレットは、一発の弾丸をリボルバー式拳銃に装填し、弾倉を回転させてから自分の頭に向けて引き金を引くゲームだ。名前の通りロシアが発祥の地で、六分の一の確立で弾丸が発射されると間違いなく死が待っている。映画では捕虜に対する拷問目的だが、勇気を示したり、賭博に使われることもあるという。

 このロシアンルーレットで命を落としたヴァイブ奏者にレム・ウィンチェスターがいる。50年代のヴァイブ奏者は一様にミルト・ジャクソンの影響を受けているが、その殻を破る勢いで登場したのがウィンチェスターであった。警官と二足の草鞋を穿いていたこともありアルバム数は少ないが、よく歌いブルージーな音はジャクソンに十分に対抗できるものだ。ジャクソンのようにヴァイブレーションは使わず音は硬い印象を受けるものの、MJQとリーダー作のジャクソンに譬えるならその中間とでもいうのだろうか、クールな面はレッド・ノーボを思わせ、ホットなフレーズはライオネル・ハンプトンを彷彿させる素晴らしいヴァイブ奏者である。

 「ウィンチェスター・スペシャル」は、本格的なプロデビューをする前の警官が本業だった59年のレコーディングで、ベニー・ゴルソンがさりげなくウィンチェスターを引き立てるソロ回しが心憎い。トミー・フラナガンの好サポートもあり、アルバムタイトルの如くウィンチェスターの全ての音楽性を示したスペシャル・ヴァージョンである。アップテンポで展開するマット・デニスの名作「ウィル・ユー・スティル・ビー・マイン?」が圧巻で、そのテクニックよりも歌うヴァイブが聴きものだ。ジャケット写真の横顔でも眉間のしわがはっきり見えるが、叩いたマレットの音と次に叩く鍵盤の調和を神経質なくらいに選んでいるのだろう。アップテンポでたたみかけてくるソロは重量感に溢れ一音の無駄もない。

 ウィンチェスターがどのような目的でロシアンルーレットに興じたのか、そして何度目だったのか不明だが、銃の取り扱いに慣れた警官といえど確立は収束する。六分の一の確立を引いたその日は13日の金曜日であった。
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マイルスとアーマッド・ジャマルと上原ひろみ

2008-08-17 07:43:15 | Weblog
 チック・コリアとのピアノ・デュオで話題の上原ひろみが、ツアーでスイスのクラブに行ったとき、エレキ楽器に必要なアンプが用意されていなかったという。ジャズとはアコースティックで演奏する音楽と信じているオーナーに、iPod で自分の曲を聴かせたところ、「これはジャズではない」と。上原が「あなたが言うジャズとは何なの」と聞くと、有名ジャズ・ミュージシャンの名前をつらつらとあげる。その中に上原の恩師の名があったので電話で事情を説明し、折り返しオーナーに電話をしてもらいアンプを用意させたそうだ。

 その恩師とはアーマッド・ジャマルである。アーゴやカデットだけで20枚近いアルバムがあり、70年代以降の作品と合わせ50枚ほどのタイトルを数えるが、日本で再発されているのは数枚しかない。アメリカに比べ日本での人気や評価は著しく低いピアニストだ。カクテルピアノというレッテルを貼られたことにもよるが、知名度が低いのは何よりもビッグネイムとの共演がないことによる。かつてカクテルピアノと評されたレッド・ガーランドにしてもマイルスとの共演があったからこその人気であろう。知名度が上がったのは、皮肉にもジャマルがマイルスに自身のバンドに誘われたのを断ったことが伝えられてからである。

 インパルスの「Freeflight」は72年のモントルー・ライブ盤で、マッコイ・タイナーやハービー・ハンコックの曲と十八番の「ポインシアナ」をエレキピアノで「弾き」聴衆を沸かしている。70年代初頭というとエレキピアノが盛んに使われた時期で、多くのピアニストは多彩な音色が出る楽器の器楽性を追求した。楽器を究めることはプレイヤーにとっては不可欠であるが、多様な操作ができる機械性に依存すると「弾く」プレイヤーではなく、「操る」オペレーターになる。ジャマルが件のオーナーに上原をどのように紹介したのかは分からぬが、エレキでもジャズは演奏できるものだと証明したのがこのアルバムかもしれないし、マイルスが求めたのもこのエレキピアノを「弾く」ピアニストだったのだろう。

 飛んだり跳ねたりという躍動感のあるステージで沸かせる上原ひろみは人気のようだが、ピアノを「弾く」というジャズの基本姿勢も大事なことだ。マイルスは雑誌「the jazz review」でナット・ヘントフのインタビューに、「ジャマルみたいにピアノが弾ける息子がほしい」と答えたように、「ひろみみたいにピアノが弾ける娘がほしい」と言わせるピアニストに育ってほしい。
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サニー・サイドの条件反射

2008-08-10 07:04:45 | Weblog
 ♪Grab your coat and get your hat・・・足取りも軽くなる耳慣れた「サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート」がテレビから流れてくる。好きな曲となれば条件反射で画面に目が移り、♪To the sunny side of the street・・・と歌ってしまう。某ビールメーカーのCMで、普段愛飲の銘柄とは違うものの喉を鳴らして美味そうに飲む映像に釣られ、つい「もう1本」の声も出ようというものだ。テレビCMはトイレタイムとも呼ばれ、視聴率も落ちるといわれるが、この曲が好きな人には効果があるらしい。

 暗い世相ほど明るい歌が流行るといわれるが、この曲もアメリカが不景気のどん底にあった30年に作られた歌である。大恐慌に沈むアメリカ国民に勇気と希望を与えたといわれるニューディール政策をルーズベルトが制定したのは33年だった。これからは陽の当たる側を歩いて行こう、という歌詞が経済政策に影響を及ぼしたとは考えられないが、少なくともこの歌で、1セントも持っていなくても、気分はロックフェラーになった人もいるだろう。経済模索する30年代のアメリカにせよ、首を挿げ替えただけの新内閣の日本にせよ、景気回復や雇用確保の新政策より1曲の歌が大きな希望を与えることもある。

 ナンシー・ハーロウがこの曲を、「Wild Woman Don't Have The Blues」で歌っていた。社会問題を鋭く切り込んだミンガスやローチの作品で知られるキャンディド・レーベルの1枚で、ヴォーカル・アルバムは珍しい。レーベルを監修したナット・ヘントフの好みと思われるが、ハーロウはビリー・ホリデイを思わせる歌い方で白人系とは思えぬほどブルースがうまく、初リーダー作ながら堂々としたものだ。バック・クレイトン、バディ・テイト、ケニー・バレルとバック陣も豪華で、間奏ではたっぷりソロを取りハーロウの歌を盛り上げている。オープニングの「Take Me Back Baby」では、延々と各人の煌くソロが続きインスト・ナンバーかと思わせたところで、ハーロウが滑るように歌いだす。ヘントフの見事な仕掛けに騙されるのも悪くない。 

 ♪To the sunny と、知っている歌が聞こえてくると一緒に歌いたくなるのは条件反射によるものだが、最近はこの曲を聴くと条件反射でビールを飲みたくなる。暑い日が続くが、「サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート」は聴かないほうがいいようだ。特に昼間は・・・
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ジョニー・グリフィン、パリに死す

2008-08-03 08:12:15 | Weblog
 先日の新聞広告に村上春樹訳の「グレート・ギャツビー」が20万部突破とあった。ヘミングウェイ、フォークナーと並び20年代を代表する作家スコット・フィッツジェラルドの作品で、20世紀のアメリカ文学を代表する小説として知られている。80年前の作品とはいえ色褪せることもなく、夢の実現と崩壊を描いた小説は、いつの時代も共感を呼ぶのだろう。フィッツジェラルドは44年と短い人生ながら多くの優れた短編を残しており、そのひとつに映画化された「雨の朝パリに死す」がある。

 2008年7月25日のパリの朝に雨が降っていたのかは不明だが、ジョニー・グリフィンがパリの自宅で亡くなった。80歳という。ハード・バップという言葉に懐かしさを覚える世代にとって、やはりハード・バッパーの死は一抹の寂しさがある。全盛期である50年代はレコードでしか聴くことができないが、70年代、或いは今聴いてもその50年代の音は過去に刻まれたものではなく、リアルタイムの音と錯覚させるのがグリフィンだった。ジャズのスタイルが変ると多くのプレイヤーはその流れに乗り、時代毎のカラーを持つものだが、自分のスタイルを貫き通したグリフィンだからこそいつもリアルタイムなのである。

 どのアルバムも水準以上の安定した内容で甲乙付け難いが、「ザ・リトル・ジャイアント」を一番に挙げたい。身長は170センチと小柄にもかかわらず、大きな音でブロウすることから付いた愛称をそのままタイトルにしたリバーサイドの代表作である。ファンキーな曲作りに定評のあるノーマン・シモンズの曲を、テナーサックス最大の音で縦横無尽に吹き、ファンキー指数最高でブロウするグレート・グリフィンは、小さな巨人の名に相応しい。リバーサイドはもとより、ブルーノート、エディ・ロックジョウ・デイヴィスと活動を共にしたプレスティッジと、三大レーベルに吹き込んだのはグリフィンだけだろう。変幻自在にブロウし、繊細にバラードを奏で、パッセージを世界最速で吹く小さな巨人にレコード会社が白羽の矢を立てたのは当然のことといえる。

 1920年代という時代を「ジャズ・エイジ」と名付けたのはフィッツジェラルドだった。そのジャズ・エイジに生まれて、ライオネル・ハンプトン楽団を皮切りに、ジャズ・メッセンジャーズ、モンク・バンド、コルトレーンとの共演、そしてヨーロッパへ活動拠点を移しての数々のセッション、真っ直ぐにジャズの時代を生きた生粋のハード・バッパー、ジョニー・グリフィンは確かな手応えを感じて人生の幕を閉じたに違いない。
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