デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

ライラックを見ていたらカール・パーキンスのピアノが聴こえた

2016-05-29 09:13:05 | Weblog
 初夏の訪れを告げるイベント、さっぽろライラックまつりが開かれている。会場の大通公園にはワインガーデンやとうきびワゴンも用意され、爽やかな陽射しを浴びながら飲食や散策を楽しめる。清々しい空気を待ちわびていたかのように一斉に咲いたライラックの香りに包まれると美しいメロディーが浮かぶのだろうか。ピーター・デローズは「Lilacs In The Rain」を書いている。

 この曲をピアノでじっくりと歌い上げたのはカール・パーキンスだ。バラードにおける豊かな表現力、「Woody 'N You」でみせる力強さ、自作曲「Carl's Blues」のブルージーさ、初リーダー作とは思えないほど完成度が高い。パーキンスといえばマックス・ローチとクリフォード・ブラウンの「In Concert」をはじめ、一度は縫いぐるみになりたいと思うチェット・ベイカーとアート・ペッパーの「Playboys」、ジャケ買いの筆頭「You Get More Bounce with Curtis Counce」等々、名立たるウエストコーストのアルバムでお馴染だ。29歳の若さで亡くなっているので活動期間は短いが録音は多い。そして、そのどれもが素晴らしい。

 インディアナポリス時代からの幼馴染みだったベーシストのリロイ・ヴィネガーが、ロバート・ゴードン著「ジャズ・ウェスト・コースト」で述べている。「一緒に演奏するタイプのミュージシャン、つまり相手の頭のなかに響いている音を演奏できるミュージシャンなんだ・・・だから彼は『リズム・セクション・ピアニスト』と呼ばれたのさ。カールのようなタイム感覚を持った奴が、ベーシストにはいちばん大事なんだ」と。左腕の障害を克服した独自の奏法は度々語られても、何故多くのピアニストがいるウエストで引っ張りだこだったのか記されているものはなかったので目からうろこだ。

 親友を亡くしたヴィネガーは「For Carl」という曲を捧げている。自身も「Leroy Walks Again」で取り上げているが、決定的名演はフィニアス・ニューボーンJr.の「World of Piano」だ。追悼曲といえばゴルソンが書いた「I Remember Clifford」はバラードの傑作として知られるが、「For Carl」はリズミカルで尚且つ美しい。恋人を想って書く曲は美しいに決まっているが、ときに愛情より友情が上回ることもある。
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ジャズ喫茶「JAMAICA」のジャズ・メッセージ

2016-05-22 09:28:43 | Weblog
 札幌、というより日本を代表するジャズ喫茶の老舗「JAMAICA」のマスター、樋口重光さんが5月12日に亡くなられた。札幌のジャズの親父であり師匠でもあった人で、多くの方がこの店に通いハードバップの洗礼を受けている。高校や大学の授業をサボって、JBLパラゴンから流れるファンキーな音に酔いしれ、かかったレコードをノートに書きとめ、マスターから人生を学んだ方もおられるだろう。

 開店は1961年なので今年は55年目にあたる。ジャズ喫茶がピークだった70年前後は、ここ札幌にも「Act」をはじめ「Ayler」、「B♭」、「ニカ」等々、多くの店があったが今でも現役なのは奥様と娘さんが店を守っている「JAMAICA」と「BOSSA」くらいなものだろうか。レコードからCDに変わり、ジャズを聴く若者が減り、ジャズ喫茶文化が衰退した今でも頑固なまでにジャズの扉を開けているのは頼もしい。樋口さんはジャズの生き字引で、聴いたレコードの量は勿論のこと、多くのジャズメンを見ており親交も深い。1966年のコルトレーン来日公演も聴いている。

 店に行った方ならアート・ブレイキーのサインが入った「A Jazz Message」が飾られているのをご存知だろう。JMとブルーノートのイメージが強いブレイキーだが、こちらはインパルス盤でソニー・スティット、マッコイ・タイナー、アート・デイヴィスと組んだワンホーン・セッションだ。組み合わせの妙はボブ・シールの得意とするところで、普段顔合わせがないミュージシャンだけにJMとは異質な緊張感が生まれる。名プロデューサーの狙いは当たった。余談ながらブレイキーのドラムは一聴でそれと分かるので、ブラインド・クイズによく出される。JMのイメージで聴くからなかなか当てられない仕掛けだ。

 ブルーのジャケットの余白には友愛の意味を込めて「FORGET ME NOT」と力強く書かれている。マスターがブレイキーと酒を酌み交わしたときにサインをいただいたという。半世紀以上に亘り「JAMAICA」から発せられたジャズ・メッセージは扉を開けた一人一人に伝わり、ジャズをこよなく愛した札幌のジャズ・マスターを忘れることはないだろう。享年78歳。合掌。
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アーネスティン・アンダーソンとコンコードに乗って

2016-05-15 09:26:07 | Weblog
 クインシー・ジョーンズの自叙伝にジェローム・リチャードソンの回想が綴られている。「ジミー・スコットは体重がせいぜい100ポンドの小男だったが・・・彼は身長が6フィートもあるメンバーと喧嘩をし、勇敢にも立ち向かっていこうとした。みかねた女性シンガーのアーネスティン・アンダーソンが相手の男を説得し、一歩手前で事なきを得たこともある」と。ライオネル・ハンプトン楽団にいたころの話だ。

 この3人が参加していたのは1952年前後で、クインシーのほかにもアル・グレイ、ジミー・クリーヴランド、クリフォード・ブラウン、ウエス・モンゴメリー、ファッツ・ナヴァロ、ジジ・グライス、アート・ファーマー、チャールズ・ミンガス、フィニアス・ニューボーンJr.といった将来ジャズシーンを牽引していくジャズ・ジャイアンツが一時的に在籍している。何とも豪華だ。皆中退だがジャズの東大といったところか。喧嘩を仲裁したアンダーソンはツアーやギャラの問題でメンバーの出入りが激しいバンドをまとめる姉御肌だったのだろう。今年3月10日に87歳で亡くなっているので、当時まだ20代前半だ。

 1956年にスウェーデンのメトロノームに吹き込んだ「It's Time For Ernestine」で脚光を浴び、マーキュリーから数枚リリースしたあとイギリスに渡っている。名前も忘れかけていた1976年に、コンコード・ジャズ・フェスティバルに出演して健在ぶりを示した。この後空白を埋めるようにコンコードから続々とリリースする。勿論、スウィンギーでブルージーな歌声は昔のままだ。「Live From Concord To London」は、先に挙げたジャズフェスとロンドンのロニー・スコッツ・クラブのライブを収録したもので完全復帰を決定付けたアルバムである。何度も歌ってきたであろう「Love For Sale」が収めれているが、これが酸いも甘いも噛み分けた熟女の解釈だ。素晴らしい。

 アンダーソンは世代的にはエラ、サラ、カーメンの次世代として将来を嘱望されていたが、当時の多くのジャズシンガーがそうであったようにロックの隆盛で仕事がなくなっていく。また、スコットはレコード会社との契約のもつれから音楽活動ができなくなった。ともにブランクを乗り越えてシーンにカムバックしている。復帰後の活躍はご存知の通りだ。本物とはブランクの間も練習を怠らない人を言う。
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ドルフィーと百年の孤独とマルケスと

2016-05-08 08:58:42 | Weblog
 週末いつものように「DAY BY DAY」のカウンターに座ると、「お預かりしております」と一目でボトルとわかる紙袋が置かれた。ファンからの贈り物は珍しくないがどなただろう?以前住んでいた道東のジャズ仲間だ。ご家族で週初めに来店されたという。そういえば息子さんが札幌に就職したことを年賀状に添え書きされていたのを思い出した。しばらくお会いしていないが、電話口の声は今も変わらない。

 麦焼酎の「百年の孤独」である。これは嬉しい。薄い琥珀色で何年も寝かしたウイスキーのような深い味だ。プレミアが付いているので簡単に入手できない逸品である。ジャズファン、それもドルフィー・ファンならレコードの横にボトルを飾っているかもしれない。ラベルに「When you hear music ,after it's over, it's gone in the air. You can never capture it again」が刷られている。そう、あの「Last Date」の最後の曲「Miss Ann」のあとに収録されているドルフィーの肉声だ。録音に先立つ4月にミヒャエル・デロイターのインタヴューに答えた言葉だが、この1964年6月2日の録音から27日後に帰らぬ人となったので意味深い。

 バックはミッシャ・メンゲルベルクにジャックス・スコールズ、ハン・ベニンクというオランダを代表するジャズマンで、ドルフィーが引っ張る形で実力以上のものを出している。ヨーロッパのプレイヤーはアメリカと比べると数段も落ちると言われているが、ビッグネイムと共演することで鼓舞されそれがいい演奏につながっていく。アルバムはまずバス・クラリネットではじまる。モンクとケニー・クラークが1942年に共作した「Epistrophy」だ。ユーモラスでひょうきん、尚且つリズミカルなテーマはモンクならではの作風で、それを理解しているサイドメンとドルフィーのセッションは極上のものとなった。

 「百年の孤独」というネーミングは、1982年にノーベル文学賞を受賞したコロンビアの作家ガブリエル・ガルシア=マルケスの同名小説に由来する。20世紀文学の最高傑作のひとつと言われている作品で、無人島の1冊に挙げる人も多い。ドルフィーの深いバスクラの音色に包まれながら琥珀色のグラスを傾け、ページを開く。連休の喧騒のあと、孤独に浸るのも乙なものだ。
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こどもの日に聴くトニー・オルテガ

2016-05-01 09:25:52 | Weblog
 拉致監禁という閉塞的なテーマは気が乗らず、予告編もさほどインパクトがなかったのでパスしようと思っていたが、映画通の知人が褒めていたので映画館に足を運んだ。ブリー・ラーソンがアカデミー賞主演女優賞を初ノミネートで受賞した「ルーム」である。監禁からの脱出劇ではあるが、その後の社会復帰までのプロセスを子どもの視点から描いたヒューマン・ドラマの傑作といっていい。

 見るもの触るもの何にでも興味を示すのが子どもで、そんな写真を使ったジャケットはトニー・オルテガの「Jazz for Young Moderns」だ。知名度の低いオルテガだが、まずレコード棚を見てみよう。ライオネル・ハンプトンにディジー・ガレスピー、メイナード・ファーガソン、クインシー・ジョーンズ、ドン・エリス、ネルソン・リドル、ジェラルド・ウィルソンのビッグバンドが1枚はあるだろう。パーソネルをじっくり見てほしい。(alto sax,tenor sax, clarinet, flute)の一つか全部が記載されているのがTony Ortegaだ。これらの楽器を完全に吹けるマルチリード奏者ゆえどの楽団も欲しがったのだろう。

 マルのレフト・アローンが3000枚、ズートのダウン・ホームが1000枚、ジス・イズ・クリスが500枚売れても、このアルバムは1枚しか売れないほど地味なベツレヘム盤だ。だがメンバーは凄い。アート・ファーマーをはじめジミー・クリーヴランド、ボビー・ティモンズにエド・シグペンという名手揃いで、アレンジはナット・ピアースとボブ・シープだ。「Ghost of a Chance」を聴いてみよう。このアレンジはシープで、原メロディーを生かしながらモダンな味付けをしているので全く違う曲に聴こえるほど斬新だ。オルテガが最も得意とするアルトをフューチャーしておりビッグバンドから抜け出てくる音は力強い。

 「ルーム」は解放された子どもが初めて目にする外の世界を素晴らしいカメラアングルでとらえている。大きく広がった景色に驚きながらも、環境を受け入れて成長していく少年の背中は大きかった。来る5日はこどもの日である。この日ぐらいは子どもの目線で考え見て触れてみよう。この楽器はどうして音が出るのだろうと・・・忘れていたものが見つかるかも知れない。
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