エリントンが書いた名曲は数多いが、なかでもバラードの傑作「イン・ア・センチメンタル・ムード」は、ミュージシャンなら一度は歌い演奏する曲ではないだろうか。エリントン自身による初演は1935年だが、クーティ・ウィリアムスをはじめローレンス・ブラウン、ジョニー・ホッジス、ハリー・カーネイという豪華なメンバーが揃っていたことに改めて感心する。SP時代ということもあり僅か3分16秒の演奏だが、テンポ、構成、ソロの発展等々、その後のカヴァーの手本といっていい。
どれほどの録音があるのか見当つかないが、ヴァイヴの名演といえばデイブ・パイクである。録音は62年初頭で、タイトル通り50年代半ばから活動を始めたパイクにとって初めてのピークだ。60年代前後はミルト・ジャクソンに追いつけ追い越せとばかりにマイク・マイニエリをはじめテディ・チャールズ、レム・ウィンチェスター、ウォルト・ディッカーソン、ゲイリー・バートン等、次世代のヴァイブ奏者が登場した。マイニエリは61年にダウンビート誌のヴァイヴ新人賞に輝いているが、その2年後パイクも同賞を獲得している。自身の音楽活動にとって最初のピークであることは勿論だが、ライバルのなかでもピークに立ったと自負したのかもしれない。
美しいメロディはより美しく演奏されるべきと思うが、一音一音余韻を残した音板の響きと、パイクお得意の唸り声が共鳴するテーマは美しいとはいえないものの不思議な魅力がある。感傷的というより感情的なセンチメンタル・ムードとでもいえばいいだろうか。一方、感傷的なのはビル・エヴァンスである。このアルバムの更なる魅力はこのエヴァンスの参加によるものだが、いまひとつ元気がない。前年7月にスコット・ラファロを亡くした心の傷がまだ癒えていないのだろう。それでもあの弾む音色と泉が湧く如くの新鮮なフレーズは、ラファロと組んだトリオのときと変わりないのはさすがといえる。
この曲はエリントンが母の死を悼んで作ったものだ。エリントンの自伝「A列車で行こう」(晶文社刊)にこんな一節がある。「わたしの母、デイジーを正確に理解してもらう描写の言葉を見つけるのはむずかしい。というのは、わたしの妹ルース以外、母のように立派で美しい母親をだれも持ったことがないからである」と。立派で美しい母への尊敬がこんなにも美しいメロディを生んだのだろう。
どれほどの録音があるのか見当つかないが、ヴァイヴの名演といえばデイブ・パイクである。録音は62年初頭で、タイトル通り50年代半ばから活動を始めたパイクにとって初めてのピークだ。60年代前後はミルト・ジャクソンに追いつけ追い越せとばかりにマイク・マイニエリをはじめテディ・チャールズ、レム・ウィンチェスター、ウォルト・ディッカーソン、ゲイリー・バートン等、次世代のヴァイブ奏者が登場した。マイニエリは61年にダウンビート誌のヴァイヴ新人賞に輝いているが、その2年後パイクも同賞を獲得している。自身の音楽活動にとって最初のピークであることは勿論だが、ライバルのなかでもピークに立ったと自負したのかもしれない。
美しいメロディはより美しく演奏されるべきと思うが、一音一音余韻を残した音板の響きと、パイクお得意の唸り声が共鳴するテーマは美しいとはいえないものの不思議な魅力がある。感傷的というより感情的なセンチメンタル・ムードとでもいえばいいだろうか。一方、感傷的なのはビル・エヴァンスである。このアルバムの更なる魅力はこのエヴァンスの参加によるものだが、いまひとつ元気がない。前年7月にスコット・ラファロを亡くした心の傷がまだ癒えていないのだろう。それでもあの弾む音色と泉が湧く如くの新鮮なフレーズは、ラファロと組んだトリオのときと変わりないのはさすがといえる。
この曲はエリントンが母の死を悼んで作ったものだ。エリントンの自伝「A列車で行こう」(晶文社刊)にこんな一節がある。「わたしの母、デイジーを正確に理解してもらう描写の言葉を見つけるのはむずかしい。というのは、わたしの妹ルース以外、母のように立派で美しい母親をだれも持ったことがないからである」と。立派で美しい母への尊敬がこんなにも美しいメロディを生んだのだろう。