デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

アメリカン・ハッスルで聴いた Jeep's Blues

2014-02-23 08:49:17 | Weblog
 「アメリカン・ハッスル」という映画を観た。「Hustle」は日本では本来の意味から大きく外れ、「張り切る」という意味で使われるが、アメリカでは「詐欺」を表すという。1970年代後半にアメリカで実際に起こった収賄スキャンダル「アブスキャム事件」を基にした作品だ。司法取引でFBI捜査官に協力を依頼された天才詐欺師が、政治家たちの汚職を暴くため、おとり捜査に加担する内容で、脚色されているとはいえ手の込んだ詐欺は痛快だ。

 映画の冒頭、ジャズファン、それもエリントン・ファンなら思わず「おっ!」と声が出るシーンがある。主人公の詐欺師が、「この入りがいいんだなぁ」と言ってかけたレコードは、何と1956年のニューポート・ジャズ・フェスティバルのライブ盤だ。それもB面のジョニー・ホッジス・ファンが涙を流すという「Jeep's Blues」である。「この入り」とは頭のアンサンブルで、エリントン・バンドならではの重厚感は、その音量の大きさもあり迫力満点だ。私の楽器はオーケストラだ、と語ったエリントンが指先1本でこの音を創り出したと思うだけでゾクゾクする。そして、その音の隙間を縫うように出てくるホッジスの美しいこと。

 この年の最終ステージを飾った熱狂的なライブはニューポートのハイライトとして今や伝説化されている。その伝説とは「Jeep's Blues」の次に収録されている「Diminuendo In Blues And Crescendo In Blue」で、ポール・ゴンザルヴェスが延々27コーラスにも及ぶ予期せぬソロをとったことだ。カウント・ベイシーやディジー・ガレスピーの楽団に参加したあと、1950年から亡くなる74年までエリントン・バンドに所属し、自己のリーダーアルバムも多数ある。どの演奏でも名ソロを聴けるが、この27コーラスはゴンザルヴェスにとってベスト・パフォーマンスであり、テナーサックスに於ける極上のソロとしてもジャズ史に残るものだ。

 エリントンのニューポート盤は映画の最後にも出てくる。かけるのも「Jeep's Blues」だ。FBIをも騙し、映画の観客をも欺く天才とまで呼ばれた詐欺師のプランはエリントン・バンドのように大胆で緻密だった。そして、レコードをかけるとき、ニューポート盤のジャケットのように満足そうな笑みを浮かべていた。倫理観や正義感には無縁の詐欺師だが、エリントン・ファンに悪い奴はいない・・・と思う。
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シャボン玉ホリデーで聴いた♪Beside a garden wall・・・

2014-02-16 09:32:13 | Weblog
 「念願は人格を形成す、継続は力なり」という格言がある。地道な努力を続けていけば、やがて目標を達成できることをいう。目標もないまま、ただジャズが好き、というだけで2006年1月2日に開設したブログも今年で8年目に入り、本稿が400本目になる。始めるのも簡単なら止めるのも自由というブログだけに続けるのは難しいといわれているが、こうして継続できたのは多くの読者に支えられているからだ。感謝!感謝!

 ベスト3企画を中心に展開するコメント欄も、回を重ねる毎にマイナーな曲になっているので、ここらでほとんどの方が一度は聴いたことがあるであろう曲を取り上げてみたい。ポピュラー・ソングを代表する「スターダスト」はどうだろう。アメリカ人が最も好む曲といわれているが、日本人もこの曲を愛する人は多い。特に団塊前後の世代にとっては忘れられない曲だ。もし曲名を忘れていても、若かりしころ、毎週日曜日にテレビで聴いた曲といえばメロディが出てくるかもしれない。「シャボン玉ホリデー」のラストで、ロス・インディオス・タバハラスのギターをバックに歌ったのはザ・ピーナッツだった。

 ♪Beside a garden wall・・・このミッチェル・パリッシュの歌詞を耳にするだけで当時にタイムスリップする。作曲したのは、「このメロディは僕自身よりも大きくなってしまった」と自伝に書いたホーギー・カーマイケルだ。ルイ・アームストロングが最初に歌ったのは31年だが、その後半世紀の間に40ヵ国語に訳され、レコードは軽く1000種を超えるといわれている。いうなればシンガーなら一度は歌う曲だ。この名曲をアーネスティン・アンダーソンで聴いてみよう。イントロのストリングスがヴァースを示唆するものの、ゆったりとしたテンポで♪Sometimes I wonder why I spend・・・のコーラスから歌いだし、最後にヴァースを歌う。粋なアレンジだ。

 「継続は力なり」と自分で言うのはおこがましいが、継続するうち徐々にアクセス数も増えた。ここで話題になったアルバムがきっかけでジャズの虜になった方がいるなら、微力ながらジャズ界発展に協力したことになる。開設当時はなかった目標も、次は500回という目安が出来た。おっと、アンダーソンのアルバム名を書き忘れるところだった。「The Toast Of The Nation's Critics」、レーベル「Mercury」、レコード番号「MG 20400」。

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ジェームス・カーターはリード楽器の魔術師になれるか

2014-02-09 09:17:00 | Weblog
 ジャズ史も100年を超えると同姓同名もあれば、似たような名前もある。先日、中古CD店の棚で「James Carter」の名前を見つけたが、咄嗟に誰なのか思い出せない。クレジットによると楽器はアルトにテナー、バリトンのサックス、レーベルはディスクユニオン設立の「DIW」となると、ボビー・ブラッドフォードと組んでオーネット・コールマン以降のニュージャズ・シーンを賑わしたマルチリード奏者か?

 いや、違うな。あれは「John Carter」だ。では「James Carter」とは・・・そうだ、フランク・ロウのサクセンプルやレスター・ボウイのオルガン・アンサンブルに参加していた若手のリード奏者だ。70年代のニュージャズを彷彿させるアヴァンギャルドな演奏が微かに記憶に残っている。どうやらこのアルバムはデビュー作のようでオリジナル曲を中心にサン・ラの「Hour Of Parting 」と、テキサス・テナーのジョン・ハーディの「Lunatic」、そして何とエリントン作が2曲入っているではないか。オリジナルばかりだと敬遠するが、エリントン・ナンバーを取り上げているとなれば聴くのが義務に思えるから不思議だ。

 その2曲とは「Caravan」と、「Sophisticated Lady」である。前者は勢いで乗り切れるとしても後者は天下一品のバラードだけに吹き上げるには相当な歌心が必要だ。アルバムタイトル曲の「Jc on the Set」から始まるのだが、これが予想通りのハードな演奏で圧倒される。こうなるとテーマを大きく崩すゲイリー・トーマスの展開が頭を過ぎるが、良い意味で大きく期待を裏切られた。この曲ではバリトンを吹いているが、楽器の特性を生かし、叙情性豊かに歌い上げるのには驚く。ハリー・カーネイへの畏敬の表れだろう。この録音時24歳だが、どの楽器も完璧にこなす技量は相応の年齢をはるかに超えている。

 カーターは、「Tough Young Tenors」というアルバムに参加していた。ティム・ウォーフィールドをはじめハーブ・ハリス、ウォルター ・ブランディング、トッド ・ウィリアムズといったタイトル通りの若手テナー奏者が一同に会したセッションだ。なかでもずば抜けていたのはカーターである。聴き込むうちにジャズ誌に紹介されていた記事を思い出した。ソニー・ロリンズが最も注目すべき若手サックス奏者として、ジェームス・カーターの名前を挙げていたことを。
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メリー・ルー・ウィリアムスが開いた道

2014-02-02 09:21:54 | Weblog
 内外を問わず今では珍しくない女流ピアニストだが、歴史をさかのぼってみるとジャズ史の最初に名を残すのは、1902年生まれのリル・アームストロングである。当時夫だったルイ・アームストロングのホット・ファイブや、ハウスピアニストを務めていたデッカ・レーベルでその演奏を聴けるが、SP録音のためソロは短い。では、LP時代に録音を残し、リーダー・アルバムを作った女性ピアニストは誰か?

 1910年生まれのメリー・ルー・ウィリアムスである。1929年から42年まで在籍したアンディ・カーク楽団で脚光を浴びたピアニストで、当時この楽団にはドン・バイアスをはじめハワード・マギーやファッツ・ナヴァロというつわものがおり、ここで学んだものがいかに大きいかはその後の演奏から伝わってくる。カーク楽団時代は当然アール・ハインズに倣った古いスタイルなのだが、退団後はモダンスタイルに転向し、さらに77年には何とセシル・テイラーと共演している。ブギウギからフリーまであらゆるスタイルを研究し、臨機応変に弾きこなすメリー・ルーだからこそできたセッションなのだろう。

 写真のアルバムはセシルと共演した3週間後にキーストン・コーナーで開かれたライブを録音したもので、「St. Louis Blues」から「I Can't Get Started」、そして「A Night in Tunisia」と選曲は幅広い。どんな形式にも対応できる度量の大きさがうかがえる。なかでもガーシュウインの「It Ain't Necessarily So」はテンポといい、間といい、強弱といい申し分ない。僅か5分足らずの演奏だが、そこにはジャズピアノのあらゆるスタイルが凝縮されているし、作曲家への尊敬、そして長い間ジャズシーンにいるプライドまでもが聴き取れる。「女流」という冠を外したら、「偉大」という形容しか思いつかないピアニストだ。

 メリー・ルー以降の女流ピアニストというと、英国出身のマリアン・マクパートランドと、ピアニストよりもサンジェルマンで叫ぶ女として有名なヘイゼル・スコットがいる。ともに1920年生まれで、デビューや活動時期に違いがあるとはいえ、メリー・ルー誕生から10年後のことだ。その道を開いてくれた先駆者として称えるときはやはり「女流」という冠が必要かもしれない。その冠はジャズ史に燦然と輝いている。
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