デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

カーメン・マクレエがホテルで弾き語る

2008-04-27 06:33:59 | Weblog
 ロッド・テイラーとカトリーヌ・スパークが主演した40年ほど前の映画「ホテル」は、古風な品格あふれるホテルを舞台にホテル王による買収劇を描いていた。アーサー・ヘイリーの原作で、巧みに伏線を張り巡らす展開は小説でも映画でも楽しめるものだ。この映画でカーメン・マクレエが弾き語りをしていて、よく言われる金属的な声と彼女自身が弾くピアノの音が、程よい大きさのホテルのラウンジに響くシーンは、舞台のホテルも映画も格があるものしている。

 唇のマクレエと呼ばれるベツレヘムの10吋盤はマクレエの初アルバムで、54年録音当時、32歳というから遅咲きのデビューだ。のちのデッカ時代に比べるとさらっとしているが、安定したリズム感と洗練されたフレージングで新人歌手として騒がれ、この年にはダウンビート誌の批評家投票で新人賞を受賞している。54年というと好ライバルである2つ年下のサラ・ヴォーンが、クリフォード・ブラウンとアルバムを吹き込んで勢いに乗っていた年である。デビューは遅れても十分に実力を付けたうえでのスタートなら、肩を並べるのに時間はかからない。

 「Easy ToLove」、「If I'm Lucky」のバラードと、「Old Devil Moon」、「Tip Toe Gently」のミディアムテンポを配した片面4曲は、ハービー・マンが加わったアコーディオン奏者マット・マシューズのカルテットがバックを努めている。それに夫君のケニー・クラークが参加しているのでリラックスしたのだろう、のびのびとした歌声からは余裕すら感じ取れるのだ。デビューアルバムの頭からバラードで勝負できるのは自信の表れでもある。マクレエは歌手デビュー前、ピアニストとしてベニー・カーターのバンドやバップのメッカであるミントン・ハウスで演奏した経験があり、それがモダンな感覚を生むのだろう。大成する歌手はデビューしたときから時代を先取りしているものだ。

 唇が並んだジャケットは、見ようによっては不気味でもあり、エロチックでもある。外国には唇マークが付いたホテルがあるという。格式あるホテルではマクレエの弾き語りを楽しめるが、唇マークのホテルは楽しむことが違うようだ。
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ドロシー・アシュビーはゴールデン・イヤリングが似合う

2008-04-20 09:02:36 | Weblog
 NHK交響楽団首席オーボエ奏者、茂木大輔さんの著書「オーケストラ楽器別人間学」は、どんな楽器がどんな性格を生むのかを分析している。ハープの項には、夢見がちな深窓の令嬢、と副題が付いていて、楽器が持つ既成の美音のため、奏者は既成の幸福をあらかじめ手にしたところから発想をスタートするという。空想を誘うその音色は、性格からも苦悩をとりのぞき、夢見るような性格になっていくそうだ。

 アドリブを命とするジャズには、機能的にハープは向かないようで、ジャズ・ハーピストは少ない。ドーハムとロリンズのセッションに参加したベティ・グラマンが有名だが、この楽器を極めた人にドロシー・アシュビーがいる。アシュビーが深窓の令嬢なのかは不明であるが、フランク・ウエスとのコラボレーションが見事な「In A Minor Groove」を初め数枚のリーダー・アルバムがあり、美しい音色を損なわずにハープで自由にインプロヴァイズしている。ジャズ向きではないハープを、高度なテクニックによりジャズの場で位置付けた功績は大きく、アシュビーのアドバイスにより、日本のジャズ・ハーピスト林忠男さんが誕生したのは、国境を越えて同じ音色に魅せられた二人の友情であった。

 Concierto de Aranjuez と題された作品は、タイトルのアランフェスをはじめ、ミスティ、ラウンド・ミッドナイトというお馴染みの曲を収録したハープ・ソロアルバムだ。児山紀芳氏プロデュースということもあり日本人好みの選曲であるが、ソロ演奏によりメロディの美しさを際立たせた好作品である。レイ・ブライアントの決定的名演で知られる「ゴールデン・イヤリング」がトップに収められていて、美しいことこの上ない。ロバート・マックスウエルが「ひき潮」でハープの究極の美ともいえる押しては引く小波を表現したように、アシュビーは金のイヤリングの目映いばかりの輝きをその47本の弦で紡いでいる。美しいメロディは美しく表現されることで、曲が持つ本来の美しさを醸し出すのだろう。

 茂木さんによるとハーピストは目に見える上半身の優雅な動作とは対照的に、スカートの下では両足で煩雑なペダル操作がおこなわれているそうだ。このペダル・コンビネーションがハープを演奏する際重要なポイントになる。夢見がちな令嬢のスカートの下は気になるが、見ないほうがいいものもあるようだ。
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リー・モーガン、もしくはある銃社会の記憶

2008-04-13 08:30:44 | Weblog
 映画「ベン・ハー」や「猿の惑星」の名演技が光る俳優であり、全米ライフル協会の会長も務めたことがあるチャールトン・ヘストン氏が、5日に亡くなった。銃社会のアメリカでは、この団体が合衆国憲法に定められた「武器を所持して携帯する権利」を根拠に、銃規制に反対している。他国のことはいえ、コロンバイン高校銃乱射事件のような惨劇は見たくないものだが、銃がある限り繰り返されるのだろう。

 そんな銃の犠牲になった一人にリー・モーガンがいる。別れ話の縺れから愛人ヘレンにピストルで撃たれ、死亡したというショッキングなニュースは、リアルタイムで知っただけに生々しかった。弾は心臓を貫通 して病院に運ばれるも即死だったというから、よほど拳銃の扱いに慣れていたのだろう。アメリカにはライフルの分解、組み立てを1分でこなす少女もいるくらいだから、子どもの頃から身近に銃があっても不思議ではない。僅か18歳でブルーノートにデビュー・アルバム「Indeed!」を吹き込み、驚くことに翌日にはサヴォイに「Introducing」を録音した恐るべき早熟児のあまりにも早い33歳の死であった。

 写真のアルバムは「Lee Morgan」というタイトルしかないが、はからずも最後の作品になりラスト・アルバムと呼ばれている。ビリー・ハーパーを初めハロルド・メイバーン、グレシャン・モンカー3世という新世代のミュージシャンを迎え、ファンキーの立役者が新たな道を模索した作品だ。2LPで片面を占める長尺の曲は、この時期のマイルスのアルバムを思わせるが、熱気にあふれる演奏からはマイルスとは違ったスタイルで70年代を牽引していく姿勢が見える。ジャケットのサインのように、その音は真っ直ぐに伸び、途切れのない文字は恰も80年代、90年代へと繋がる新しい方向を示唆しているようで、その早世は70年代という混沌としたジャズシーンの出口であるひとつを失ったのかもしれない。

 全米ライフル協会のスローガンは、「人を殺すのは人であって銃ではない」という。ヘレンが構えた32口径の拳銃も、モーガンが愛用したトランペットもそれ自体、魂は持っていないが、魂を吹き込むのは人であり、引き金を引くのも、ピストンも押すのも人である。
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コニッツとマーシュを笑い測定機にかけてみよう

2008-04-06 07:41:24 | Weblog
 先日の新聞に、健康に良いといわれる笑いを科学的に検証するのに役立てようと、「笑い測定機」を開発した話題があった。研究者の関西大学木村洋二教授の笑顔の写真も載っていたが、実験台にでもなったのだろうか、とても健康そうである。笑いのエネルギーは横隔膜に反映されるという学説に基づき開発されたもので、愛想笑いや作り笑いには反応せず、心の底からおかしい本物の笑いだけを感知するという優れものらしい。

 ジャケット写真撮影のための作り笑いとは思えないほど豪快に笑っているのは、リー・コニッツとウォーン・マーシュである。レニー・トリスターノ門下の二人はクール派として知られるが、このアルバムでは初期の空気さえ切ってしまう尖がった刃物のような音色ではなく、ウォーム・コニッツと評されるほど実に柔らかい。師匠トリスターノ抜きということもありリラックスした雰囲気も窺えるが、テンションは高く、5年前に共演した「サブコンシャス・リー」の兎もすると単調にさえ聴こえる長い水平飛行的なメロディー・ラインは健在だ。音楽理論を探求した師の教えを忠実に守りながら自己を発展させた優秀な門下生だろう。

 「Topsy」「There Will Never Be Another You」「I Can't Get Started」と馴染みのスタンダードに続き、パーカーのサボイ・セッションでの初演が有名な「ドナ・リー」が収録されている。バップの代表的なチューンは、既存のスタンダードナンバーのコード進行に基づいて書かれたものが多いが、「ドナ・リー」はデキシーの名曲「インディアナ」をベースにした曲だ。インプロビゼーションの対象として面白いようで、パーカーは何度も演奏していた。そのパーカーが確立したアドリブの技法を、理論的に解明しようとしたのがトリスターノ一派であった。それはバップの複雑なコードを単純化することで、難解なバップを解り易くする試みだったのだろう。結果的には先に述べたように水平で起伏のない平坦な印象は免れないが、バップ・イディオムの延長であることは、このホットな「ドナ・リー」で証明されたともいえる。

 写真を撮影したのは録音の後だと思われるが、お互いの持ち味を存分に発揮し、十分に納得できる仕上がりともなれば大笑いするほど楽しい。笑い測定機はアッハ(aH)という単位で数値化するようだが、コニッツとマーシュの笑いは完成したばかりの機械を壊すかもしれない。
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